任天堂前社長で、同社を世界的なゲーム機メーカーに育てた山内溥(やまうち・ひろし)氏が19日亡くなりました。家業のカルタ製造からスタートし家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」のヒットを機に同社を世界企業に育て上げた革新的
19日に85歳で死去した任天堂相談役の山内溥さんの生涯は、ゲーム産業がたどってきた歴史と重なる。任天堂が発売した携帯型ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」や、据え置き型ゲーム機「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」は、子供の遊びやライフスタイルを大きく変えた。くしくも今年はファミコン発売から30年。近年はゲーム人気のお株をスマートフォン(多機能携帯電話)向けゲームに奪われつつあるが、山内さんが育てたゲーム文化の灯は消えることはない。 【写真特集】ファミコン発売30年 操作している子供だけでなく、他の子供たちも真剣な表情(1986年撮影) 1949年に22歳で社長に就任した山内さんは、77年に任天堂初の家庭用ゲーム機「カラーテレビゲーム15」を発売。80年に発売した「ゲーム&ウオッチ」は一大ブームを巻き起こし、その後の任天堂のゲーム路線を決定づける原点となった。 最大のヒット作は、83年7月に
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