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戦争に関するryu-tenのブックマーク (3)

  • 失敗の本質 : 池田信夫 blog

    2011年03月29日18:57 カテゴリ法/政治 失敗の質 私がツイッターで紹介したら、アマゾンで26位になった。品切れで読めない人も多いと思われるので、簡単に内容を紹介しておこう。 書は防衛大の教官と野中郁次郎氏が日軍の組織としての欠陥を分析した、戦略論の古典である。その特徴を戦争と今回の原発事故を対比して紹介すると、戦力の逐次投入:戦略目的が曖昧なため戦線の優先順位が決まらず、兵力を小出しにして全滅する――最初から海水を注入すれば炉内の圧力上昇を防げたかもしれないのに、1日遅れでベントを始め、水素爆発してから海水注入を始める。 短期決戦のスタンドプレーを好む指揮官:太平洋戦争は「敵を一撃でたたけば戦意喪失して降伏する」という主観的な見通しで開戦した――原発事故の起きた翌日に首相が発電所に乗り込んで、ベントが6時間遅れた。 補給を無視した人海戦術:太平洋戦争の「戦死者」300万

    失敗の本質 : 池田信夫 blog
    ryu-ten
    ryu-ten 2011/03/30
    池田先生、買占めを助長させる発言は慎んでくださry・・・
  • 320万人が殺された第二次世界大戦

    320万人が殺された第二次大戦 沖縄戦と全国空襲パネルより 国内は空襲、戦地では餓死    2006年8月2日付 天皇のA級戦犯の靖国合祀にかかわる発言メモの報道につづき、「真珠湾攻撃は東条が天皇の意志に反してやった」とか「憲法に先立って戦争放棄をいったのは天皇だった」など、「天皇は平和主義者だった」といった歴史の事実をねじ曲げるキャンペーンをマスコミが展開している。今年は、敗戦から61年目を迎える。マスコミの天皇キャンペーンともあわせて、戦後61年たった日社会がどうしてこんな社会になったのか、第二次世界大戦はなんだったのかから考えなければならないという世論が高まっている。下関原爆展事務局が編集した、原爆と峠三吉の詩原爆展追加パネル集『沖縄戦と全国空襲』の戦争体験者の証言にもとづいて考えてみたい。 中国との戦争ですでに敗北 1945(昭和20)年に日戦争に負けたが、この戦争

    ryu-ten
    ryu-ten 2006/11/06
    あの戦争を1枚のテキストで語ることは不可能だと思う これも一つの資料にすぎない
  • 日清戦争 1894-1895 ― サラ・ペイン (センターニュース No. 92)

    スラブ研究センターニュース 季刊 2003 年冬号 No. 92 日清戦争 1894–1895 サラ・ペイン (US 海軍大学 / センター 2002 年度 外国人研究員として滞在中) 表向き、日清戦争は清の属国である朝鮮の支配をめぐる日と清の間の紛争であった。 しかし実際には、日を脅かす朝鮮半島へのロシアの膨張に対して、日が先手を打とうとしたものである。 これはまた、包括的政策目標を追求する二つの戦争のうちの、最初の制限戦争でもあった。 つまり日の政策立案者たちはいかなる列強が朝鮮半島を支配しようとも、直接的に自国の安全を脅かすだろうと見なしており、彼らは最初に日清戦争で清を排除し、その 10 年後の日露戦争 (1904–1905) で、朝鮮と南満州の両方からロシアを追い出すことによって日を守ろうと試みたのである。 四半世紀後、引き続き行われているロシア中国への関与と、それに

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