ブックマーク / suumo.jp (117)

  • 都内「区境」での暮らしは飽きることがない【杉並〜中野〜渋谷】 - SUUMOタウン

    著: 森原優 招かれた客人のように笹塚に住む 「大学に入ったのだから勉強を頑張りなさい」。厳格な祖父の言葉に従い、勉強というか研究に没頭しすぎてしまった結果、私は西日にある母校を休学という形で離れ、東京の研究機関にしばらく勤めていた。 当然、卒業は後ろ倒しになり、人より少し遅れて社会に出ることになった。大学の同期はとうに就職しており、「勉強を頑張りなさい」と言っていた祖父が、この後のくだりで多少怒りに打ち震えたと噂に聞いたが、私は二つ下の弟と「社会人同期」になった。 東京にいるあいだ、研究で何度か接したマスコミの世界に魅力を感じた私は、そのまま何も考えることなく“煌びやかな”マスコミ業界に入ることを決めた。会社は渋谷にあり、最初の数カ月は笹塚にある研修用のマンションに転がり込むことになった。そうして私は、笹塚という街に、招かれた客人のような態度で住み始めた。 笹塚駅の乗降客数は近隣の駅と

    都内「区境」での暮らしは飽きることがない【杉並〜中野〜渋谷】 - SUUMOタウン
    rrringress
    rrringress 2022/03/24
    バスがあればまあまあ便利かな。キャンティて神楽坂にもあるやつかな。有名なのか
  • “なんにもない”と思ってた。離れて気づいた、浅草への愛(文・チヒロ) - SUUMOタウン

    著: チヒロ(かもめと街) 「どこに住んでいるの?」と聞かれて「浅草です」と答えるときはいつも、声がうわずるような感覚があった。 みんなが知っている観光地であり、歴史のある東京下町の代表格である浅草に暮らしているんだぞ、という謎の自負を持っていたからだろう。同級生が有名人になって、「あいつ、俺の知り合いなんだぜ」としょうもない自慢をするのに似ている。 そんなふうに浅草の認知度に幾度となく頼りながら、結婚して浅草を離れるまでは、地元を好きになんてなれなかった。 浅草は、1年を通して行事に彩られた街である。たとえば、東京の三大祭りとして知られる三社祭。 その日が近づくと、街全体がソワソワしているのを感じる。実際に、ふだんはどちらかというと寡黙なわたしの父も、お祭りの当日は人が変わる。丸一日、町会の神輿について周った後は、仲間とお酒を飲み、真っ赤な顔で帰ってくる。一年でベスト・オブ・ハイテンショ

    “なんにもない”と思ってた。離れて気づいた、浅草への愛(文・チヒロ) - SUUMOタウン
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    rrringress 2022/03/16
    いい写真だな
  • 調布市を胸に生きた20年間――オランダ少年がそば好きに成長する街(文・クラベ・エスラ) - SUUMOタウン

    著: クラベ・エスラ 2002年の夏休み、オランダ出身である僕は初めて日を訪れた。夏だけの間の短期留学である。当時の僕は15歳で、日が大好きな少年だった。東京の郊外に住むホストファミリーに迎え入れられ、その長女と一緒に自転車に乗って調布南高校に通った。蒸し暑い日の夏は初めてで、30分近い自転車移動で汗だくになった。ホストファミリーの長女は何度も振り向いて「エスラ、大丈夫?」と優しそうに声をかけてくれた。彼女は美人で、僕よりもよほど体力があったらしい。 週末に深大寺のおそばをべるのが、ホストファミリーにとって恒例の家族行事だった。僕もよくわからないなりに、5円玉を賽銭箱に投げ入れ、麺をつゆにかけて啜った。東京といえばネオンの看板が光る未来都市ばかり想像していた僕は、その平和な休日に面らった。 おじさんになってしまう前の僕がべる深大寺そば。深大寺の参道沿いには今も旨いおそばをべさ

    調布市を胸に生きた20年間――オランダ少年がそば好きに成長する街(文・クラベ・エスラ) - SUUMOタウン
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    rrringress 2022/03/14
    クラベさんなきがしたらそうだった。散歩!
  • 駅前キュートな下落合【銀座に住むのはまだ早い 第16回 新宿区】(文・小野寺史宜) - SUUMOタウン

