外国奉行 池田長発 1863年、攘夷の考えだった孝明天皇は攘夷の決行を幕府に命じます。当時は攘夷論が強かったため、幕府はやむなく攘夷決行を諸藩に命じました。 幕府は朝廷や攘夷派を懐柔するため、開港場だった横浜を再び閉鎖すべく欧米と交渉をすることにしました。 この横浜鎖港を交渉するために幕府が派遣したのが、外国奉行の池田長発(いけだながおき)だったのです。彼はわずか27歳で使節団を率いることになり、その若さで重要な交渉役を任されたことからも、優れた能力を評価されていたことがうかがえます。 それにしても、池田長発はかっこいいですね。 (池田長発の写真、パブリック・ドメイン, リンク) 現実認識のするどさ この池田長発は、現在読書中の『文明国をめざして』にも登場しています。 そこで印象に残ったことを紹介しようと思います。 彼は外国との交渉を通じて欧米の文明の強大さを感じ、横浜鎖港は不可能と悟り、
