「正義」という概念が人によって、また時代や文化の違いによって容易に移ろいゆく曖昧なものであって、けっして絶対の真理として君臨しているわけでないように、ひとりの人間に対して「善人」「悪人」という判断をくだすこともまた、ある意味で傲慢不遜な態度だと言える。むろん、私たちは生きていくうえで、さまざまな人間とのかかわりを余儀なくされているし、そのなかにはずる賢い人間、自分勝手な人間、人を平気で傷つけてなんとも思わないような人間がいて、そうした人間の悪意が、ときにこちらに何の落ち度がないにもかかわらず、一方的にこちらを傷つけていくような理不尽さが横行することもあることを知っている。そして自身がその立場に立たされたとき、その人物を「悪人」だと判断するのは、多分に自身の主観によるところが大きい、ということも。 自身が傷つけられたことも、相手が傷つけたこともまぎれもない事実だとしたとき、そこになんらかの理