ブックマーク / blog.tinect.jp (32)

  • 生涯で一番重要なアニメをひとつ挙げろ、と言われたら『新世紀エヴァンゲリオン』を挙げるしかない。

    生涯で一番重要なアニメをひとつ挙げろ、と言われたら『新世紀エヴァンゲリオン』を挙げるしかない。 私が精神科医になった動機の約20%は、この作品に感化されたせいだ。感化され過ぎたせいで、「『新世紀エヴァンゲリオン』についてレビューをまとめなさい」と言われたら今でもまとめる自信がない。 しかし、『新世紀エヴァンゲリオン』に含まれていた心理学っぽさや精神分析っぽさを振り返ることはできる。 同作品は90年代の心理学ブームやメンタルクリニックブームを踏まえていて、同時代性が強い。だから『新世紀エヴァンゲリオン』を振り返ると、当時のそうした目線を思い出すことにもなる。 90年代は「モノより心」の時代 はじめに、90年代のメンタルヘルスを巡る雰囲気について思い出してみよう。 80年代から引き続いて、90年代は精神医療語り・心理学語りがとても流行っていた。「日人は物質的には豊かになったが、心はまだまだ貧

    生涯で一番重要なアニメをひとつ挙げろ、と言われたら『新世紀エヴァンゲリオン』を挙げるしかない。
    rotting_corpse
    rotting_corpse 2024/07/18
    「モノより心」って当時言われてはいたけど、結局心がどうなればより豊かになれるかの問いは宙に浮いたまま、物質的にどんどん貧しくなって30年経った
  • すべてのおっさんの心に「自分だって若い女性にモテてもいいじゃないのか」という気持ちはないだろうか。

    りりちゃんのマニュアル 少し前に「頂き女子りりちゃん」が話題になった。この世の中には頂き女子というものがいて、頂けられてしまう「おぢ」がいるということだった。 正直、おれはあまりこの事件に興味をもっていなかった。おれには関わりのなさ過ぎる世界の話だからだ。しかし、ふと、次の記事を読んでしまった。 名古屋「22歳頂き女子」にだまされたおじさん2人が特別対談「僕らがバカだった。若い女子がおじさんとの“餃子の王将デート”を喜ぶはずがない」 なんととくべつな対談なのだろうか。おれは夢中になって読んでしまった。 そして、「りりちゃん」のマニュアルを読みたくなった。マニュアルくらいにしては判決が重いな、と思ったような気がしたし、どんな内容なのだろう。もちろん、マニュアルだけの罪ではないが。 して、おれはマニュアルを読んで驚いた。これはすごいな、と思った。どのようなすごさかというと、たとえば新入社員とか

    すべてのおっさんの心に「自分だって若い女性にモテてもいいじゃないのか」という気持ちはないだろうか。
    rotting_corpse
    rotting_corpse 2024/06/24
    若くて顔がいいならいざ知らず、単に若いってだけなら1翻くらいの価値しか無いと思ってる。ワシかて若い頃は若かったし
  • DoCoMoの25周年スペシャルムービーを見ると凄まじく感情が動くので書き殴ってしまった

    いまから7年前の2017年、とんでもないCMが世に放たれたことを皆さんはご存知だろうか。 DoCoMo25周年スペシャルムービーCM「いつかあたりまえになることを」。 このCMは4分にもおよぶ長さのためTVCMというより、もはやショートムービーなのだけど、とにかく破壊力が高いのでまずはしっかりと見てほしい。 なにこれ。 おそらく、この動画を見終わって、多くの人がこんな状態に陥ったんじゃないだろうか。 なんかしらんけど泣ける。 ただ、そこにあるのはあまりに複雑な感情なはずだ。 ありきたりで分かりやすいそれと違って、心の奥底がザワザワするような、敏感な場所を得体のしれないもので撫でられているような、まるでどこかで自分が経験したかのような、そんな感覚が生じているのだ。 もちろん、そうでない人もいるのだろうけど、それを言い出すと話が始まらないので、みんなそうなったと思い込んで話を進めていく。 感情

