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歴史-帝国に関するrrmmjjffのブックマーク (2)

  • <帝国>とポストコロニアリズム――「移行」をめぐる覚書

    はじめに アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『<帝国>』【注1】は,2000年の発売以来世界的に注目を集めつづけ,大学出版としては異例のセールスを記録しながら,アカデミーの垣根を越えて――とりわけインターネット上を重要な議論の空間としながら――さまざまな評価を呼んできている.それらの評価の中には,「<帝国>という分析枠組みが,ポストコロニアリズムにとって代わる新しい枠組みとなりつつある」といった内容のレヴューや書き込みも散見された. この小文は,今となってはどこでどの程度語られていたのかも確かめようのない,こうした評言を読んだときに私が感じていた違和感をめぐって書き起こされている.というのも,私のそのような違和感は,日の大学や出版ジャーナリズムをとりまいてやはり同じように散見される,一種の「ポスコロ嫌い」の風潮への危機感と重なっており,そうした風潮がネグリ=ハートの『<帝国>』の読

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/02/12
    「彼らがこのように述べるのは,ポストモダニズムやポストコロニアリズムの理論家たちが擁護している「差異,移動性,異種混淆性の政治」が,まさにロバート・ライヒの著書に表われるように,いまや資本の戦略と世界市場のイデオロギーを支えるものになっている,という認識によっている.ポストモダンな生産の体制によって特徴づけられる<帝国>は,差異や多様性や流動性を抑圧するどころか,むしろ積極的に必要としている.それらは<帝国>的権力の「可能性の条件」でさえある.要するに,「権力はかれらが攻撃している砦をすでに引き払ってしまい,差異の名においてかれらの襲撃に自ら加わるべく,その背後に回りこんでしまったのだ」.したがってポストモダニズムやポストコロニアリズムの理論家たちのしていることは,まったくの空振りだということになる. 」
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