    著: 小野寺史宜 家賃5万円弱のワンルームに住みつづけてうん十年。誰よりも「まち」を愛し、そこで生きるふつうの「ひと」たちを描く千葉在住の小説家、小野寺史宜さんがいちばん住みたいのは銀座。でも、今の家賃ではどうも住めそうにない。自分が現実的に住める街はどこなのか? 条件は家賃5万円、フロトイレ付きワンルーム。東京23区ごとに探し、歩き、レポートしてもらう連載です。 ◆◆◆ ついに来ました新宿区。 そこは町の選定が難しい。初めから家賃5万円はあきらめて、四ツ谷や四谷三丁目にするか。それとも神楽坂や早稲田にするか。 地図を見ていて、思った。ん、下落合? ほぼ知らないがゆえに決定。知らないのなら家賃も安めなはず、ということで、決定。 調べてみたら。新宿区の地名には、西落合があり、上落合があり、中落合があり、下落合がある。なら落合もあるのかと思いきや、それはない。が、東京メトロ東西線に落合駅はある

    駅前キュートな下落合【銀座に住むのはまだ早い 第16回 新宿区】(文・小野寺史宜) - SUUMOタウン
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    rrringress 2022/02/25
    新宿区って広いんだよね。神楽坂も新宿
  • わたしが詩人になることを沼津だけが知っていた(文・水沢なお) - SUUMOタウン

    著: 水沢なお 沼津は、わたしがうまれてはじめて暮らした街であり、うまれてはじめて書いた詩の名前だ。 十五歳から十八歳までのほとんどの時間を沼津で過ごした。隣町に住んでいたわたしは、沼津市内の高校へ電車と自転車を乗り継ぎ通学していた。海沿いの、芸術科のある高校だった。わたしはそこで、三年間美術を学んでいた。 教室の窓からは松林が見えた。その奥では、空の色と溶け合いながら波が揺蕩っていた。朝、クラスメイトに挨拶をするときも、水晶体、とノートに書き写す生物の授業中も、窓の外に身体を乗り出しぽんぽんと黒板消しを叩いているときも、いつでも海が存在していることが不思議だった。 沼津駅南口 今年の一月、わたしは沼津駅に降り立った。駅のホームに踏み出した瞬間、あたたかい、と思った。その日はよく晴れていて、雲の少ない空からは絶えず透明な日差しが降り注いでいた。わたしは、静岡や沼津に降る雪をほとんど見たこと

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    rrringress 2022/02/23
    写真がよい
  • 高田馬場で聞こえたThe World Is Yours(文・showgunn) - SUUMOタウン

    著者: showgunn 自室、スタジオ、ライブハウス、時にはそこらの公園や道端など、街のあらゆる場所で生まれ続ける音楽たち。この連載では、各地で活動するミュージシャンの「街」をテーマにしたエッセイとプレイリストをお届けします。 ◆◆◆ 2021年の夏の終わり、20年以上住み続けたボロアパートをようやく出ることにして、高田馬場ともお別れの時がやってきた。 引越しの日、荷物や家具がすべて運び出された部屋を見て「意外と広かったんだな~」と感慨深くなる、なんていうのはよく聞く話だが、私の場合、そもそもが四畳半なので何もなくなっても普通に狭かった。 それよりも、これまで家具や荷物で隠れていた部屋のボロさや汚さが露わになってしまっていて、苦笑とともに「きったねぇな」という声が思わず漏れた。 その「きったねぇな」という言葉は、当に汚いものを見て嫌悪感をもよおした時に出るのとは違い、「よくこんなところ

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  • カテゴライズされていない、上も下もない街「大森」 - SUUMOタウン

    著: 金井茉利絵 家族で最後に過ごした街「大森」 私が大森に住んでいたのは、小学1年〜中学3年まで。大森は母親の出身地でもあり、駅から徒歩15分ほどの母親の実家を建て直した一軒家に住んでいた。たまに家族で「ダイシン」に行ったり、駅ビルに昔あったパスタ屋さんでべたり、大森貝塚の近くの塾に通って帰りは母親が迎えに来たりと、今思うとちょうどいい大森ライフを幸せに送っていた時代だった。 ただ、中学3年のころ、家族の事業に問題が起きてお金がなくなり、家も土地も売ることになり、家族で引越しすることに。さらにその後いろいろあって、家族4人で仲良く暮らしていたのはその大森の家が最後となってしまった。 そんなことがあった大森なので、自分にとっては少し切ない、最後の家族の思い出がある場所ではある。でも実はなぜか大森に行っても特に何も感じないし、「うわー」と何か悲しい思い出し方をしたりする感じは全然ない。いつ

