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ブックマーク / homepage2.nifty.com/~islands (5)

  • islands

    Ver. 1.40, 2008.09.30.     islands (at) mbe.nifty.com

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    rrmmjjff 2009/02/12
    「浜 邦彦 HAMA Kunihiko 」
  • <帝国>とポストコロニアリズム――「移行」をめぐる覚書

    はじめに アントニオ・ネグリとマイケル・ハートの『<帝国>』【注1】は,2000年の発売以来世界的に注目を集めつづけ,大学出版としては異例のセールスを記録しながら,アカデミーの垣根を越えて――とりわけインターネット上を重要な議論の空間としながら――さまざまな評価を呼んできている.それらの評価の中には,「<帝国>という分析枠組みが,ポストコロニアリズムにとって代わる新しい枠組みとなりつつある」といった内容のレヴューや書き込みも散見された. この小文は,今となってはどこでどの程度語られていたのかも確かめようのない,こうした評言を読んだときに私が感じていた違和感をめぐって書き起こされている.というのも,私のそのような違和感は,日の大学や出版ジャーナリズムをとりまいてやはり同じように散見される,一種の「ポスコロ嫌い」の風潮への危機感と重なっており,そうした風潮がネグリ=ハートの『<帝国>』の読

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    rrmmjjff 2009/02/12
    「彼らがこのように述べるのは,ポストモダニズムやポストコロニアリズムの理論家たちが擁護している「差異,移動性,異種混淆性の政治」が,まさにロバート・ライヒの著書に表われるように,いまや資本の戦略と世界市場のイデオロギーを支えるものになっている,という認識によっている.ポストモダンな生産の体制によって特徴づけられる<帝国>は,差異や多様性や流動性を抑圧するどころか,むしろ積極的に必要としている.それらは<帝国>的権力の「可能性の条件」でさえある.要するに,「権力はかれらが攻撃している砦をすでに引き払ってしまい,差異の名においてかれらの襲撃に自ら加わるべく,その背後に回りこんでしまったのだ」.したがってポストモダニズムやポストコロニアリズムの理論家たちのしていることは,まったくの空振りだということになる. 」
  • エスニシティ

    エスニシティ 「エスニシティの定義は,研究者の数だけある」と言われるが,稿は「エスニシティとは何か」を説明しようとするものではない。ただ「エスニシティ」が論じられる際の理論的な関心について,いくつかの注意を促すことだけが目的である。 エスニシティ研究とナショナリズム研究とは,多くの場合重なっていない。この研究上の分断は興味深い現象だが,これは両者の関心の方向がそもそもかなりの程度異なっていることを予想させる。ナショナリズム研究は「過去」をいかに相対化するかという点に理論的な関心を寄せるが,「エスニシティ」の研究は,おそらくより同時代的な関心に基づくものだ。まず,「民族」を論じるのは主に人類学の領域だろうが,「エスニシティ」はむしろ政治学の用語であることを押さえておきたい。さらに,「エスニシティ」は「民族性」(national character)ではない。むしろ古典的な「民族」論が通用し

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    rrmmjjff 2009/02/12
    ナショナリズム研究は「過去」をいかに相対化するかという点に理論的な関心を寄せるが,「エスニシティ」の研究は,おそらくより同時代的な関心に基づくものだ。まず,「民族」を論じるのは主に人類学の領域だろうが,「エスニシティ」はむしろ政治学の用語であることを押さえておきたい。さらに,「エスニシティ」は「民族性」(national character)ではない。むしろ古典的な「民族」論が通用しなくなってきた,1960年代以降のアメリカ合州国をはじめとする世界各国の状況から,「エスニシティ」という術語は登場したのだと解するべきだろう。その状況とは,世界的な民族解放・独立の波を背景とし,公民権闘争をはじめとするマイノリティの政治的要求が噴出し,先進国におけるエスニック紛争が顕在化してきたこと,そして移民・難民問題が国際的に大きな議題となってきたことなどが挙げられる。最後のものを別にすれば,これらはいずれも「人種」「民族」として考えられてきたものが,政治的な存在として前面に出てきた状況として特徴づけられるかもしれない。
  • 歴史学的認識の限界

    タイトルからはじめよう.「母たち」とは,ゲーテの『ファウスト』の有名な一シーンで,恐れおののくファウストがメフィストフェレスに導かれてゆく,「そこには場所も時間もない」ような「母たちの国」からとられている.これは現在もっとも注目すべきイタリアの歴史家カルロ・ギンズブルグが,その問題作『夜の歴史』(竹山博英訳『闇の歴史』せりか書房,1992年)のエピグラフに掲げたものである.一方,上村忠男はギンズブルグとの批判的対話を試みた書『歴史家と母たち』の冒頭でこの「母たちの国」に触れながら,場所と時間こそが歴史学が成立するための必要不可欠の条件であると述べている.「歴史家」と「母たちの国」.「と」で無雑作につながれたこの関係は,むろん穏やかなものではあるまい.上村が『夜の歴史』の批判的読解を試みた書の第1論文「歴史家と母たち」をそのまま書のタイトルに掲げるとき,それは書の全体を貫く問題がどこ

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    rrmmjjff 2009/02/12
    そして,通時的次元を共時的次元の中に統合する<構造>概念によって徹底した<歴史>批判を行ったレヴィ=ストロースに対し,ギンズブルグは人間の生きられる経験の共時的次元を,あくまでも通時的次元にある<歴史>において説明する困難な任務を自らに課すのである.
  • 「人種」の解体と国民の記憶

    1.クレオールな国民 1962年にイギリス領から独立したトリニダード・トバゴ(1976年に共和国)は,その石油資源によって比較的豊かな経済水準を実現し,カリブの「モデル・ネイション」としての名誉ある地位を目指しつづけてきた。トリニダード・トバゴの観光客向けの自画像は,ふりそそぐ陽光,トロピカルなビーチ……といったカリブの島々の観光イメージとはいささか異なっている。そこは何よりもカーニヴァルの島であり,カリプソやスティール・バンドが生まれた島であり,また世界的な作家や多くの優れた才能を輩出しつづけてきた「文化」の国である。この「文化」を支えているのが,世界のあらゆる地域からやってきた多民族・多人種の平和的共存であるとされる。それは共和国の国是であり,国民の誇りでもある。 他者を排除しない国民的な誇りというものがありうるとしたら,トリニダードの公式ナショナリズムはそれを自覚的に追求してきた点で

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    rrmmjjff 2009/02/12
    「植民地主義が国民主義の語りをもつとすれば,帝国主義は多民族主義の語りをもつ。植民地主義が他の民族性を認めない一国民への「同化」の論理だとしたら,帝国主義は多民族主義を通じて支配する。そう考えておくなら,これが「帝国主義」であるのはおそらく偶然ではないだろう。ウィリアムズが反対していたのは,世界中に散在するイギリス領植民地の諸民族(nations)を,支配的な一国民が恣意的に自らのものにしている論理だったのである。 」
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