    DoCoMoの25周年スペシャルムービーを見ると凄まじく感情が動くので書き殴ってしまった
    rotting_corpse
    rotting_corpse 2024/06/15
    すごい熱量の文章。ただCMの内容は「主役」経験者の話過ぎて、自分みたいに時間の止まったままの人間にはのれなかった
  • 手取り19万円の栄光の終わりに

    舵のない舟 かくて早くも彼の心は、洗練された隠遁の地、心地よき無人の境、人間的愚かさの絶えざる氾濫を遠く逃れた、びくとも動かぬ、なまぬるい方舟を夢みつつあった。 ユイスマンス『さかしま』 さかしま (河出文庫) 思えばおれの人生というのは舵のない舟に乗って川を流れてきただけだ。みすぼらしい帆や、壊れかけのエンジンはついていたかもしれない。ただ、流れてくるように、流れてきた。 おれは人生に興味がなかった。正確にいえばおれはおれの人生に興味がなかった。明日、どうしよう。五年後、どうしよう。大人になったら、どうしよう。なに一つ向き合ってこなかった。 親だとか誰かだとかにいわれるがままに、適当に流れてきた。意思というものがなかった。 べつに親だとか誰かだとかを信じていていたとか、そんな話もない。自分は確固たる意思をもって、意思を持たずに生きてきた。 人生の岐路に立って自分で道を選んだという覚えもな

    手取り19万円の栄光の終わりに
  • 不安になったら薬を飲め

    ずっと不安だった おれが自分の性格というものを説明しようとすると、以下のような言葉が並ぶ。内向的、心配性、後ろ向き、弱気、消極的、意志薄弱、怠惰、マイナス思考、ネガティヴ思考、悲観主義……。 陰キャで、非リアで、なんの前向きさもない人間ということになる。 今の時代、いや、いつの時代でも人間に求められる資質に反していることこの上ない。そして、その通りおれは底辺に近い人生を送っている。 それにしても、なんで、こうなんだろう。というか、世の中の人で、こうでない人がいるのはなぜなんだろう。少なくとも、こう見えない人は存在する。 おれは双極性障害(躁うつ病)持ちである。これはおれの性格の前提なのだろうと思われるかもしれない。 しかし、おれがそう診断されるずっと前、それこそ、物心ついたころから、おれは常にそうだった。 そして、常に不安だった。 幼少期の無力感 おれはちびだった。いや、いまも平均身長から

    不安になったら薬を飲め
  • 思春期モラトリアムは資本主義に吸収されました。

    仲俣暁生さんのツイートを見て、若者に、カネはなくても時間があった時代のことをふと思い出した。 とりわけ文化的だったとは思わないけど、我々が若い頃は、カネはなくても、ほぼ無限に時間が有り余っていた。その余裕こそが社会の豊かさだったのかも。当時も批判的にも使われていたモラトリアム(支払猶予)という言葉は完全に死語になった感アリ。いまは即金で支払わされる。 https://t.co/3TwuIuj0m0 — 仲俣暁生(『失われた「文学」を求めて』続編企画中) (@solar1964) April 8, 2023 私の大学時代も概ねそうだったと言え、今日は疲れていると感じたら一日じゅう寝ている日があった。どうしても攻略したいゲームがあるわけでもないのに朝から晩までゲーセンにいて、所在なく、「ひまつぶしのために」ぼんやりパズルゲームを遊んでいた日もあった。 無限に時間があったわけではないが、なんにで

    思春期モラトリアムは資本主義に吸収されました。
    rotting_corpse
    rotting_corpse 2023/04/21
    四畳半神話大系みたいな少し前の大学生活を描いた作品見ると、モラトリアムの中の戯れが自分からも世界からも失われたのを感じて、猛烈に寂しくなる
  • 小室直樹に、キリスト教、イスラム教、儒教、仏教の違いを学ぶ。

