NHK大河ドラマ『晴天を衝け』(第2回)に、興味深いシーンがあった。渋沢栄一が住む血洗島(現埼玉県深谷市)を治めていた岡部藩の代官が、「若殿の御乗り出し」のために道(中山道)を整備するから、御用金を献金せよと、栄一の祖父と父に命じる場面である。 『晴天を衝け』に描かれた領民の悲哀 岡部藩は譜代大名の安部(あんべ)家が藩主である。嘉永3(1850)年、まだ幼少だった12代藩主・安部信宝(のぶたか)は、江戸城に登城し、将軍・徳川家慶(いえよし)に拝謁した。『晴天を衝け』にあった「若殿の御乗り出し」とは、信宝が初めて将軍に拝謁した、この時のことを指していると思われる。 岡部藩は城持ち大名ではない。江戸定府(藩主が江戸に定住)の大名であり、参勤交代の義務はなかった。信宝も江戸にいて、将軍に拝謁(はいえつ)した後に大名行列を率いて国許へ凱旋(がいせん)帰国する予定だったのか、またはこの時は国許にいて