1)フーコーの権力論と主体の不在 昨日の続きですが、フーコーは19世紀ごろに全面化した生政治を明らかにしました。生政治は生権力と規律訓練権力の両輪でできています。生権力は国家内の人口をいかに管理・運営するか。それによってグローバルな国家間の競争に勝っていくこと、それぞれが競争することによる均衡が目指されます。このような国家的な戦略は規律訓練権力によって末端へと実践されます。規律訓練は管理された環境によって、身体を訓練・教育する装置です。学校、企業、病院などなど。 しかし間違いが多いのですが、これは必ずしも軍隊のように画一した身体を作り出す強制的なものではありません。目的は経済的な競争力であり、国力に役立つ人材の育成のために、自主的で、向上心があり、創造的な人材が求められます。日本人が4人もノーベル賞を取りましたが、彼らのような人々が国を挙げて歓迎されるのは、日本の生政治の成果とされるからで