東北電力女川(おながわ)原発(宮城県女川町・石巻市)が津波に耐えたのは、平井弥之助(1902~86)という先覚者の見識と執念による。東京新聞の記事(7日朝刊)で知った。 原発の再稼働と安全性評価が問われ、信頼の欠如が指摘されている今、平井の人物とエピソードは示唆に富む。 平井の仕事を今に伝える語り部は、東北電力で指導を受けた大島達治(82)だ。 大島によれば、平井の真骨頂は「自分の判断で結果責任を負う」使命感にあった。「決められた基準さえ守れば」と安直に考える人間ではなかった。法令を尊重するが、法令順守が目標ではなく、法令を超えた本質的な課題を徹底して調べぬく技術者、経営者だった。 女川原発が壊滅を免れたのは14・8メートルの高台にあった(福島第1は10メートル)からだ。貞観(じょうがん)大津波(869年)を調べて立地したことは知っていた。平井の孤軍奮闘で導かれた決定だったことは知らなかっ