<帝国> グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性 作者: アントニオ・ネグリ,マイケル・ハート,水嶋一憲,酒井隆史,浜邦彦,吉田俊実出版社/メーカー: 以文社発売日: 2003/01/23メディア: 単行本購入: 6人 クリック: 94回この商品を含むブログ (110件) を見る 私たちの基本的な前提はこうなる。すなわち、主権が新たな形態をとるようになったということ、しかも、この新たな形態は、単一の支配論理のもとに統合された一連の国家的かつ超国家的な組織体からなるということ、これである。グローバルな主権形態こそ、私たちが〈帝国〉と呼ぶものにほかならない*1。 グローバリゼーションを、国民国家の衰退と資本主義的論理のグローバルな放縦を批判する文脈やアメリカ帝国論とは異なる視点から、つまり新たな主権形態として登場しつつある〈帝国〉を分析する視点から捉えようとしたネグリ=ハートの代表的著
言葉を濁すとは、意見や主張を記事中に書くときにその意見の論者を明確にせずに一般的なことであるかのような表現にすることを、ここでは指します[注 1]。論争の余地がない主張や意見であれば、そのような表現で記述して構いません。しかし、記述する意見が主流とは言えない偏った意見に該当すると思ったら、主張する論者(意見の持ち主)を文中に明記した上でその意見を書いてください。 言葉を濁す表現により、意見の論者を不透明にさせて、その意見が一般的であるかのように権威づけてしまうおそれがあります。中立的な観点に沿って記事を作っていくために、意見の論者を示さないで良いかは上記の基準に沿って慎重に判断してください。明確に論争の余地がない主張や意見であると根拠を持って示せないのであれば、その意見を述べている主体の名前や姿をはっきりさせることが望ましいやり方です。また、中立的な観点とは別に、言葉を濁した文章では、記述
本当に久しぶりの更新です。 GWが間に挟まったので更新する気が失せてました。 ちゃんと勉強はしていたんだけれどもねぇ。RawlsのPolitical Liberalismを全部読んだし。 とりあえず、休みボケを治すために、これからは真面目に更新することにします。 本日は、『思想』(岩波書店)の867号から論文を検討します。 この号はラディカル・デモクラシーがテーマになっていて、ハーバマスやウォルツァー、ヤングにムフといった大物の論文が掲載されており、現代政治哲学で展開されている理論を追うにはもってこいです。 今日のBGMは友人から借りたバッハの無伴奏パルティータ。バイオリン独奏は聞きなれないね、やっぱり。 千葉眞「デモクラシーと政治の概念-ラディカル・デモクラシーに向けて」『思想』867号 p.5-24(岩波書店、1996年) 1.はじめに-民主主義への幻滅と期待 戦後、わが国の「民主主義
エミール・デュルケーム(デュルケム、デュルケイムとも、Émile Durkheim、1858年4月15日 - 1917年11月15日)は、フランスの社会学者。オーギュスト・コント後に登場した代表的な総合社会学の提唱者であり、その学問的立場は、方法論的集団主義と呼ばれる。また社会学の他、教育学、哲学などの分野でも活躍した。 デュルケームはフランスのロレーヌ地方のエピナルで代々敬虔な信仰を保持したフランス系ユダヤ人の家系に誕生している。父親と祖父はラビであった。また彼の教え子と友人の多くはユダヤ人であり、血縁者であった。 しかし、彼自身は世俗的な人生を送っている。事実、彼の業績の多くは宗教現象が天与の要素よりはむしろ社会的なそれに起因していることを実証したものであった。 彼はパリの高等師範学校(エコール・ノルマル・シュペリウール)で学んだ後、リセで哲学の教授を務めた。1886年にはドイツに留学
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