ブックマーク / plagmaticjam.hatenablog.com (7)

  • アンチマンと清潔主義~掃除されるミソジニーについて~ - メロンダウト

    アンチマンを読んでミソジニーについて書きたくなった とりあえずこの辺境ブログにやってきた読者諸氏にはぜひアンチマンを読んでいただきたい。 comic-action.com 読んだ瞬間、なぜかシロクマ先生の「健康的で清潔で、道徳的な秩序ある社会の不自由さについて」を思い出した。シロクマ先生の著書は清潔主義とそれを支える道徳などについて書かれているもので、日社会に薄っすらと張られている「膜」のようなものを言語化しただと個人的には思っている。いわゆる清潔主義や健康主義といったものだ。 実際、日の衛生観念、特に東京などの都市部におけるそれは世界でも屈指のものだ。意識レベルでも清潔主義は国民の間に広く根付いており、昨年のワールドカップの時にもスタジアムのゴミを拾う日人観客が話題になっていたりと日人の清潔に関する意識は世界一と言って良いものだろう。諸外国でここまで清潔な都市・国は他になく、衛

    アンチマンと清潔主義~掃除されるミソジニーについて~ - メロンダウト
    rotting_corpse
    rotting_corpse 2023/06/06
    「そしていまや『ここは異世界です』というテイを取らなければ表現できる範囲が限定される」
  • 日本でストライキが起きないのは正社員制度ゆえではないか~多様性の起源から考える~ - メロンダウト

    僕もややもすると黙って死ぬかもしれないので書けるうちに書いておこう。 シロクマさんのシロクマさんらしい記事 p-shirokuma.hatenadiary.com アトム化した個人はどこからきたのかというと、結論から言えば正規雇用と非正規雇用の溝からではないだろうか。 氷河期世代を論じる際、その論調の多くは「個人の努力」や「時代的な不運」などの身もふたもない話に回収されてしまいがちであるが、現実のシステムのほうがはるかに重大な問題であるように見える。 ・日における多様性の起源 前提として確認したいのが、氷河期世代の前と後における最も大きな違いはみなが正社員になる企業社会が終了したことにある。 バブル崩壊以前の日は一億総中流と言われ、その時代には生き方としてのスタンダードがあったと見聞きする。男性は正社員で働き女性は専業主婦、終身雇用を前提に35年ローンで家を建て、老後は年金生活のような

    日本でストライキが起きないのは正社員制度ゆえではないか~多様性の起源から考える~ - メロンダウト
  • 吉本隆明と小山田圭吾に見る時代性への私見 - メロンダウト

    隆明『貧困と思想』を読んでいてこんな一節を見つけた (戦中の心理を振り返る段にて) 国家のために死ねるかという問いにたいして、国家のためというのは僕には軽すぎて、命と取り換えるところまではいかないのですよ。それなら国家のためというのを自分の家族の安全を守るためと言い換えても、それで命と取り換えられるかというと、どうにも軽い。そこは考え詰めたのです。というのもどうせ死ぬと思っていましたからね。徴兵検査が済んだら兵隊へ行って死ぬのは決まっているのだと。先輩達がそうでしたからね。だからそこのところを解いていないと、どうにも自分が定まらないのですよ。自分は徴兵検査して、兵隊に入ったら死ぬのだ、ということ以上の命を考えることは無駄だと思っていましたから、考え詰める。しかしどうしても国家のためとか、家族のため、同胞のためというのは軽すぎるので、どんどんと突き詰めていくと、宗教としての天皇、現人神と

    吉本隆明と小山田圭吾に見る時代性への私見 - メロンダウト
  • 自由の代価、漂白される社会、マッチングアプリ~保守すべき自由とはなんだったのか~ - メロンダウト

    排除アートに類するものはもう何年も前から問題になっていた。開沼博さんが『漂白される社会』を書いたのは2013年。もう何年も前に読んだっきりなので細部までは覚えていないが、著書の中では売春島、ネットカフェ難民、貧困ビジネスなどについて書かれていた。この社会が「漂白」され周縁に押しやられた人々が持つリアリティーに光をあてただった。排除アートも同様の構造を持っている。喫煙なども近年になり社会から漂白されたものの代表と言えるであろう。開沼さんだけでなく最近だと朝井リョウさんの『正欲』も同様の問題意識を持つ作品だと言える。 オウム真理教の地下鉄サリン事件を原因として街中からゴミ箱が撤去され、公園で飲酒するような中年の日常も風景としてはなくなり、道路で遊ぶ子供もいなくなり、街はとても綺麗になった。一方で「アーキテクチャーとしての街」はどんどん不自由なものになってきた。一見すると清潔に見えても場所ごと

