タグ

関連タグで絞り込む (289)

タグの絞り込みを解除

人生に関するrooshのブックマーク (184)

  • 夫に好きな人がいる

    6月初旬 喧嘩が増えてた。 私も、仕事が繁忙期なのもありイライラしていて、夫の些細なことが気になる。 ある晩に、夫から「気に入らないなら離婚」と言われる。売り言葉に買い言葉じゃないけど、私もカッとなってたので、「わかった近々離婚届持って帰るわ」と返す。 後悔してるんだけど、この時わたしは「もう夫のこと好きじゃないし、今後また好きになることもない」と言ってしまった。 でも、この時はただの口喧嘩で、お互い気じゃないと思っていた。 そう思っていたのは私だけだった。 6月中旬 あれから何度か「離婚の話し合いしよう」「離婚届はまだ?」と言われていたが、繁忙期で疲れており、「仕事が落ち着くまで待って」と返していたら、次第に言われなくなった。 6月下旬 繁忙期が終わった。 頃合いを見計らってか、夫から「離婚の話し合いしよう」と言われる。この頃の私は離婚のことをすっかり忘れてたし、思い出しても「ただの口

    夫に好きな人がいる
  • 40代後半で開発エンジニアからクラウドインフラエンジニアにキャリアチェンジし、生き残れる自信がようやく持てた話

    2024-10-18 ENECHANGE Tech Talk(社内勉強会)

    40代後半で開発エンジニアからクラウドインフラエンジニアにキャリアチェンジし、生き残れる自信がようやく持てた話
  • 40歳の時、生涯独身を覚悟してヲタ活邁進を決意した私が44歳で結婚することになった

    【追記】 思わずしていろいろな方に読んでもらえて嬉しいです。 ただ、一部の私の言葉の使い方がまずくて気分が悪くなってしまった方には当にごめんなさい。 祝ってくださった方、ありがとうございました! 【編】 40歳の誕生日を迎えた日に私は、自称”地元の郷士”を名乗るご年配のご婦人に罵倒されていた。 なんでも、絹ごし豆腐と思って買ったそれが木綿豆腐だったらしく、絹ごしの気分だった喉が酷く傷ついたらしい。 何できちんと「これは木綿です。絹ごしではありません」と明記してくれなかったのか、と。 たしかにそれはたいへんだ、申し訳ないことをしたと思いながら無心で謝罪をしていた。 その心の裏側では今どきのゴーシさんって自分で豆腐を買いにくるのか、ゴーシさんもご多分に漏れず人手不足なのかなぁ、と余計な憐れみを感じていたことをあわせて詫びていた。 申し訳ないことをしたと思う反面、やはり自分の心は荒むもの。

    40歳の時、生涯独身を覚悟してヲタ活邁進を決意した私が44歳で結婚することになった
  • 仕事つらすぎ妻の胸で泣く(追記)

    トラブルで休日出勤深夜帰宅辛すぎワロタ ベッドに潜り寝てるを後ろからハグしたら、寝起きの声でおかえり〜つって寝返り打って抱きしめ返してくれた 頭撫でられてたら涙が出てきて、「お茶でも入れて話する?」と言われたが辞退して俺は泣き続けた は半分寝ながら頭を撫で続けてくれた 感極まって「好きです…」「結婚して…」と言ったら「人だよ〜」「1番好きな人と結婚したよ!」と言われて号泣 世界一ありがたい存在 は気持ちよさそうに眠り続けているが俺は仕事に行く 早く帰れたら花でも買おう (追記) 奇跡的に早く帰れての好きな花を買えたよ!!! とも少し話したけど、やっぱ転職するかもしれない。心配してくれた人ありがとう

