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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (8)

  • なぜ犯罪が暴力化するのか 動物化論の限界 その1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    1)欲求、欲望、享楽 まず欲求、欲望、享楽の違いについて、わかりやすく「」を例に説明しましょう。 欲求・・・「動物」的。空腹だ→べた→満腹だ。 欲望・・・「人間」的。みんな(他者)が望むものがほしい。彼がべているラーメンうまそうだいやテレビでやっていた寿司がうまそうだいやおしゃれなレストランでべると味が違うよね。たくさん頼んでちょっとずつべるか・・・と終わりがない。たかだが60億人で地球の資源の枯渇が問題になっていますが、人も動物のように欲求するだけならこのようなことはおこらないでしょう。 享楽・・・「狂人」的。すべてのものはべ飽きた→あとべてみたいものは人肉だけだ。享楽は近親相姦など社会的なタブーに関係します。より日常的にいえば拒症や過症など。 2)社会学的な動物化論 「動物化」とは、豊かな社会では容易に料が手にはいるために、もうあれをべたい、これをべたいという、

    なぜ犯罪が暴力化するのか 動物化論の限界 その1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/10/15
  • まなざしの快楽 - なぜ「感情労働」は「マクドナルド化」によって対処されるのか

    「感情労働」時代の過酷 以下の「「感情労働」時代の過酷」の記事は現代の傾向を象徴しているのではないだろうか。 「感情労働」時代の過酷 (AERA:2007年06月04日号)  http://www.asahi.com/job/special/TKY200706050068.html 看護の領域などで知られる、「感情労働」という言葉がある。「肉体労働」「頭脳労働」と並ぶ言葉で、人間を相手とするために高度な感情コントロールが必要とされる仕事をさすものだ。・・・平たく言えば、働き手が表情や声や態度でその場に適正な感情を演出することが職務として求められており、来の感情を押し殺さなくてはやりぬけない仕事のことだ。・・・そしてここにきて、この「感情労働」があらゆる職種に広がり始めている。 ・・・「ひと相手の仕事は昔からあっただろうと、働く側の問題点を指摘する声もありますが、一概にそうではないと考えま

    まなざしの快楽 - なぜ「感情労働」は「マクドナルド化」によって対処されるのか
  • デカルトによるコギトの発明 <わたくし的読解>二日目 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    1)フーコーの権力論と主体の不在 昨日の続きですが、フーコーは19世紀ごろに全面化した生政治を明らかにしました。生政治は生権力と規律訓練権力の両輪でできています。生権力は国家内の人口をいかに管理・運営するか。それによってグローバルな国家間の競争に勝っていくこと、それぞれが競争することによる均衡が目指されます。このような国家的な戦略は規律訓練権力によって末端へと実践されます。規律訓練は管理された環境によって、身体を訓練・教育する装置です。学校、企業、病院などなど。 しかし間違いが多いのですが、これは必ずしも軍隊のように画一した身体を作り出す強制的なものではありません。目的は経済的な競争力であり、国力に役立つ人材の育成のために、自主的で、向上心があり、創造的な人材が求められます。日人が4人もノーベル賞を取りましたが、彼らのような人々が国を挙げて歓迎されるのは、日の生政治の成果とされるからで

  • なぜ東浩紀はすごいのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「動物化」という新時代宣言 東浩紀を象徴する言葉といえば「動物化」でしょう。「動物化」という考え方は既存言論のカウンターと位置づけられます。日の言論文化には文化サヨ的(主知主義的)な傾向が根強く残ります。「世界を理解しつくし世界を設計しなおせる。」このような傾向は東の登場前にすでに時代遅れなものと考えられ、パロディ、アイロニーへの転倒が行われていました。しかしこのような転倒さえ重たい。そこにはまだ言葉(思想)への執着がある。すでに若者はもっと軽く、世界にアディクションしていると訴えたのが東の「動物化」です。 これは社会への訴えというよりも、言論文化への訴えの意味が大きいでしょう。それまで時代の寵児とされていた浅田や宮台なども、もはや新たな若者文化からはズレているという新たな世代の言葉の到来を宣言したといえます。 そしていつの時代も一定数いる言論少年たちはいままでの言論を言語過剰で古いもの

