日ソ共同宣言から60年の節目を迎えて、対ソ・対露外交の象徴的な言葉がよみがえってくる。元駐ソ大使の新関欽哉氏が、旧ソ連の元外相モロトフ氏の嫌みなセリフをこんなふうに述べていたからである。 「ソ連は事情変更の適当な口実があるときはガラッと態度を変える国だ。モロトフの勝手なセリフに万物は流転するというのがある。もっとも彼自身もフルシチョフに粛清されてしまったが」 ソ連外交の好き勝手をギリシャ哲学の言葉で正当化したモロトフも、その「流転」で憂き目にあったという一説である。 1956年10月19日、訪ソした鳩山一郎首相は、ブルガーニン首相との間で共同宣言に調印した。しかし、調印から4年後の60年1月、ソ連は日本が日米安保条約を改定した際に不快感を示し、日本政府に「ソ連政府の対日覚書」を送りつけてきた。 日ソ共同宣言で平和条約と同時に歯舞・色丹を日本に引き渡すとしていたのを、「日本領土から全外国軍隊
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