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社会と人間関係に関するryoQ10のブックマーク (2)

  • なぜ「信頼」は裏切られ続けるのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    社会という「信頼関係」 姉歯建築偽造問題でも、ホリエモン逮捕でも、アメリカ牛肉問題でも、露呈しているのは、僕らはある「信頼関係」の中で生きているということだ。だから「まさかそこまで」ということが起こる。これはいかんともしがだいだろう。どのような厳しい規制、管理をおこなわれようが、「信頼関係」の領域は残るだろう。 これは規制の問題ではなく、コミュニケーションの問題である。完全なコミュニケーションは存在せず、他者との間にはかならず「暗闇への飛躍」があり、自己責任で、リスクを抱え、「信頼」を持ち、飛び込むしかない。すなわちこれは確率論の世界である。 しかしだからといって、まるでジャングルを徘徊するように、毎日リスクの高い世界の中で、どこの誰かわからない人とで会い続け、何がおこるかわからないことには人々は耐えられない。だからこのようなリスクを低減するために、「社会」がある。それは、国による法という

    なぜ「信頼」は裏切られ続けるのか。 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • 「人間力」という宗教 - umeten's blog

    「人間力」 :他律的な感情を内面化し、それを無自覚的に駆使すること。 感情をあたかも自己の外部に存在する人類共通の絶対的基準、絶対的価値として崇め立て、その「普遍的な感情」「自然な感情」を内面化することを強制する宗教。 外在する外面的感情のみが「正しい」ものだとされ、 内在する内面的感情は「異常」であり「心の闇」であるとして完全否定される。 この前提として、「すべて感情とは想定の範囲内のもの」、「感情とは想像の及ぶ範囲内のもの」、「感情とは人間の理解が完璧に及ぶもの」である、いや、「あらねばならない」という意識が根底にある。 この「人間力」において、「理解できない感情」というものは存在してはならないのである。 これはむしろ、人間の持つ感情を、根源的な意味での人間の力を侮蔑している思考である。 一見、感情を称えているように見えて、その実、底知れぬ人間の感情を「理解の及ぶ範囲」に貶めるものであ

    「人間力」という宗教 - umeten's blog
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