    仕事つらすぎ妻の胸で泣く(追記)
  • 私が学問に目覚めた時 法学部教授・蒲島郁夫

    皆さんと違って私が歩いてきた道は、名門高校から東大に一直線に進むようなエリートの人生ではなく、たいへんな回り道でした。しかし、その回り道人生から得られた教訓は、人間の可能性は当に無限だということです。 私が生まれた所は、熊県の小さな村です。昔は稲田村と言っておりましたから、村の風景が想像できると思います。私は高校を卒業するまで一度も勉強した思い出がありません。全然勉強をしないものですから、高校時代は大変な落ちこぼれで、同級生220人中200番台の成績でした。私の高校時代の姿から、誰も私が東大教授になるとは思わなかったでしょう。 勉強はしませんでしたが、は誰よりたくさん読みました。これが後になって私の人生に影響を与えたように思います。自分の経験していないこと、知らない世界をによって想像する。それがいつしか自分の夢につながっていったのではないかと思います。 少年時代は3つの夢を持ってい

    roosh
    roosh 2024/04/18
    1[人物][熊本県][知事][くまもん]
  • 「何をやっても駄目だった」ポンコツの自分を救ってくれたマインドセット - メソッド屋のブログ

    先日 エンジニアType さんから取材『牛尾剛さん、『世界一流エンジニアの思考法』って当に日でも実行できますか?(仮)』を受けました。私は「日で出来ないことは何一つありません」と回答しました。私が日にいるときに実際に実施したアクションや、実際にやってみた事例などをご紹介しました。 それは、私が自信に満ち溢れた人物だからではなく、幼少のころから自己肯定感も低く、何をやっても上手くいかなかった自分を救ってくれたちいさな「マインドセット」があったおかげです。 「何をやっても駄目だった」ポンコツの自分を 救ってくれたマインドセット このマインドセットは『日では一見難しそうな何かを実現すること』に対しても過去の人生でとても有効でした。同じような悩みを持つ人のために、エンジニアTypeさんの記事のフォローアップとしてこちらにも書いてみることにしました。それは小さなマインドセットのチェンジなの

    「何をやっても駄目だった」ポンコツの自分を救ってくれたマインドセット - メソッド屋のブログ
  • 40歳になってようやくわかる8つのこと。

    40歳前後の人に話を聴くと「40歳人生の転機なのだな」とつくづく思う。つまり「ようやく自分のことがわかる歳」が40歳だ。 孔子は「四十にして惑わず」と言ったが、自分のことがわかれば、惑うこともないのだろう。 40歳は、会社の中で出世ができるかどうかが、ある程度見える 40歳は、会社内での評価はほぼ固まっている時期だ。この時期に高評価を受けていなければ、部長、役員になれる見込みはない。 ヒラ社員や課長に徹するか、それとも一念発起して独立するか、新天地を見つけるべく努力するか。いい加減、40にもなれば決めなければならない。 これ以上先送りできないのが、40歳だ。 40歳は、自分の苦手なことと得意なことがわかる 40歳ともなれば、自分の得意なことと不得意なことはわかっている。今更不得意なことに手を出しても、卓越することはできない。 若い時は時間を投入することで克服できたことも、体力の低下で無理

    40歳になってようやくわかる8つのこと。
  • タイミー疲れたよ日記

    こんど転職するのだが、見切り発車で仕事をやめた結果、次の仕事が始まるまで1か月ほど暇な時間ができてしまった。 2週間ほど休んだらもう休むのが嫌になってしまったので、せっかくなのでタイミーとやらを試してみようと思いついたときの話。 意外にも未経験だとできる仕事は少なく、やっと見つけたのは某化粧品とか日用品、掃除用品を作っている会社の流通倉庫でのピッキング作業。 朝から夕方までガッツリ働いても9000円いかないのには驚いたが、バイトなんて学生の頃以来なのでちょっと楽しみだ。 働いてみると、想像していたよりもずっとホワイト、というか巨大なシステムの一部として期待されていること以上のことは一切期待されていない、という労働環境なのでなかなか気楽で楽しかった。 休憩を抜くと7時間ほどハンドフォークを引っ張りながら歩きっぱなしだったが、毎日リングフィットをしているおかげかさほどダメージはなかった。 その

