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歴史-歴史認識に関するrrmmjjffのブックマーク (2)

  • 歴史学的認識の限界

    タイトルからはじめよう.「母たち」とは,ゲーテの『ファウスト』の有名な一シーンで,恐れおののくファウストがメフィストフェレスに導かれてゆく,「そこには場所も時間もない」ような「母たちの国」からとられている.これは現在もっとも注目すべきイタリアの歴史家カルロ・ギンズブルグが,その問題作『夜の歴史』(竹山博英訳『闇の歴史』せりか書房,1992年)のエピグラフに掲げたものである.一方,上村忠男はギンズブルグとの批判的対話を試みた書『歴史家と母たち』の冒頭でこの「母たちの国」に触れながら,場所と時間こそが歴史学が成立するための必要不可欠の条件であると述べている.「歴史家」と「母たちの国」.「と」で無雑作につながれたこの関係は,むろん穏やかなものではあるまい.上村が『夜の歴史』の批判的読解を試みた書の第1論文「歴史家と母たち」をそのまま書のタイトルに掲げるとき,それは書の全体を貫く問題がどこ

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/02/12
    そして,通時的次元を共時的次元の中に統合する<構造>概念によって徹底した<歴史>批判を行ったレヴィ=ストロースに対し,ギンズブルグは人間の生きられる経験の共時的次元を,あくまでも通時的次元にある<歴史>において説明する困難な任務を自らに課すのである.
  • 歴史認識問題についていくつか だそうです 4 - himitsu04の日記

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/02/12
    「まず必要だと思われたのは、歴史学の素材となる事実factと、その事実を素材にして歴史家が主観的に構築(想定)する構造やコンテクストと、さらにその外に存在するかもしれない現実だの真実だのとを峻別すべきことである。歴史学は、テクストからいきなり構造やコンテクストを知ろうとは思わないし、いわんやテクストから現実や真実を復元できるなどとは思わない。歴史家は、テクストから、ただ事実だけを復元しようとするのである。
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