    カテゴライズされていない、上も下もない街「大森」 - SUUMOタウン
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    rrringress 2022/01/18
    ピアノの上にリモコン置くよね。
  • 東京の会社に勤めながら、田舎の町でかわいいエミューちゃんと一緒に暮らす日々(文・玉置 標本) - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 オーストラリア原産の飛べない大型鳥類であるエミューを、卵から孵化させて室内飼いしている砂漠さん。「エミューちゃん」と名付けて溺愛している彼女の日々をTwitterで知り、共通の友人と一緒に会いに行ってきた。 自分の身長くらい体高がある動物との共同生活はどう考えても大変そうだが、エミューというオアシスを得て心が潤いまくっている砂漠さんの話を聞き、自分の持つ常識の狭さを思い知らされた。 エミューを飼い始めた意外な理由11月某日に砂漠さんの家を訪れると、窓の内側に大きな生き物がいた。エミューだ! すごい、すごい、すごい。 もちろんこのエミューちゃんに会いに来たので、エミューがいて当然なのだが、実際にこうして家の中にいる姿をみると、やっぱり驚いてしまう。 当にエミューだ! こちらが飼い主の砂漠さん 砂漠さんがエミューちゃんと暮らしている理由は、特別な思い入れがあって昔から飼いた

    東京の会社に勤めながら、田舎の町でかわいいエミューちゃんと一緒に暮らす日々(文・玉置 標本) - SUUMOタウン
  • 近鉄奈良駅と鹿とビブレと、バンギャルの私。(文・蟹めんま) - SUUMOタウン

    著: 蟹めんま 90年代、奈良盆地に住んでいた私のバンギャル活動 私はビジュアル系バンドが好きな「バンギャル」と呼ばれる部類の人間だ。バンギャルになったのは小学生のころで、全盛期は中高生時代。そのころ、私は奈良県奈良市に住んでいた。 「若いバンギャル」というと、全国のライブを飛び回っている姿を連想されることが多い。だが、私はV系アーティストをCDや映像、雑誌のみで嗜む、今で言う「在宅ファン」だった。当時の奈良にはライブやサイン会が来なかったからだ。 とはいえ奈良は大阪・京都に出やすいので、越県して現場に行く人は山ほどいた。だから「奈良だからしかたなく在宅だった」というのは言い訳かもしれないのだけど、中学生の私には往復1000円以上の交通費が重かったし、門限を破って親と衝突する度胸もなかった。都会への憧れを内に秘め、奈良盆地内での小規模なバンギャル活動にいそしんでいた。 近鉄奈良駅と鹿 当時

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  • 茨城県の実家でテイクアウトの南インド料理店を開いて、インド人に間違われながらゆるく生きています(文・玉置 標本) - SUUMOタウン

    著: 玉置 標全国に出張して南インド料理をつくりまくる二人組ユニット『マサラワーラー』の鹿島信治さん(44歳)が、2019年に家庭の都合で東京から茨城県古河市にある実家へと戻り、テイクアウト専門の南インド料理店をオープンしたそうだ。 実際に行ってみると「ここで南インド料理店って!」という立地に驚いたのだが、じっくり話を聞いてみると「ここだから南インド料理店が好きにできるのか」と納得した。 実家の商売を継ぐのではなく、実家で商売をするという道九月の某平日、鹿島さんから聞いた住所をカーナビに登録して、埼玉県東部にある私の家から出発。高速を使わずとも、一時間ちょっとで利根川を越えた先にある茨城県古河市まで来た。意外と近い。 工業団地、畑、住宅がまばらに並ぶ地方の町。この場所で南インド料理店というマニアックな商売が成り立つのかと不思議に思いながら進んでいくと、ナビの案内は大通りから逸れて、

