2021年7月28日のブックマーク (2件)

  • シリーズ・結党100年の中国共産党と日本(5): 改革開放とは何であったのか

    鄧小平が進めた「改革開放」路線により、中国は西側諸国からの資金を得て、大きな経済的成功を収めた。しかし、格差拡大などの”副作用”が解消できず、国内社会でも、対外関係においても歪みが顕在化している。 鄧小平が設計した「再建計画」 中国文化大革命(文革)のカオスに陥れた毛沢東が1976年に死去すると、中国共産党は、文革からの脱却に着手した。その重責は、毛亡き後の党内権力闘争を制した鄧小平が担うこととなった。 鄧小平は、文革によって一時的に失脚するまで国務院副総理として終身総理の周恩来を補佐し、共産党内では中央政治局常務委員として党中央の最高意思決定に携わっていた。このため、周恩来および毛沢東が相次いで死去した後の党と国家の建て直しを託せる人物として党内の期待が彼に集まった。 また、鄧小平は、内戦期に中国人民解放軍の第2野戦軍の政治委員をつとめ、1970年代には解放軍の総参謀長をたびたびつとめ

    シリーズ・結党100年の中国共産党と日本(5): 改革開放とは何であったのか
    roseknight
    roseknight 2021/07/28
    中共は西側諸国との交流で富を築いた地方の党員を始めとした利権屋に悩んでいる。習近平の独裁は米国の親中主義や歴史の利用等で続いた改革開放による中国のファシズム化を示している。日本も他人事ではないかな。
  • 江戸時代の東京が同時代のヨーロッパより圧倒的に"美しい街"だった宗教的な理由 江戸の中心には寺社がなかった

    木々と水辺が多かった江戸 野鳥のさえずりが絶え間なく聞こえる。何種類もの水鳥が集まり、時に群れをなして飛ぶ。春から秋には多くのチョウが舞い、トンボが空を埋める。江戸はきっとそんな都市だったと想像している。 そう思う理由のひとつは、天保年間(1830~44)に斎藤月岑げっしんが七巻二十冊を刊行した地誌『江戸名所図会』にある。 江戸の名所の集大成で、ことに長谷川雪旦せったんの挿画がすばらしい。鳥瞰ちょうかんするように描かれた写実的で精密な絵から、名所の様子が映像を観るように伝わる。 強く感じたのは、江戸は思いのほか木々に囲まれ、水辺が多いということだった。 ヨーロッパの市街地に緑が少ないワケ 江戸が「思いのほか木々に囲まれている」と書いたが、「思いのほか」なのは、西洋の都市との違いを感じるからである。私はヨーロッパをよく訪れるが、市街地に緑が多いとはいえない。 イタリアのフィレンツェを例にとろ

    江戸時代の東京が同時代のヨーロッパより圧倒的に"美しい街"だった宗教的な理由 江戸の中心には寺社がなかった
    roseknight
    roseknight 2021/07/28
    自然を幾何学的に整える西洋と人と自然との調和をとった日本の違いが神の認識にあるのか。神仏習合に基づく協調性が明治の廃仏毀釈で消えたことが今の東京の状況に繋がるだろう。せめて西洋哲学位は浸透してほしい。