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ブックマーク / www6.plala.or.jp (2)

  • パスカル『パンセ』 /トート号航海日誌(読書録)

    「人間は考える葦である」で有名なパスカルの『パンセ』。僕の好きな遠藤周作が「わたしの古典」(『春は馬車に乗って』文春文庫、68頁以下)として挙げているのを見て、読んでみました。ジッド『狭き門』(読書録427)でアリサが何度も『パンセ』を引用していたのも印象に残ってます。書は、前田陽一・由木康訳。 ・パスカル(Pascal, Blaise) 1623-62。フランスの数学者、物理学者、哲学者。幼少のころから数学に天分を発揮、16歳で『円錐曲線試論』を発表し世を驚嘆させる。「パスカルの原理」を発見するなど科学研究でも業績をあげる。後年は「プロヴァンシアル」の名で知られる書簡を通して、イエズス会の弛緩した道徳観を攻撃、一大センセーションをまきおこした。主力を注いだ著作『護教論』は完成を見ることなく、残されたその準備ノートが、死後『パンセ』として出版された。 ▼書の内容 未完成のキリス

    rrmmjjff
    rrmmjjff 2009/10/09
    引用
  • 2節 意識の志向性

    さて、これからじっくりと意識について考えていこうとしているのですが、まず、その前にそもそも意識とは何かという点について明らかにしておく必要があるでしょう。 そもそも意識とは何であると定義すればいいのでしょうか。そして、意識はどこにあるのでしょうか。能の中にあるのでしょうか。胸の内にあるのでしょうか。体全体が意識だと考える方もいらっしゃるでしょう。 どちらにしろ、意識は体のどこかにあるということになります。では、体のどこかにあるということは、どのような事態なのでしょうか。少し考えてみましょう。 現象学の祖、フッサールは 「意識とはつねに何かについての意識」 なのだと考えました。私たちは肉体をもって、この世界にいる限り、意識があるのなら、かならず何かを意識しています。何物も意識していないのに、意識があるという言い方はできないでしょう。何かを意識していない限り、意識はないというべきなのです。 そ

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