    自由の代価、漂白される社会、マッチングアプリ~保守すべき自由とはなんだったのか~ - メロンダウト
  • 反インターネット論者としてのひろゆき - メロンダウト

    2ちゃんねる創設者のひろゆき(敬称略)がインフルエンサー2位になり、政府に助言したと話題になっている。賠償金云々の問題は脇に置いておくとして、なぜ彼があそこまでウケているのだろうか。 個人的に、ひろゆきは反インターネット論者だと思っている。ひろゆきほどに日のインターネットを代表する人間はあまりいなく、彼をネット論客として見る向きもあるけれど、むしろ逆なのではないだろうか。 近年、ネット上ではエコーチェンバー(先鋭化)現象が事を欠かず、政治的な議論においては党派性に埋没したものを多く見かけるようになった。ツイッターをはじめとしたネット空間でのそれは多くの人から見ると「近づきたくないもの」に成り果ててしまったのだろう。下手なことを書けば立花や福永や「は」の人に訴えられてめんどくさいことになる。君子危うきに近寄らずではないが、政治や議論が党派性に吸収されるとNoと言うことすらできなくなり、しま

    反インターネット論者としてのひろゆき - メロンダウト
    rotting_corpse
    rotting_corpse 2021/06/27
    ブログ離れが起きてる一方でインスタやtiktokが流行ってるのって、ネット上で活字で行われるコミュニケーションの不毛さに疲れる人が増えてきたからなんかな
  • いかにして恋愛は理性的なものへ落ちたか~弱者男性論とフェミニズムのマッチポンプ~ - メロンダウト

    デビットライス( id:DavitRice )さんの記事を読んで思ったのだけど、こういう社会的文脈での弱者男性女性論ってそもそも論として違和感がある。 gendai.ismedia.jp 実際問題として統計上、恋愛しない人が増えているうえに少子高齢化も喫緊の問題なので恋愛が社会的な文脈で語られるのはわかる。しかし恋愛を社会的に語れば語るほど「語るに落ちる」ことになっている。 大前提として人間は社会の駒である側面と、そうでない側面を持っている。仕事などは前者の側面のほうが強いが、恋愛は後者の領域なので社会的駒としての文脈で語るとおかしなことになる。 恋愛を過度に社会的なものとして語ると恋愛が社会に飲み込まれてしまう。実際にマッチングアプリなどではそういう「社会的駒としての恋愛」が日常になっているのを見るにつけ、すでに恋愛恋愛ではなくなり、取引になっている側面があることはみなが感じていること

    いかにして恋愛は理性的なものへ落ちたか~弱者男性論とフェミニズムのマッチポンプ~ - メロンダウト
    rotting_corpse
    rotting_corpse 2021/04/05
    イヌネコに癒されるのって可愛いだけじゃなくて理性的じゃないところもあるんかな
  • 本当になんで日本でベーシックインカムやらないんだろう - メロンダウト

    なんか一時期すごい盛り上がってたよね。ベーシックインカム論争。実際に成功と言える例も出てきたみたい gigazine.net 自分も昔記事を書いたけど plagmaticjam.hatenablog.com 最初になんかベーシックインカム面白いなあと思ったのがこの動画だった。ホリエモンはこういう議論系の番組に出てる時はすごい面白いんだよね。 とはいえベーシックインカムについては上の記事で自分が書きたいことは書いてしまったのでもう書くことはほとんどないんですよね。細緻な議論は動画を見てもらったほうがよくわかると思う。 なので一番上の記事を読んで思ったことなんだけど 「時間ができる」ってのは当に重要なファクターだなと感じた。 最近、テレビをつけたらタレントのヒロミさんがDIYとバイクのカスタムを自宅でやってるっていう番組があった。彼は富裕層といっていい人だと思うけれど金を持っている人って暇だ

    本当になんで日本でベーシックインカムやらないんだろう - メロンダウト
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