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ここ一年くらい、休日にカメラを持ち出すことが減っている。カメラが重いとか、おむつセットをザックに入れるとカメラのスペースがなくなるとか、細かい理由はいくつか思いつくのだけれど、一番自覚があるのは「積極的に写真を撮ろうという意欲が薄れていること」で、でもその理由はきちんと説明できない。 デジタルカメラですらこの有様なので、フィルムカメラを持ち出す機会ったらもうもっと少なくなっている。妻は毎度のお出かけの度に重たいフィルムを鞄に入れていて、僕はもうちょっと精密機械なりの扱いをしてあげたほうがいいんじゃないかと言うのだけど、それでも妻がそうして撮った写真を見返すと、やっぱり続けて撮っていることが写真の力になるのだな、と感じる。 それで、急に写真のことを考え出したのは、僕が去年の秋くらいから今年の春にかけてようやく一本撮りきったフィルムがようやく現像からあがってきたからで、中身は妻と娘の写真がほと
1.はじめに STAP細胞を巡る騒動は未だに続いています。今回は、この一連の騒動に関する私見を述べます。もっとも、私は分子生物学に関しては専門外ですので、あくまで科学の世界のルールという観点から考察します。博士課程ドロップアウト者で、論文を日本語・英語で計2報しか掲載できなかった私にその資格があるかどうかはわかりませんが。 ちなみに、論文のテーマはどちらも牛のうんこです(本当)。学会発表は口頭・ポスターで合わせて4回行いましたが、やはりテーマは全て牛のうんこでした(本当)。 参考(宣伝):うんこと食料自給率 −物質循環− 2.小保方氏本人による検証実験の是非 科学の定義は色々あるかと思いますが、「再現性」「普遍性」が重要な候補として考えられると思います。つまり、「いつでも・どこでも・誰でも」が鉄則だということです。特定の個人の手でしか起こせない、他人の手で再現できない現象は科学ではありませ
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