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ブックマーク / diary.lylyco.com (2)

  • 読まれる記事にはやっぱりそれなりの文章技術が要る|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ブログはネタが命だ、という点に疑問の余地はない。 ・読まれる記事を書くために、文章技術よりもはるかに有効なこと - 分裂勘違い君劇場 ただ、勘違いしてはいけない。「分裂勘違い君劇場」はそれなりの文章技術を背景にして書かれている。さらには、フォント弄りや箇条書きなどの視覚表現も含めて「伝わりやすさ」に相当な配慮がなされている。が、そうした副次的な要素を別にしても、fromdusktildawn氏の文章はかなり通りがいい。いわゆる文芸的な「味わいのある文章」や「独特の癖のある文章」ではない。ただ、言葉はよく選ばれているし、リズムも悪くないと思う。リンク先の冒頭部分を文字修飾や改行抜きで読んでみたけれど、やっぱり十分に読みやすい。修飾、改行抜きにしたものを少し引用してみる。 ブログ記事をより多くの方に読んでいただくために、小手先の文章テクニックや場当たり的なアクセス稼ぎテクニックなどよりもはるか

  • 興味のないものは本当に見えなくなる|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    以前、式神の正体はアンタッチャブルだった、というような小説を読んだことがある。 それにしても、フルHDのテレビで観るDVDは酷く画が粗い。DVDの低い解像度を無理やり引き伸ばして表示しているのだから、これは仕方のない話である。彼女はあまりこうしたものに興味がない。すると、途端に会話が成り立たなくなる。明らかに粗いと主張するぼくに対して、彼女の反応はあまり芳しくない。どこが気になるのかまるで分からないらしい。地上デジタルの放送と比べても明らかに見劣りする画質である。その差が知覚できないはずはない。つまり、知覚はしていても有意な差異として認識はしていないらしいのである。そして、言葉になるのは知覚ではなく認識だ。 そこにあっても見えないものは「差異」だけではない。街中では他人が見えなくなる。知覚はしても、認識はしない。だから、ケータイで痴話喧嘩もできるし、レストランで事もできる。電車やバスで物

    rouxril
    rouxril 2009/05/10
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