    茨城県の実家でテイクアウトの南インド料理店を開いて、インド人に間違われながらゆるく生きています(文・玉置 標本) - SUUMOタウン
  • 土岐麻子さん「渋谷という街は私の人生に出てこなかった。Cymbalsに入るまでは」【東京っ子に聞け!】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 田中宏 写真:関口佳代 東京に住む人のおよそ半分が、他県からの移住者*1というデータがあります。勉学や仕事の機会を求め、その華やかさに憧れ、全国からある種の期待を胸に大勢の人が集まってきます。一方で、東京で生まれ育った「東京っ子」は、地元・東京をどのように捉えているのでしょうか。インタビュー企画「東京っ子に聞け!」では、東京出身の方々にスポットライトを当て、幼少期の思い出や原風景、内側から見る東京の変化について伺います。 ◆◆◆ 今回お話を伺ったのは、歌手、ナレーション、ラジオDJなど“声のスペシャリスト”として八面六臂の活躍を見せる土岐麻子さん。 代々木上原で生まれた土岐さんは、千歳船橋で青春を送り、早稲田大学入学後にバンド・Cymbalsを結成。Cymbalsはその音楽性から「ポスト渋谷系」と呼ばれました。また、自身の楽曲「BOYフロム世田谷」の歌詞では、「一方通

    土岐麻子さん「渋谷という街は私の人生に出てこなかった。Cymbalsに入るまでは」【東京っ子に聞け!】 - SUUMOタウン
  • 突然の一人暮らしを支えてくれた、「千鳥橋」の丁度よさと心地よさ - SUUMOタウン

    著: たけしげみゆき 27歳の冬、私は縁もゆかりも思い入れもない大阪市此花区にある「千鳥橋」という駅のそばで、人生初めての一人暮らしをスタートした。 一般的に「初めての一人暮らし」という言葉からは、新生活への期待と少しの不安が入り混じった甘酸っぱい気持ちが連想されるだろう。だが私の一人暮らしは、そういったトキメキとは無縁のところから始まった。 私は21歳のころ、当時のパートナーと共に「シカク」というインディーズのや雑貨を売るお店をオープンした。 はじめは小規模だったお店の商品がだんだん増え、手狭になったのでもっと広い場所に移転したいと考え始めたのが27歳のころ。そして条件に見合う物件がたまたま千鳥橋駅のそばだったので、ほとんど訪れたこともなく、当然思い入れもなかったその町にお店と一緒に引越すことにした。 しかし、お店の移転が完了して「さあこれから」という時に、パートナーと電撃離婚し、経営

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  • 商店街のシェアハウスで “街×人”の化学反応はじまる!「寿百家店」で北九州市黒崎が再燃中

    福岡県北九州市黒崎の「寿通り商店街」を、“ニューノーマルな商店街”に生まれ変わらせるプロジェクト「寿百家店」。商店街の一部区画をフルリノベーションし、店舗とシェアハウスを創出するこの取り組み。シェアハウス「三角フラスコ」の入居もスタートして、これまでにない化学反応が起こりつつある。 北九州市内で小倉に続く規模の街・黒崎。JR黒崎駅前から扇のカタチのように広がる黒崎商店街は、1901年の官営・八幡製鐵所の創業をきっかけに発展してきた。1970~80年代に黒崎で青春時代を過ごした人々は「小倉や博多よりにぎわいのある街だった」とも語る。 昭和~平成~令和と時代は流れて、JR黒崎駅から徒歩約6分の「寿通り商店街」はシャッター通りと化していた。2016年時点で13店舗中8店舗が空き店舗。そのうち3店舗分(174.83平米/52.88坪)をリノベーションし、1階にテナント11区画、2階にシェアハウス4