    タイミー疲れたよ日記
  • 子育てがチョロすぎるww

    5歳半の男の子、これまで子育てで苦労したことが無かった 楽しい思い出しか無い。 どうせ母親に任せっきりなんだろう? 8割は俺が担った自負がある。 オシメ交換は9割俺がやった 土日の終日95%俺が面倒見てる。 幼稚園の迎え(送りはママ)や公園遊びの99%は俺 家の中でも子供の相手は俺、 離乳はほぼ和光堂とキューピに頼ったが粥くらいは作った 米をごま油で炒めチキンスープで煮込む、わりと手間がかかる まぁ俺が好きだから作っただけで8割が俺が消費していたが、まぁ作った 子どもたちが集う公園には精神ギリ暴発寸前のヤツれた母親を大勢見かける、ブチギレシーンを何度も目撃した ウチ一度もねぇのよ そりゃもちろんダダをこねることもあるがせいぜい3歳まで、ほぼ記憶が無い 公園から帰りたくないとか玩具買って、地面に転がって手足バタバタは1度あったが、我が子にもとうとうこの時期が来たかと嬉しくなりビデオ撮影した

    子育てがチョロすぎるww
    roosh
    roosh 2024/02/20
    いいね。人生の先輩にならってありがたい。
  • 恋人と暮らすのが楽しい。

    恋人と一緒に暮らしておよそ2年になる。 最初は「うまくいかなければ次の更新までに引っ越せばいい」と思っていたけれど、今のところ同棲を解消しようという考えは私にも彼にも、お互いにないようだ。 今、毎日がとても楽しい。 朝起きたら彼の背中にくっついて、行ってらっしゃいを言って、帰ったきたらご飯をべて、テレビを見て、眠る。 そんななんでもない時間を、この人と過ごすのがとても心地いい。 通りすがりに、私のお腹や背中をを撫でるように指でこしょこしょとされるのが好きだ。 お風呂に入るときに「いってきまーす」と言ったら「いってらっしゃーい」と言ってくれるのが好きだ。 「ありがとう」をたくさん言ってたら、少しずつ彼から「いつも◯◯してくれてありがとうね」と言われることが増えたのも嬉しい。 お金の価値観について何度か喧嘩したけれど、少しずつ、でもだんだんと私の方へ寄り添って考えてくれるようになったことも

    恋人と暮らすのが楽しい。
  • フィリピン人の同僚が帰国する際に残した別れの言葉がまるで李白の漢詩だった話…「たまに思い出す機会があればあなたの幸せを祈ってます」

    キニー・コーヴェル @kinee_tapioka 昨日で会社を退職する同僚がいて、彼はフィリピンに帰るので「また会いましょうというには遠く、きっと人生で会うのはこれが最後になると思うんです、だからこそ、ちゃんとさよならを伝えたい、たまに思い出す機会があれば、その度にあなたの幸せを祈っています」と言ってお互いさよならを言い合った。

    フィリピン人の同僚が帰国する際に残した別れの言葉がまるで李白の漢詩だった話…「たまに思い出す機会があればあなたの幸せを祈ってます」
  • セックスレス解決に足りてなかった視点

    自分なりに問題と向き合ってみて何がいけなかったのかを整理してみた結果、気付きがあったよという話です。 我が家ではが二人目の子どもを妊娠してからセックスに応じてくれなくなり、気がつくと8年近く経っていました。 子どもがいるとなかなかそういう空気にならないのは仕方ないことですが、まれにチャンスがあっても「眠い」「疲れている」「休ませてほしい」と言われるばかりで、そうなると強要することが加害ともなりかねないとそれ以上は話が進まないままにフラストレーションを溜め込み続けました。 セックスの話をするときに、どうしても「気持ちがいい」という言葉が頭の中に支配的になります。 実際、と話し合う上で、どうしてそんなにセックスがしたいのかを説得するときに大きな戸惑いとなりました。 そんなに難しい話ではないかもしれませんが、でも、どうしてしたいのかを考えた時、「気持ちよくなりたい」「気持ちよくしたい」以外の

