鄧小平が進めた「改革開放」路線により、中国は西側諸国からの資金を得て、大きな経済的成功を収めた。しかし、格差拡大などの”副作用”が解消できず、国内社会でも、対外関係においても歪みが顕在化している。 鄧小平が設計した「再建計画」 中国を文化大革命(文革)のカオスに陥れた毛沢東が1976年に死去すると、中国共産党は、文革からの脱却に着手した。その重責は、毛亡き後の党内権力闘争を制した鄧小平が担うこととなった。 鄧小平は、文革によって一時的に失脚するまで国務院副総理として終身総理の周恩来を補佐し、共産党内では中央政治局常務委員として党中央の最高意思決定に携わっていた。このため、周恩来および毛沢東が相次いで死去した後の党と国家の建て直しを託せる人物として党内の期待が彼に集まった。 また、鄧小平は、内戦期に中国人民解放軍の第2野戦軍の政治委員をつとめ、1970年代には解放軍の総参謀長をたびたびつとめ