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思想-フーコーに関するrrmmjjffのブックマーク (2)

  • なぜ現代の最大のイデオロギーは「商品」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    お風呂に入ると行為への意識が飛ぶ ボクはお風呂に入ると行為への意識が飛ぶことがある。お風呂は暖かくて血の巡りが良い、密室で集中できるなどあるからだろう。頭がよくまわる。いろいろ考えごとをしていて気がつくとお風呂から出ている。体を洗ったことは覚えているが、あれ隅々まで洗ったかな?と考える。考えとは別に行為が進められる。体の洗い方は毎日反復しているので自然と体が動くので、いちいち意識する必要がないのだ。 このようなことはそれほど珍しいことではない。たとえばいまPCのキーボードを叩いているが、いまS、次Aと意識などしていない。言葉にそって勝手に指が動いている。ボクはローマ字シフトであるが、これがひらがなシフトでの入力となると、キーボードを睨んで、「さ、さ、さ・・・あった!」と羽目になるだろう。意識はキー探しするためにフル活動で他のことには回らないだろう。 人が様々に行為するためにはいちいち意識せ

    なぜ現代の最大のイデオロギーは「商品」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 談 Speak, Talk, and Think

    「生-権力」はどのように現れるか 杉田敦 Atsushi Sugita 生-権力というのは国家権力を通じて現れるわけですが、必ずしも否定的なものとして出てくるとは限らない。 ある場面では、ポジティヴにも解釈できることもあるんです。生-権力とは、そういう二面性をもっている。 というか、そもそも権力というもの自体が、二面性をもっているものなんです。 生-権力にしても権力のメカニズムにしても、いいか悪いかというものではなくて、そこに既にあるものなんです。 それをどのように受け入れるかは、個人の問題であり、自分の問題です。 すぎた・あつし 1959年群馬県生まれ。東京大学法学部卒業。現在、法政大学法学部教授。政治理論専攻。著書に、『境界線の政治学』岩波書店、2005、『デモクラシーの論じ方』ちくま新書、2001、『権力』岩波書店、2000、共著書に、『社会の喪失』中公新書、2005、訳書に、『アイ

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