    セックスレス解決に足りてなかった視点
  • 【追記あり】妻と忘年会をした

    カレンダーと年末年始の材を買い込んだあと、夕方からと忘年会をした。 今年は老舗の蕎麦屋で。昼飲みしている人たちを何回か見ていて、蕎麦屋飲みいいかも、と決めていた。 先出しの板わさが大正解。カツ煮でおなかを満たしながら、今年はどうでした? っていう振り返りをする。 人生で何度目かの引越しをした。大人数の飲み会や旅行っぽい旅行はまだ控えている。スカイツリーに初めて登った。「鎌倉殿」を完走した。 来年こそ温泉ですかね、っていう抱負というか意志表示をしながら、冷たい蕎麦で締めた。 なんだか歌いたくなってカラオケで二次会。は「津軽海峡・冬景色」で90点を、自分は「魔法のコトバ」で80点をとって満足。 セブンでしろくまと、蕎麦をべたのにどん兵衛を補充して帰る。帰省はしない。 ま〜いい年だった気がする。来年もこんな感じでいきたい。 【追記】 起きたら伸びてた、うれしい~! 皆さんも良いお年を!

    【追記あり】妻と忘年会をした
  • 妻とプチ忘年会をした

    カレンダーを買って、年末年始に読みたいを物色して、ふらっと入った居酒屋で飲んだ。 特に予約もしていないし、コースでもなんでもない。ただの夕ごはんかもしれない。でも12月だしプチ忘年会だね、って言って。 コロナ対策のパーティション越しに、今年も職場以外の人とは会っていないねとか、もう少ししたら温泉に行きたいなとか、来年は掃除機を買い替えたいねとか。1年の振り返りと来年の抱負(?)を語り合う。 突き出しの小鉢も季節のお鍋も、素材を生かした優しい味。焼酎お湯割りであったまる。年齢を重ねるうちに、こういう店が好きになった。 ま〜よくもわるくもない「普通の1年」だったね、という結論が出たタイミングでお会計をする。 駅で日曜日の朝用のちょっといいパンとacureのりんごジュースを買って、電車に揺られて帰った。 来年も普通に過ごしたいなって思っている。

    妻とプチ忘年会をした
  • 脳が衰えない高齢者「スーパーエイジャー」研究進む 米大学

    80歳を越えても20~30歳下の年代と同じ脳の働きを維持している「スーパーエイジャー」の研究が進んでいる/Courtesy Jennifer Boyle (CNN) 80歳を越えても20~30歳下の年代と同じ脳の働きを維持している「スーパーエイジャー」たちの研究に、米シカゴのノースウェスタン大学医学部が取り組んでいる。 チームは14年前から、記憶力の優れた高齢者を募って研究を進めてきた。スーパーエイジャーという専門用語も同大学で誕生した。 80歳以上の高齢者が詳しい認知機能の検査を受け、50~60代の正常な人々と同じかそれ以上の記憶力がある場合に限って、研究対象に入ることができる。特に、日常の出来事や過去の経験をよく記憶していることが条件だという。 応募者の中で条件に合うのはわずか10%ほど。知能指数(IQ)検査の結果は平均的な高齢者とあまり差がなく、知的レベルだけの問題ではないと考えられ

    脳が衰えない高齢者「スーパーエイジャー」研究進む 米大学
  • 独身か有配偶かで異なる男女の「人生」の長さ

    はソロ国家になっていく。 この連載においても、また、上梓した書籍(『超ソロ社会』『ソロエコノミーの襲来』『結婚滅亡』)においても、私は終始一貫して「日のソロ社会化は不可避である」ことを訴え続けてきました。それは、私個人の勝手な思い込みではなく、1990年代から始まる未婚化・非婚化の流れを冷静に分析すれば明らかです。 誰がなんと言おうとこの流れは止まりませんし、2040年には人口の半分は独身者になり、世帯の4割が一人暮らしというソロ社会時代がやってくるのです。そして、それは既婚者にとっても無関係な話ではありません。たとえ結婚したとしても、配偶者との離別や死別によって、誰もがソロに戻る可能性があります。子どもがいても生涯同居するわけではありません。 私たちは、一人になっても生きていけるか? 今回は、その問いについて、「寿命」や「死因」のデータを通じて、男女配偶関係別の「ソロ生活耐性」とい