    おれはこの前、小室直樹のを読んだ。 読んで、「これはなんかすごいぞ」と思った。思って、立て続けに読んだ。これはもう、令和の小室直樹ブームが来るんじゃないかと思った。いや、そんなブームが来るかどうかはしらない。おれのなかでブームが来た。 二重三重の早とちりに独学の限界を思う どのようなブームか。比較宗教学的ななにかだ。 おれは仏教を中心にいろいろなを読んではいた。しかし、小室直樹のを読んで、それこそ、ハッとしたのである。ほかの宗教と比べてどうか、日におけるその場所はどこか。 小室直樹がはたしてどんな一般的な評価を得ている人かおれにはよくわからない。 なにやら右派への接近と言うか、取り込まれみたいなものもあるように思うが、どうにもそんなもの突き抜けたようななにかがあると感じた。 というわけで、おれは数冊の小室直樹ので、「要諦である」と語られたいくつかの要素を、それぞれの宗教、思想に割

    小室直樹に、キリスト教、イスラム教、儒教、仏教の違いを学ぶ。
    rotting_corpse
    rotting_corpse 2023/03/10
    数年前に読んで、「信仰のみ」あればいいのだから、隠れキリシタンは踏み絵なんかガンガン踏んでも別に問題無かったってくだりが面白かった。沈黙の葛藤は何だったんだ
  • さびれた地方に住む人々の心理的充足感を供給する「アニメやゲームのキャラ」と「日の丸」の話

    「個人の自尊心やアイデンティティなんて自分で選ぶもの。自分で勝ち取るものだ。」 そう思っている人は日のインターネット、たとえばこのbooks&appsの読者のかたにも大勢いらっしゃるのではないかと思う。 でもって自尊心やアイデンティティは、自分自身の経済的・文化的・社会的成功と結び付けられがちだ。 いちばんわかりやすい個人主義者とは、自分の意志や能力をとおしてサクセスし、自尊心やアイデンティティをも充足させられる、そんな人物ではないだろうか。 経済的成功も心理的充足も個人化したというが しかし、誰もがいちばんわかりやすい個人主義者のように生きているわけではない。 もし、明確にサクセスした個人しか自尊心やアイデンティティが充足できないとしたら、世の中は心理的充足に飢えた、がらんどうの個人だらけになってしまうだろう。 もちろんインターネットでは何事につけ極端な人間が目立つので、がらんどうの個

    さびれた地方に住む人々の心理的充足感を供給する「アニメやゲームのキャラ」と「日の丸」の話
  • たいていの一般人は買い物には「コスパ」が重要で、企業の理念になんて、これっぽっちも興味がない。

    93%→44% 47%→67.4% さて、これはなんの数字だろう。 さっそく種を明かすと、これはドイツの人の「品を買う基準」の統計結果だ。 ロシアによるウクライナ侵攻前の2月末~3月頭にかけてのアンケートでは、品を買う基準は「味」と答えた人は93%、「価格」と答えた人は47%。 しかし4か月後、7月のようすを見てみると、「価格」が67.4%で「味」が44%と、価値観は大きく変化した。 ドイツ品価格が高騰、消費者は味よりも価格を重視(ドイツウクライナロシア) | ビジネス短信 ―ジェトロの海外ニュース – ジェトロ (jetro.go.jp) 元ソース→https://www.bve-online.de/presse/pressemitteilungen/pm-180722-lebensmittelpreise-deutsche-sorgen-sich-und-achten-me

    たいていの一般人は買い物には「コスパ」が重要で、企業の理念になんて、これっぽっちも興味がない。
  • 実力も謙虚さもない年配者は、もう居場所がない。

    年功序列が衰退し、年下の上司を持つことが特に珍しくない時代になった。 マンパワーグループの調査*1によれば、直近3年以内に転職した35歳から55歳の正社員の約7割に「年下の上司」がいるという。 その「年下上司」について、よく言われることの一つが、「一緒に働きづらい」だ。 調査によってばらつきがあるが、上のマンパワーグループの調査では、約3割の人が、「年下と働きづらいと感じた」とされている。また、エン・ジャパンの調査では、約6割の人が「年下と働きづらい」*2と言っている。 正直なところ、これが「年下だから」働きづらいのか、それとも、こんな価値観の人は「相手が誰だろうと、働きづらさを感じる」のか、原因を切り分けるのは難しい。 ただ、エン・ジャパンの調査におけるコメントを見ると、一定数の人が「年上ならまだ我慢できるが、年下で自分より高い地位の人と働くのは嫌」と考えているのだと読み取れる。 『若い

