「網野歴史学に何を見るべきか」(「季刊東北学第1号」 東北芸術工科大学 2004)より(筆者:中村生雄): 「国民的歴史学」の経験 ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』が新鮮なインパクトとともに盛んに引用された時代はすでに遠くなり、「国民」や「日本人」が近代という時代の想像の所産にすぎないことはいまや常識となった。20年まえのアンダーソンによる衝撃発言は、いまでは、誰もがそれを議論の前提とする共通の土俵となった。言い換えると、国民国家をめぐるもろもろの問題は、それらが、作為され、構築され、想像されたものであることを自明の出発点として論議されねばならないという共通了解が定着したのである。 近代による作為と想像の所産、そう理解されるべきだと言われるものは、日本人・日本語という観念や制度、古典や歴史をめぐる知のありかた、恋愛感情や家族間の愛情という心の作用まで、すこぶる広範囲である。そし