    独身か有配偶かで異なる男女の「人生」の長さ
  • 僕のしょうもない人生を紹介します

    大西拓磨です。21歳、ニートです。 このたび、縁あって、ここで何か書いていい権利をいただき(、そこから半年が経ち)ました。 とりあえず、僕のここまでの人生をザバーと紹介して最初の記事と代えようと思います。 1999-2011 横浜で、両親の反対を押し切って生まれました。父と母が毎日のように喧嘩している間、僕はどちらの膝にも座れるのが楽しかった思い出です。 内気ながら足が速かったので小学校では男1女6で遊んでたし、うち2人に告白されました(ここで自殺しておけば...)。 これはその頃に描いた船の絵と その間取りです。 2012-2014 3分の1が東大に行く中高一貫男子校に入れさせられましたが、勉強嫌いだったのでずっと遊んでました。 雪だるまに土下座させたりとか、 ポテトで悟空作ったりして。 あとずっとパズドラやってた。無課金で属性一面+297を達成したのは僕が史上初でした(伝わらない)。

    僕のしょうもない人生を紹介します
  • イケメンが日常で感じているコミュニケーションの困難について

    珍しくはてブにイケメンの日常みたいな話題があがっていたので、イケメンの自分が日ごろ感じている困難を書いてみようと思う。これから書くことは自慢と捉えられたり、まったく共感もされないので表立って話すことはまったくない。 ・女性から見られるのは日常 外出しているときに視線を感じてそっちを見ると、女性と目が合うことが1日に何度もある。電車の中、道を歩いていてすれ違うとき、横断歩道で信号が変わるのを待っているときなど。 成人女性に限らず、女子中学生が友達とキャッキャと話していたのに、自分とすれ違うときだけ急に黙ってじっと見てきたりするし、女子小学生が見てくることもある。 すれ違いざまに上目遣いでジーッと見てくる。「ジーッ」っていう擬音がほんとうによく合う見方で、特に大学生ぐらいの年齢の女子はい入るように凝視してくる。 ・恋の駆け引きというものがわからない 恋愛系の話題を聞いていて一番ピンとこないの

    イケメンが日常で感じているコミュニケーションの困難について
  • 男社会から早々にドロップアウトして人生ヌルゲー状態

    タイトルのとおりなんだけど 小学校はサッカー部で先輩後輩なく楽しくやってたんだけど、中学校になってどうもおかしな気配を感じた。 普通の公立中学校だったからなのか、サッカー部なんかド不良の集まりで、先輩は絶対みたいな雰囲気だった。 パシリとか当たり前で、体育会系でよくある理不尽な命令みたいなのも普通にあった。 最初はみんなで「先輩怖いね~」みたいな話ししてたような気がするけど なんか途中から同級生同士でも力関係みたいなのが発生して、クソ雑魚の僕はすぐにいじめみたいな感じになった。 こりゃいかんと思ってソッコーでサッカー部をやめた。 もともとサッカーは特別好きではなかったし、はじめた理由もちょうどJリーグ開幕の年前後に小学校に上がったからみたいな感じだったと思う。 未練はなかったし、 何より怖かったのが、先輩>同級生>僕 みたいな非常に明確な構図ができあがってしまっていた事、 さらに先輩の上に

    男社会から早々にドロップアウトして人生ヌルゲー状態
  • ベテラン看護師に問われても、わからない命のこと。

    植物状態の人と、今日も会う。 仕事で。 ナースでぇーす☆命救ってまぁーす☆ って昨日の合コンで言って、「実演!」なんつって脈を測るふりして手を握ったりして、 すごい楽しかったその翌日に、真顔でここにいて、気で脈を測っている。 その脈はとても規則正しく、きれいに打っているけど、 目の前の人は、目も開けない。いや、たまに半目。なんの意識もない。 何も喋んない。何もべない。自分で息すらできてない。 人工呼吸器の一定の吸気排気のリズムと、心電図モニターの音と、たくさんの点滴がぐるぐると彼を囲んでいる。 その人は、私の彼氏でもなければ、親御でもない。ただの一期一会。私はこの人を知らない。 ある日、玄関で倒れた。脳出血だったみたい。 1人暮らしで、家族はいなかった。地方から1人出てきて、兄弟からも絶縁されていた。 色々な機関をあたって、やっと連絡先を見つけて連絡を取った家族は 「いやぁ~あの~」を

    ベテラン看護師に問われても、わからない命のこと。