    実力も謙虚さもない年配者は、もう居場所がない。
  • どうやら、精神障害者には住む場所もないようだ

    精神障害者の行く末 テレビで「親切な不動産屋さん」みたいなドキュメンタリーを見た。 いろいろな事情を抱えたお客さんに、徹底して向き合って、物件を見つける。そういう話である。 だが、おれはそのドキュメンタリー番組のなかで、おそろしいやりとりを見てしまった。 生活保護を受ける精神障害者の人が、べつの不動産屋さんに問い合わせる。 「生活保護なんですが……」。「生活保護の理由はなんですか?」。「身体を壊しまして」。「具体的な病名はなんですか?」……。 結果、生活保護の人は100件に90件断られるということ。 さらに、生活保護の理由が精神障害であれば、ほとんど駄目だということ。それを告げられていた。 告げられていた人の障害の一つは、「双極性障害」。あ、おれと同じじゃん。おれも双極性障害じゃん。それで精神障害者健康福祉手帳も取得してるじゃん。となると、もしもおれが一般人に混じってなんとか働くことができ

    どうやら、精神障害者には住む場所もないようだ
  • 自分で、自分の「仕事のできなさ」を解明してみる

    おれは仕事ができない おれは仕事ができない。その根拠は、おれが稼げていないという一点にある。 おれが赤字人間であるという一点にある。これが結論である。 「で、具体的にどのように仕事ができないのか?」と問われた。 これは簡単な話だ。おれの仕事っぷりを、というか、仕事のできなさっぷりをありのままに書けばいい。 ぜんぜん楽勝じゃないか。 ……と、思ったのだが、これが書けない。 なぜ書けないのか。おれが「仕事」をわかっていないからだった。 あるいは「会社員」であるということをわかっていなかった。 だから、自分が、会社員としての理想や基準、平均と比べてどうなのか、どこが具体的にだめなのか。そういう比較がまったくできなかったのである。 そんな人間がいるの? いるのだからしかたない。 おれはおれが暮らしていくだけの賃金を会社員として得ていることも、また一方の確かな事実ではある。 とはいえ、おれは人生にお

    自分で、自分の「仕事のできなさ」を解明してみる
  • 「最強の自分」になれないおれたちは、病んでいく

    「好きで働いているんだろ?」 精神科医である斎藤環の『家族の痕跡―いちばん最後に残るもの』を読んでいたら、このような記述にいき当たった。 このように考えてみてはどうか。すべての「職業人」は「好きこのんで仕事をしている」のだ、と。 これを言うのは、正直に言えば、なかなか辛い。厳しい疲労とストレスに耐えて、それでも真面目に働いている人々を、もちろん私は尊敬する。 しかし、その尊敬こそが危険なのだ。その種の尊敬は、そのような生活スタイルがどうしても取れない人たちに対する軽蔑を伴わずには成立しないからだ。 それゆえこの尊敬は小声で口にされるべきものだし、まして自らの多忙さを誇る(=愚痴る)ことは、あきらかに下品な振る舞いなのである。 これには前段があって、ネット(当時の2ちゃん)に書き込まれたコピペがあげられている。 そのコピペ(詩)は見つけられなかったが、「働いたら負け」のインターネット・ミーム