    商店街のシェアハウスで “街×人”の化学反応はじまる!「寿百家店」で北九州市黒崎が再燃中
  • 長野県飯綱町で実家の古民家に価値を見出し、移住者を受け入れながら二拠点生活をする高野夫婦が繋ぐ物語【いろんな街で捕まえて食べる】 - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 今年の3月、長野県飯綱町にある築約150年の古民家を利用した「のらのら」というカフェ兼宿泊施設をやっている、高野恒寛(たけひろ)さん、珠美(たまみ)さん夫婦と知り合った。 この家は都内の企業に勤める恒寛さんの実家だそうで、高野夫婦の娘が住む東京の家と行ったり来たりしながら、珠美さんが中心になって周囲のリンゴ畑や里山も含めて活用しているそうだ。 古民家カフェや二拠点生活、楽しそうだけど大変そうでもあるが、実際のところはどうなのか。古い家や田舎という環境が秘めるポテンシャル、移住者を受け入れることで双方の希望をかなえるマッチング、地元コミュニティのローカルルールを踏まえながら新しいことに繋げる方法論など、たくさんの話を伺うことができた。 築150年の古民家が放つ圧倒的な魅力飯綱町は県庁所在地である長野市の北側に隣接しており、のらのらまでは東京駅から電車と車で最短3時間くらいの

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  • インナーテラスとは?メリット・デメリットは?おしゃれで快適な間取りにするポイントを解説! - 住まいのお役立ち記事

    インナーテラスとは? インナーテラスとは、家の中や半屋外にあるテラスのこと。エクステリア空間であるテラスとは異なり、室内に近い環境で、日差しや雨をしのぎながら、外空間の心地よさを楽しむことができる。 「インナーテラスは、『第二のリビングダイニング』と言ってもいいくらい、室内空間と並ぶ大切な場所になっています。だからこそ、長い時間過ごせる居心地の良い空間であることが大事。コロナ禍でなかなか外出できなくなってからは、インナーテラスの良さを実感したというお施主様の声をいただくことも増えました。家の中に気軽に外部空間を楽しめるところをつくるという意味で、インナーテラスは有効です」(GEN INOUEの井上さん、以下同)

    インナーテラスとは?メリット・デメリットは?おしゃれで快適な間取りにするポイントを解説! - 住まいのお役立ち記事
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    rrringress 2021/09/20
    デメリット、空調などはどう変わるのか気になる。外気と触れる窓部分が増えるわけだし
  • 愛しい地元は観光地「横浜」(文・前田紀至子) - SUUMOタウン

    著: 前田紀至子 不意に「横浜に“帰りたい”」と、口を衝いて出ることがある。 もっとも、私の生まれ故郷は和歌山だし、親戚がいるわけでもない。 横浜を居住地にしたのは大学に入学してから27歳までの10年弱。それでも私は横浜に並々ならぬ思い入れがあるし、今だって仕事や他諸々の都合がついてどこにでも好きなところに住めるとしたら、迷わず横浜を希望するだろう。 当時私が住んでいたのは横浜市中区。最寄駅で言えば馬車道駅。赤レンガ倉庫や横浜ワールドポーターズからも最寄りの駅だ。 そんな場所だけに、「馬車道に住んでいる」と言うたび、当たり前のように「住むところ、あるの?」と聞かれていた。 意外と住むところがある(後になって知るが、東京に出て来てから出会った気の合う上司もまた、同じ時期に目と鼻の先に住んでいたらしい)馬車道は、横浜の「横浜らしさ」を存分に体感しながら、自由気ままに暮らすには最高の場所だったよ

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    rrringress 2021/09/03
    たしかに山の上は高級エリアだし入り混じっててカオス
  • 現代版「トキワ荘」に訪問! 漫画家志望35人の夢いっぱいのシェアハウス

    ワンピース』や『ドラゴンボール』『スラムダンク』、最近では『鬼滅の刃』『呪術廻戦』など、多くの作品が世界中の人々を夢中にさせてきた日漫画。その「漫画の聖地」といえば、1952年から1982年にかけて豊島区椎名町(現・南長崎)に存在した「トキワ荘」。手塚治虫、藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫などの漫画家らが切磋琢磨しながら共同生活を送っていたアパートだ。 そんな「トキワ荘」に想いを託して始まったのが「トキワ荘プロジェクト」。漫画家を目指す若者たちに活動拠点となるシェアハウスを貸し出し、プロデビューのサポートを行う事業だ。シェアハウスに住む彼らはどんな暮らしを送っているのか。実際に見に行ってみた。 りえんと多摩平内にある「多摩トキワソウ団地」。2011年のフルリノベーションを経て現在に至る。以前は小規模の「トキワ荘プロジェクト」のシェアハウスが最大で15棟が東京近郊に点在していたが、