    なぜ東浩紀はすごいのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 2008-12-17

    1)環境と「単位としての行為」 どのような行為にもうまいへたはある。山道の歩き方、字の書き方、ボタンのとめ方・・・。うまい行為とは環境との良好な関係だろう。良好とは経済性である。環境との関係においていかに労力少なく結果にいたるか。反復した環境との関係が上達を生み出し、それはまた「単位としての行為」となる。 環境は耐えず変化する。そして環境と行為の関係が一回限りでは上達するどころか行為という単位をもちえない。運動が(単位としての)行為となるためには環境に対して反復して上達することである。 2)社会とものまね行為 環境の中でも重要であるのは社会である。社会とは人の環境である。鏡像関係と言われるように他者の行為を真似ることは行為を形成する上でも特別である。行為を手に入れるための時間短縮できるハイウエィである。人は一から環境との関係から「単位としての行為」を生み出すことはほとんどなく、他者を真似る

    2008-12-17
  • なぜ現代の最大のイデオロギーは「商品」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    お風呂に入ると行為への意識が飛ぶ ボクはお風呂に入ると行為への意識が飛ぶことがある。お風呂は暖かくて血の巡りが良い、密室で集中できるなどあるからだろう。頭がよくまわる。いろいろ考えごとをしていて気がつくとお風呂から出ている。体を洗ったことは覚えているが、あれ隅々まで洗ったかな?と考える。考えとは別に行為が進められる。体の洗い方は毎日反復しているので自然と体が動くので、いちいち意識する必要がないのだ。 このようなことはそれほど珍しいことではない。たとえばいまPCのキーボードを叩いているが、いまS、次Aと意識などしていない。言葉にそって勝手に指が動いている。ボクはローマ字シフトであるが、これがひらがなシフトでの入力となると、キーボードを睨んで、「さ、さ、さ・・・あった!」と羽目になるだろう。意識はキー探しするためにフル活動で他のことには回らないだろう。 人が様々に行為するためにはいちいち意識せ

    なぜ現代の最大のイデオロギーは「商品」なのか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 「肉食系女子」は日本を救うか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    「草系男子」と「肉系女子」 「草系男子」、「肉系女子」という言葉が流行っているらしい。ボクはセックスが好きだし「草系」ではないと思うけど、彼女にまったく頭が上がらない方だ。まあその方が楽というのはある。過剰な「責任」を緩やかにかわす、とでもいうのだろうか。「責任」とは「男は強くあれ、女性を養うのが男のカイショウ。」というような日的な慣習なのだろう。 「草系男子」、「肉系女子」という表現は、「女性は強くなった」とともに、いまも日は根強い男性社会であるということの新たな表現ではないだろうか。 安定志向の「草系男子」  http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/mixnews/20090217ok02.htm 「草系男子」。異性と友達感覚で付き合い、酒を飲んでも乱れず、堅実な暮らしぶりが共通点だ。・・・「最近の20〜30歳代の男性は異性にガ

    「肉食系女子」は日本を救うか - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 脱構築を脱構築する(全体) ラカン的、デリダ的主体論 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    *所々、未完成です。しばらく完成を目指すほどの時間がないので、とりあえずおきました。ご興味のある方はどうぞ。 1 収束(主体)−拡散(動物) 2 否定神学/脱構築 3 マクドナルド化と動物化 4 収束−発散構造論 5 終わりなき連鎖としての否定神学−脱構築 1 収束(主体)−拡散(動物) 1) デリダの構造論と倫理論 たとえば「日人」を考えましょう。日人は、「日人」に対して、「われわれ日人というのは・・・」「日人だから・・・」と、そこに共有された意味があるように語ります。 デリダはこれを形而上学と呼びます。「日人」というエクリチュールは、様々な場面の中で、その都度その都度、使われ、その都度その都度の意味を持つものでしかありません。「日人」というような共有された同じ意味は、そのはじめ(過去)にあるわけではなく、あるようにふるまっているのです。 脱構築とは、このような形而上学に対

    脱構築を脱構築する(全体) ラカン的、デリダ的主体論 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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