    「最強の自分」になれないおれたちは、病んでいく
  • 「依頼された仕事をやらない人」は、なぜあれほど言われても、仕事をしないのか

    私は、あらゆる組織・個人の中に、「依頼された仕事をやらない人」を見てきた。 例えば、コンサルティングに訪問した会社のプロジェクトチーム内に。 あるいは、執筆を依頼したライターさんに。 またあるいは、会社の同僚・部下に。 彼らは確かに、「依頼された事柄」に対して、「はい、引き受けます」という。 しかし、遂行される気配がない。 心配になって、「あれはどうなりましたか」と聞く。 すると「あ、すいませんやります」と返ってくる。 しばらく待つ。 それでも何も遂行される気配はない。 もう一度「この仕事、やりますか」と聞く。 「やります」と返信がある。 それでも、何も遂行される気配はない。 結局、こちらから連絡するのをやめ、処理はこちらでやることになる。 こういう人々には、「引き受けたじゃないですか!」と怒ったところで無駄であるし、代わりの人を探したり、時には自分でやったりしたほうが早いからだ。 でも、

    「依頼された仕事をやらない人」は、なぜあれほど言われても、仕事をしないのか
    rotting_corpse
    rotting_corpse 2022/03/24
    分かる気がする。数時間かかる作業の労働より、数分で終わるメールの文面考える方が面倒に思える時ってよくある
  • 人は「楽と感じる方法」しか選ばないことを前提に、仕組みを作らなければならない。

    少し以前のことだが、あるベンチャー企業のドキュメンタリーをみていた時のことだ。 その会社では、社運を賭け画期的な生活家電の製造・販売に乗り出し、デパートの催事場で展示即売会を仕掛けるという。 出陣式のようなものまで開き、やる気みなぎるように見えるシーンには熱気を感じる。 しかしいざフタを開けてみれば、販売目標50台に対して売れたのはたったの10台。 営業部長以下、社員全員が意気消沈してしまい、社に戻るとさっそく反省会を始めることにした。 そしてその際、社員たちから出てきた反省の言葉は要旨、以下のようなものだった。 「お客様から質問をして頂いても、ほとんど答えることができなかった」 「新機能をどのように使うのかなど、生活に即したアドバイスができなかった」 表現はそれぞれだが、社員たちの言葉は製品を理解していないために売れなかった、という趣旨のものだった。 それらの言葉を受け、営業部長は居合わ

    人は「楽と感じる方法」しか選ばないことを前提に、仕組みを作らなければならない。
  • 独身中年のおれは社会の「不審者」であることを甘受する

    独身中年の不審者度 『見知らぬ人はすべて「不審者」、行き過ぎた通報も…平日昼間に出歩く中年男性の僕が困惑した理由』という赤木智弘氏の記事を読んだ。 平日の昼間に中年男性が一人でうろついていると、「不審者」扱いされる現実があるんじゃないか。 声優の落合福嗣氏なんて、平日に娘と公園で遊んでいただけで通報されたぞ、という話だ。 防犯としての「挨拶」を教育している例もあるし、なんでもかんでも「事案」になってしまう世の中ってどうなん? 偏見があるんじゃないの?……というような内容かと思う。 これに関して、おれも当事者の一人ということになる。 というか、通報する側である子供連れの親、あるいは子供そのものといったものも当事者であって、社会のほとんどの人間が当事者といえるかもしれない。 とはいえ、やはり中年独身男性で単独行動も多いおれは、「不審者」の対象たりうる一番の存在であって、我が事と思わざるを得ない

    独身中年のおれは社会の「不審者」であることを甘受する
    rotting_corpse
    rotting_corpse 2022/02/15
    近所の公園で小学生に「ポケモンgoですか、一緒に遊びませんか」って言われて、色々面倒な事になる気がしたから「あ、違います」って嘘ついて逃げた事ある
  • 人の金で生かされている「赤字人間」に生きる価値はあるのか

