今様を歌い踊った白拍子たちは可憐な男装でした。日本ではこのような男女の取り替えは、神聖な神の出現ともとらえられたんです。神聖な神に奉仕した巫女たちは、また、遊女でもあった。その遊女たちの今様に、時の最高権力者、後白河法皇がぞっこん惚れこんでしまったわけですね。最下層の遊女とトップの法皇が繋がる。これが日本文化のおもしろいところです。 今様を全国的に流行らせたのが、この遊女たちでした。当時、遊女はどこにいたかというと、各地の交通の要所にいたんです。中世は川や海の舟を使った交通が中心だったので、遊女たちは、港や宿場などに集まっていた。舟をねぐらとして西は博多から東は房総半島まで活動していた彼女たちによって、今様は全国に伝わり大ブレイクします。 その交通の要所の一つに、信州と関東への道の分岐点、伊勢湾につながる交通の拠点でもある岐阜県大垣市の青墓(あおはか)があります。この青墓の宿には諸国の芸能