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軍事と歴史に関するropparaのブックマーク (6)

  • 重巡洋艦「足柄」の呼称「飢えた狼」についての新たな発見まとめ | Kousyoublog

    旧日海軍の重巡洋艦「足柄」のニックネームとして知られる「飢えた狼」について、最近、次々と新資料の存在が明らかになっていることが、話題になっていました。以前「艦これの愛すべき残念美人、重巡洋艦「足柄」はなぜ「飢えた狼」なのか」という記事を書いたこともあり、改めて最近明らかにされた情報をまとめておきます。 詳しくは、 「重巡洋艦「足柄」さんは別に飢えていなかった – Togetterまとめ」 「【小報告】小林宗之助司令官の講演と「飢えた狼」について : 「飢えた狼」の探索」 有村悠さん、若林宣さんによる発見を中心に、足柄の「飢えた狼」について情報がまとめられています。 英国空母イーグルと比較しての「狼」 上記の記事を書いてからも少し「飢えた狼」発言が無いか英国の当時の新聞記事等検索してみたのですが、やはり見つからないままでした。今回明らかになったのは、「国立公文書館アジア歴史資料センタ

    重巡洋艦「足柄」の呼称「飢えた狼」についての新たな発見まとめ | Kousyoublog
  • 【レイテ沖海戦】レイテ湾は広かった&志摩艦隊の話。

    有村悠%C91・1日目(木)東M25a @y_arim 戦艦大和戦闘詳報の作戦批判に匹敵する苛烈さ。 「戦艦を局地夜戦に使用することの不可なることは既に「サボ」島沖海戦に於て経験済なるが捷一号作戦に於て漫然此の過誤を繰り返せるは誠に遺憾千万なり」 「上級司令部は下級司令部の作戦計画を検討し不良なる箇所は即時改めしむるを要す」 (続く) 有村悠%C91・1日目(木)東M25a @y_arim 「捷一号作戦に於ける1YBの第三部隊(B×2 CA×1 d×4)は(中略)何等為す所なくして敵の集中射撃を蒙りd×1を除き他は全部壊滅せり」 「第三部隊の突入計画の如きは誠に愚の骨頂とも云ふべく如何なる作戦目的を抱きて行動せるや万人の等しく疑問視するところなり」 怒り狂っている。

    【レイテ沖海戦】レイテ湾は広かった&志摩艦隊の話。
    roppara
    roppara 2015/10/12
    相当資料持ってそうなので、テーマとかきまったら本の1冊は書けそうな予感。
  • 「日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか」小谷 賢 著

    太平洋戦争における日は通信を傍受され、暗号を解読され、偽情報に撹乱され、連合軍の兵力を見誤り、情報分析を疎かにして慢心と理想論とで作戦を立てて失敗を繰り返し・・・と情報戦で完敗したが、書は戦前日の情報活動はどのようなものだったのか、どこに問題があったのかを概観した一冊である。 基的な用語がおさえてあるのでインテリジェンス入門書として有用だ。生情報やデータが「インフォメーション」、「インフォメーション」を分析・加工した情報が「インテリジェンス」で、「インテリジェンスの質は、無数のデータから有益な情報を抽出、加工することによって政策決定サイドに『政策を企画・立案及び遂行するための知識』を提供することにある」(P7)。国益・国家戦略に基づく情報要求「リクワイアメント」が政策・作戦サイドから情報収集・分析(インテリジェンス)サイドに出され、これに対してインテリジェンスサイドは多様な情報を

    「日本軍のインテリジェンス なぜ情報が活かされないのか」小谷 賢 著
  • 戦艦武蔵:火を噴く46センチ砲 射撃中の写真発見 - 毎日新聞

  • 近世オーストリアの名将プリンツ・オイゲンの戦争と生涯まとめ | Kousyoublog

    第二次世界大戦時の軍用艦艇を擬人化した人気ブラウザゲーム「艦隊これくしょん~艦これ~」にその名を由来とする旧ドイツ海軍重巡洋艦のキャラクターが登場したことで、「プリンツ・オイゲン」という名は以前と比べると格段によく知られるようになってきていると思う。ということで十七世紀後半~十八世紀前半のオーストリアの軍人プリンツ・オイゲンについて。 プリンツ・オイゲンについてプリンツ・オイゲン(1663-1736)ことオイゲン=フランツ・フォン・ザヴォイエン=カリニャンは十七世紀後半から十八世紀前半にかけて、神聖ローマ帝国=ハプスブルク家に仕えた軍人で、対オスマン戦争スペイン継承戦争などで活躍し、後のオーストリア=ハプスブルク帝国の基礎を軍事面の成功によって築いた人物として評価され、フランス皇帝ナポレオン1世も古今東西の名将七人の中の一人に数えている。 プリンツ・オイゲンのプリンツは公とか公子などと訳

    近世オーストリアの名将プリンツ・オイゲンの戦争と生涯まとめ | Kousyoublog
  • リアリズムと防衛を学ぶ » 「戦争なんか起こるわけがない」は思い込みだという歴史的実例

    は長らく平和を謳歌してきました。そんな中で防衛体制の整備には「戦争なんか起こるわけがないのに…」という懐疑論が常にともないました。どころか、「危機がもし起ったら」と考えること自体が危険思想である、戦争が好きな軍国主義者だ、という風に非難された時代もありました。 ところが歴史的に見て「戦争なんか起こるわけがない」という見通しが外れたことは多くあります。 「アルゼンチンが戦争なんかするわけない」 いまから30年前の1983年4月、「フォークランド紛争」という戦いが起こりました。アルゼンチンとイギリスとの紛争です。きっかけは、イギリス領フォークランドに対し、アルゼンチンが突然侵攻を開始したことでした。 ですが紛争勃発の直前まで、戦争なんか起こるわけがない、意見が強くありました。それはかなり論理的なものでした。例えば83年4月5日に発売された雑誌ビジネスウィークは、戦争にいたる可能性は低い、と

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