2020年7月11日のブックマーク (5件)

  • “BL”小説家に実刑判決 LGBTに厳しい環境 中国

    中国で「男性の同性愛」を描く人気小説家に対して、懲役10年半の判決が言い渡されました。 中国BL官能小説家・「天一」氏:「10年半の実刑なんて…どうしても考えてしまう。私たちはそんなに極悪非道の罪を犯したのだろうか」 裁判で涙ながらに訴えたのは、中国のネットで人気があるボーイズラブの官能小説家です。去年11月に「違法出版物で多額の収入を得た」として、一審で懲役10年半を言い渡されました。カバーなどのデザインを担当した女性にも懲役4年の判決が下されました。厳しい判決に「同性愛」への弾圧ではないかと批判の声が上がっています。 中国では、同性愛を「非正常の性関係」としてインターネットの番組などで表現することを禁止。また、中国版ツイッターのウェイボーが去年、一斉に同性愛にまつわる投稿を削除して大きな反発を招きました。中国では、同性愛は1997年まで「わいせつ」とされ、法律で禁止されていました。今

    “BL”小説家に実刑判決 LGBTに厳しい環境 中国
  • 時が経つのがこわい

    時が経つのがこわい。時が経つにつれて大事だったはずのことを忘れていってしまっていることがこわい。 母親は気性が荒く、褒めるときはとても褒めてくれるが怒るときにはほんのちょっとしたことでもひどく怒鳴り散らした。蹴る、はたく、髪を掴むということもよくされた。僕よりも兄の方が好きで、兄の好物を優先したり、喧嘩して明らかに両方悪くても僕だけ怒鳴ったりした。はっきり言って母親が嫌いだった。憎かった。小学校のときに教師が「あなたのお母さんはうまく日語が話せなくてつい手を出してしまうかもしれないけど、あなたのことを思っているんだよ、愛しているんだよ」と言った。母は外国人だった。ふざけんなと思った。そんなことで暴力が正当化されてたまるかと思った。そんなことで母の愛を認められてたまるかと思った。身を持って母に愛されていない(少なくとも兄よりは)と実感しているのに、何も知らない外野に分かったようなことを言わ

    時が経つのがこわい
  • 女性の「びっくりする」という感覚がよくわからない

    anond:20200710214115 この増田に限らず。まあ女性にも限らないのだろうけど。 女性ってよく面らったりハッとしたりびっくりしたりしてるけど、なんていうのかな…。 この増田の「面らった」はあまりにも当事者意識が欠けていると思うし、Twitterでよくハッとしてる人は自分の見たいものを見てハッとしてるだけで、別に気分よくなってるだけじゃね?って思うし。 フェミがびっくりしてる時は大抵キレてるし、それ怒ってるだけじゃね?って思うし。 何て言うんだろう。びっくりしてなくね?って思う。 それか予想されることにたいしてあまりにも無防備というか。 まあ男でもあるのかなあ。どうでもいいことに衝撃受けてるYouTuberはいっぱいいるよね。でもあれPV稼ぎだからなあ…。 俺がびっくりするときって足踏み外して階段から転げ落ちそうになったりとか、ホラー映画観てるときに地震起きたときとか、そう

    女性の「びっくりする」という感覚がよくわからない
    runt_nc
    runt_nc 2020/07/11
    追記の「嬉しくてびっくりすることってもうなくなったの?」に対する回答が見当たらない。やはり「びっくりって聞いたらああ嫌なんだなって思う」のが順当ということか。
  • ネットの中傷地獄で自殺未遂、そして出家…元女性アナ、執念で加害者を特定 「被害者の駆け込み寺つくりたい」 - 弁護士ドットコムニュース

    弁護士ドットコム インターネット ネットの中傷地獄で自殺未遂、そして出家…元女性アナ、執念で加害者を特定 「被害者の駆け込み寺つくりたい」

    ネットの中傷地獄で自殺未遂、そして出家…元女性アナ、執念で加害者を特定 「被害者の駆け込み寺つくりたい」 - 弁護士ドットコムニュース
  • 「うちにはお金がない」母の言葉を本気で信じていた

    お金持ち」というのは、フィクションやバラエティ番組の特集に出てくるような、豪邸に住み、ブランド物を身に着け、湯水のように金を使う人達の事だと思っていた。 きっとそういう人たちは、”何億”だとかそういう、学校で習ったけれど想像もつかないような莫大な単位の額のお金を稼いでいる。自分とは違う、遠い世界に住む人たちだ。 人口一万人足らずの町に生まれ、公立の学校に通い、田んぼに囲まれた片道4キロの通学路の途中で今日の夕飯はなんだろうとお腹を空かせながら考える。休日の友達との娯楽と言えば、街の方のショッピングセンターでプリクラを撮ること。そんなあまりにも在り来たりな日常を送っていた私にとって「お金持ち」というのは遠い存在だった。 私は田舎町の寺で一人目の子として生まれた。父親は大学教授で、母親は実家が呉服屋の専業主婦。祖父母は元々教師をやっていたようだ。 私の両親は母親の方がしっかりしていて気が強か

    「うちにはお金がない」母の言葉を本気で信じていた