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PKと思想-公共圏に関するrrmmjjffのブックマーク (4)

  • 長いのでこちらにしました。 - nppaemonの日記 いいから早く木を数える仕事に戻るんだ

    http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090702/1246468957 私からすれば、id:tikani_nemuru_Mさんは法規制による排除を「言っていないだけ」です。 「エロゲーは他者危害である」と言い、「存在そのものが被害者に深刻な被害をもたらす」と言い、「女性の構造的差別を助長するのだ」と言って来ました。 正直、女性とも接点の無い生活をし、誰にも迷惑を掛けているつもりも無かった、性犯罪被害者女性に心ない罵倒を投げかけた事等勿論無い私からすればいきなり「お前は何もしていなくてもお前の存在その物が女性にとって害悪」「法規制「は」しないが被害に対し責任を取れ」と言われた事になります。 しかも、権力によって自分達「ある種のエロゲーユーザー/製作者」が粛正されかかっている最中に。 最初の印象は「最悪」の一言に尽きました。 あたなが規制を主張してい

    長いのでこちらにしました。 - nppaemonの日記 いいから早く木を数える仕事に戻るんだ
  • 「表現の自由を脅すもの」書評 - 地下生活者の手遊び

    表現の自由を脅すもの (角川選書) 作者: ジョナサンローチ,Jonathan Rauch,飯坂良明出版社/メーカー: 角川書店発売日: 1996/09メディア: 単行 クリック: 59回この商品を含むブログ (22件) を見る 公共的批判の原理 id:takanorikidoから読むようにすすめられた。現在は絶版のようだけど、図書館で借りましたにゃ。いろいろと興味深かったし、あとあと絡んでくる論点も多そうなので、先に紹介しておきますにゃ。 まず、この書籍で目指されている方向性は、科学における学問共同体をモデルにした公共圏構築なのだと考えられますにゃ。ローチ(筆者)のいう「自由科学の社会、批判的社会」とは「お互いの誤りを探す人々の共同体(P105)」なのですにゃ。 「こうした懐疑論的倫理の台頭とその最後的勝利ということは、一体何がそんなに重要なのであろうか。その答えはこうである。懐疑哲

    「表現の自由を脅すもの」書評 - 地下生活者の手遊び
  • 「公共性の構造転換」まとめ - Oh, sad-eyed lady, should I wait ?

    ハーバーマスの「公共性の構造転換」を読んだときのまとめを倉庫においておく。 なお、この話題に関しては、 http://www5c.biglobe.ne.jp/~fullchin/hanada/hanadap1/hanadap1.htm も必須の資料。 近代という時代は、公権力の領域と私人の領域の空間的な分割・分離とともに発生する。 その前史をたどると、それら二つの領域は十六世紀に始まる封建的な諸権力の解体過程から生まれてきたものだといえる。君主や貴族は、その支配力を演出する舞台として「代表的具現の公共性」を設けていた。具体的には様々な衣装や道具を伴った儀式や祭典である。 この舞台装置によって、支配ー被支配関係が可視的に顕現され、支配者としての_体面_が維持された。ここには近代的な意味における公も私もない。 まず、教会権力に対する宗教改革は内面の自由(=信教の自由)という最初の私的自治の圏を

    「公共性の構造転換」まとめ - Oh, sad-eyed lady, should I wait ?
  • 花田達朗教授による公共圏について

    講師紹介 花田達朗(はなだ たつろう) 東京大学社会情報研究所教授 連絡先:<hanada@isics.u-tokyo.ac.jp> 主要著作: 『公共圏という名の社会空間―公共圏・メディア・市民社会』木鐸社、1996年。 『メディアと公共圏のポリティクス』東京大学出版会、1999年。 『カルチュラル・スタディーズとの対話』(共編著)新曜社、1999年。 「パブリックな生活」 『社会情報学 II メディア』(東京大学社会情報研究所編)東 京大学出版会、1999年、25-47頁。 「公共圏に吹く風」『InterCommunication』No.36、Spring 、2001年、98-101頁。 教授と私の出会い 私が花田達朗教授にはじめて出会ったのは、2001年8月22日嵐の夜である。台風が東の海上を今しがた通過したばかりの仙台駅前の画廊でした。そこでは建築家の阿部仁史さんをはじめとする、仙

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