    心情的な赤字です 赤字の零細企業で働く、ある人間、すなわちおれの心情というものを書きたいと思う。 赤字企業というと、「全国の企業の六割だとか七割だとかは赤字だ」とか、「節税目的であえて赤字にすることもある」などと言われそうだ。 だが、おれの言う「赤字」とは、心理的、心象的、お気持ち的な赤字のことと断っておく。 というのも、万年赤字だったわが零細企業は、親会社的なところができて、そことの関係上、数字的には黒字企業だからである。 とはいえ、親会社的なところに対しては赤字の存在であって、大赤字の存在であって、結局のところ、赤字なのである。 生殺与奪の権は親会社の社長の一存であって、その一存というのも親会社のステークホルダーによって左右され、結局のところ赤字なのだ。 赤字的個人の心情 というわけで、おれは赤字的存在である。 おれはおれの生活を成り立たせるための、十分な生産をしていない。 これが厳然

    人の金で生かされている「赤字人間」に生きる価値はあるのか
  • 比較されて、負けてしまった人間に救いはあるのか

    マックス・シュティルナーが言ったかもしれないこと 栗原康という人の『何ものにも縛られないための政治学』というを読んだ。 そこに、マックス・シュティルナーという思想家の考え方が紹介されていた。 シュティルナーは自由主義を三つに分けたという。 (一)政治的自由主義……カネによる支配 (二)社会的自由主義……社会による支配 (三)人道的自由主義……人間的なものによる支配 政治的に自由になる。すると、人はカネによって上に立ったり、下に置かれたりする。カネがすべてを支配する。 それじゃあいけねえとなって、金持ちが支配するなんてやめて、社会のためにみんなやっていこうとなる。 みんながみんなのために。一見、悪くない。 だが、その世界ではかられるのは、人がいかにみんなのために、社会のためになることができるかどうかだ。 みんなのためにならないことは評価されないし、みんなのためにならない人間は糾弾され、排除

    比較されて、負けてしまった人間に救いはあるのか
  • 人には、持って生まれた「行動ポイント」のようなものがある

    持って生まれた行動ポイント 人間には、どうも持って生まれた行動ポイントというようなものがあるように思える。 「行動力」とすると、ちょっと意味が広がりすぎてしまうので、あくまでゲーム的な「ポイント」だ。 1ターンの間に1回行動できます、あるいは2回行動できます、それとも、10回? 自分は、かなり少ない行動ポイントしか持たずに生まれてきた人間のように思える。 なにかにつけ、だるい、面倒くさい、やる気がしない……。 1ターンのうちに1回なにかできればましな方だ。子供の頃から、そうだった。 これがもう、年を取り、さらに精神に障害を抱えてからは、さらに極まってきた。 いや、そこまで極まる前からそうだった。 ニートをしていたら、実家が失われ、一家離散という目に遭って、極貧の一人暮らしをしはじめたときからそうだった。 貧しさと選択肢 貧しいと、なにかをする選択肢が減る。 「貧乏だって、いろいろな楽しみが

    人には、持って生まれた「行動ポイント」のようなものがある
  • 嫌われていたはずのコンビニは、いつの間にか田舎の若者たちの「社交場」になっていた。

    田舎のコンビニについての話をしてみたい。 私は東北地方のとある県に生まれて、3歳くらいまでそこで育った、らしい。 らしいというのは、私の子どもの頃の記憶が極めて薄弱で、ある程度はっきりした記憶が残り始めるのは小3の秋くらいから、当然3歳までの記憶など全くなく、「生まれ育った」というのは単なる伝聞だからだ。 人に話を聞いていると、この「小3くらいからしか記憶がない」というのは、どうもかなり遅い方らしい。 近所の公園の公衆トイレの建物の上で踊っていたら派手に転落して、頭を12針縫う大けがをしたことがあって、その案件が私のほぼ初めての記憶である。 この時の怪我の跡は今でも私の頭にはっきり残っていて、触ると指先が軽くデコボコを感じる。 何故そんなアホなことをやったかというと、私は幼少期から高い場所が大好きで、なんらかの構造物について「登れそう」と判断すると、それがどんな場所だろうとおもむろに登り始

    嫌われていたはずのコンビニは、いつの間にか田舎の若者たちの「社交場」になっていた。