    現代版「トキワ荘」に訪問! 漫画家志望35人の夢いっぱいのシェアハウス
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    rrringress 2021/09/01
    今まで見た中で一番実直なクールジャパン戦略ぽい取り組み。
  • 都電が愛しい東尾久三丁目【銀座に住むのはまだ早い 第10回 荒川区】(文・小野寺史宜) - SUUMOタウン

    著: 小野寺史宜 家賃5万円弱のワンルームに住みつづけてうん十年。誰よりも「まち」を愛し、そこで生きるふつうの「ひと」たちを描く千葉在住の小説家、小野寺史宜さんがいちばん住みたいのは銀座。でも、今の家賃ではどうも住めそうにない。自分が現実的に住める街はどこなのか? 条件は家賃5万円、フロトイレ付きワンルーム。東京23区ごとに探し、歩き、レポートしてもらう連載です。 ◆◆◆ この企画のどこかで乗ろうと思っていたブランコには葛飾区編のお花茶屋で乗った。 もう一つ、路面電車の都電荒川線、愛称はさくらトラム、にも絶対にどこかで絡もうと思っていた。 可能性があるのは、荒川区と北区と豊島区、あとは終点の早稲田とその手前の面影橋とでギリかかる新宿区。 でも東京都交通局が自ら都電荒川線と言っているのだからそこはあなた荒川区で絡みなさいよ。 ということで、今回は東尾久三丁目停留場。初めて、駅、ではなく、停留

    都電が愛しい東尾久三丁目【銀座に住むのはまだ早い 第10回 荒川区】(文・小野寺史宜) - SUUMOタウン
  • 20代の終わりと白紙の未来。通過点の街「中津」で人生を取り戻すまで - SUUMOタウン

    著者: 金井塚悠生 小学生のころ、塾に通う途中、1度だけ電車を乗り過ごしたことがある。 地元の阪急池田駅から宝塚大阪梅田行きの電車に乗って、数駅隣にある豊中駅の小さな進学塾に通っていた。ある日、ふと窓の外を見ると見覚えのない景色がながれていく。気づいた時には急行電車の中に閉じ込められていた。電車はいくつもの駅をすっ飛ばして走る。 それまで豊中駅より先に行ったことがなかった僕は、突然知らない街に連れ去られたみたいな気分になった。 結局その後は、終点の大阪梅田駅まで乗ってそのまま同じ電車で引き返して塾に行った気がする。たぶん小テストには間に合わなかった。その時、十三(じゅうそう)と梅田の間に小さく地味な駅がぽつんとある光景が何故か脳裏に焼きついていた。 阪急中津駅。 その駅の名前をちゃんと認識したのはそれから少し先のことだった。無事に中学受験で志望校に合格した僕は、地元の池田から梅田を経由し

    20代の終わりと白紙の未来。通過点の街「中津」で人生を取り戻すまで - SUUMOタウン
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    rrringress 2021/08/06
    駅がすごく小さいのが面白いよね
  • 「無駄なこと」をする大切さに気付いた、わたしのマンション遍歴|藤原麻里菜 - マンションと暮せば by SUUMO

    「無駄づくり」と称した個性的な発明・工作で知られる藤原麻里菜さんに、初めての一人暮らしから現在までの住まい遍歴を振り返っていただきました。初めて住んだアパートでは、物件選びで失敗して早々に引越しを決意。その後別のマンション引越して制作に集中できる環境になったそうですが、仕事に没頭しながら暮らすなかで、あらためて「自分が当に大切にしたいもの」が見えたといいます。住まいと作業場の移り変わりに伴って、創作活動や自身にどんな変化や気付きがあったのかつづっていただきました。 一人暮らしのスタートは、中野のボロアパートだった 初めての一人暮らしに選んだ家は、中野にある2階建て、1Kのアパートだった。 当時のわたしには「東京での一人暮らしといえばボロボロのアパートだろ!」という固定観念みたいなものがあり、不動産屋さんに「とにかく趣のある家がいいです」という条件を出して見つけてもらったその家は、正面か

    「無駄なこと」をする大切さに気付いた、わたしのマンション遍歴|藤原麻里菜 - マンションと暮せば by SUUMO
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    rrringress 2021/07/30
    殺風景な部屋を綾波レイと言うのよいね