星敬さんの訃報。先日「ふと思い立ち」こういう日記を書いたばかりだったのだが。 最初の読み切りマンガが商業誌に載ったのは1979年の夏。東北沢と池の上から等距離の東大の宇宙航空研究所(JAXAの前身。跡地は現在東京大学先端科学技術研究センターに)の隣の風呂ナシ共同トイレ四畳半のアパートに住んでいた頃だった。その年末には早くも連載を持たされたので、もう少し広くて便のよい、そこからどちらの線でも一駅の下北沢の六畳の1DKに引っ越した。あいかわらず風呂ナシの物件だったけど。 まったくの偶然だったが、その部屋から歩いて2分のマンションに、当時豊田有恒さんが起ちあげたSF関係のクリエイターの事務所「パラレルクリエーション」が入ることになった。星敬さんはその現場責任者みたいな立場だった。 星さんと初めて会ったのは、実はその少し前で、小松左京研究会の発起人・土屋裕さん(故人)から紹介されたのだったと思う。