A Minecraft Movie trailer gives us our first look at Jason Momoa and Jack Black ahead of its 2025 release
萌え絵の公共広告を問題にする時、判で押したように「単に不快なだけだろ」という反論がくるけど、「不快」も広告の撤回を求める立派な理由じゃないの? 「どんなに不快であっても我慢すべきで、批判の理由にはならない」と考えているとしたら、それは言論の自由の否定だよね?「家の玄関の前にどんな不快に感じるポスターがあっても気にしない」とか言っているやつは「嘘つけよ」としかいいようがない。 というか、萌え絵によるエロ広告はtogetterなどでしょっちゅう見せられて、不快かつうざいことこの上ないんだけど、「萌え絵にエロの文脈を読み込むお前がエロ」とか、露骨な嘘がひどすぎる。 (追記) 「不快」という批判への批判は当然あってしかるべきだけど、そこで行うべきは、「自分にとって萌え絵がどれほど魅力的なものか」「萌え絵が好きな自分を否定されて傷ついた」という「お気持ち」を正直に示していくことであって、「表現の自由
スーパーのレジ近くに浄水器があるのを見たことがあるだろう? 専用の2Lぐらいの入れ物が1個500円ぐらいでそれを買えばあとは何度でも汲みに来れるっていうアレだ。 見るからにケチ臭さそうなオバちゃんが専用容器に水をタプタプにしてはいるアレだよ。 あんなものを使って水を汲むなんてまるでアフリカの恵まれない子供たちみたいじゃないか。 僕とは関係のない世界の話だ。 そう思っていた。 帰郷した僕が勝手知ったる自分の家とばかりに実家の冷蔵庫を物色しようとすると、ソレは冷蔵庫に収まっていた。 水としか思えないものが2Lぐらいの真っ白いポリタンクに入って2つ並んでいる。 冗談めかして 「冷蔵庫の水って水素水?」 と聞いてみた。 親は答えた。 「最近はスーパーから水を貰ってきてる」 と。 我が家はアフリカになっていた。 親が言うには浄水器のフィルターが減価償却される時間と値段を考えれば、スーパーで水を貰う生
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