ブックマーク / www.countryteacher.tokyo (157)

  • メルヴィル 著『白鯨(下)』より。もしもエイハブ船長がサードプレイスから白鯨のことを考えていたとしたら。 - 田舎教師ときどき都会教師

    凪のあとには嵐があり、嵐のあとには凪がある。人生はただ事もなく一直線にすすむことはない。人生は階段をのぼるように進行し、それをのぼりつめたところで、はい、おしまい ―― というようなものではない。幼児期の無意識の魅惑、少年期の盲信、青年期の迷い(これは避けがたい宿命である)、それから懐疑主義、つぎに不信、そして最後に壮年期の『もしも』という優柔不断な思考の終着点に到達して、はい、おしまい ―― というわけにはいかないのだ。一度この過程をふむと、またその過程をくりかえすのだ ―― 幼児、少年、おとな、『もしも』を永遠にくりかえす。 (メルヴィル『白鯨(下)』岩波文庫、2004) こんばんは。以前、もうすぐ喜寿を迎える作家さんに「ライフチャート」を見せてもらったことがあります。みなさんは、やったことがあるでしょうか。縦軸に幸福度、横軸に年齢をとって、例えば大学入試に失敗したときはちょっとマイナ

    メルヴィル 著『白鯨(下)』より。もしもエイハブ船長がサードプレイスから白鯨のことを考えていたとしたら。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/09/20
  • メルヴィル 著『白鯨(中)』より。「小説」も「教育」も、つまるところ「何でもあり」なのだ。 - 田舎教師ときどき都会教師

    幹から枝が生え、枝から小枝が生えるように、豊饒なる主題から、あまたの章が生まれる。 前章でふれたクロッチについては、独立の章をもうけて論じる価値がある。それは先端が三叉に割れた特殊な形態をもつ棒で、長さが二フィートほどあり、ボートの舳先近辺の右舷舟べりに垂直にさしこまれ、その三叉のところに銛の木製の柄の末端をのせ、その先にある抜き身の「かかり」のついた鋼鉄製の刃先をやや上向きに傾斜させて舳先から突き出しておくための仕掛けである。 (メルヴィル『白鯨(中)』岩波文庫、2004) こんにちは。幹から枝が生え、枝から小枝が生えるように、教育という豊饒なる主題から、あまたのブルシット・ジョブ(クソどうでもいい仕事)が生まれ、沈みかけているのが学校です。どうかしてる、度を超してる、わかりますか(?)って、髭男じゃなくても歌いたくなります。何の価値もない土曜授業という枝は切ればいい。何の価値もない宿題

    メルヴィル 著『白鯨(中)』より。「小説」も「教育」も、つまるところ「何でもあり」なのだ。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/09/17
  • 中野円佳 著『なぜ共働きも専業もしんどいのか』より。主婦のしんどさを生み出す構造と、教員のそれは似ている。 - 田舎教師ときどき都会教師

    その答えは、専業であれ、兼業であれ、さまざまな負担を主婦に押し付けることで社会を回してきた日の循環構造にあったと私は思う。政府、企業、学校や保育の在り方。そして人々の意識。「女性が輝く社会」という標語がむなしく思えるのも、構造的な女性の負担構造は変わっていないからだ。そしてその循環構造には、片働き男性はが専業主婦ゆえに転職がしづらい、共働き男性は、職場が ”家に専業主婦のがいる” 男性を前提とした働き方だから早く帰れない・・・・・・といった具合に、ばっちり男性たちも組み込まれている。 (中野円佳『なぜ共働きも専業もしんどいのか』PHP新書、2019) こんにちは。その答えというのは、のタイトルに書かれた「なぜ」に対する「なぜならば」です。敵は能寺ではなく、日の循環構造にあり。学校における「働き方改革」という標語がむなしく思えるのも、おそらくはその循環構造のためでしょう。さまざま

    中野円佳 著『なぜ共働きも専業もしんどいのか』より。主婦のしんどさを生み出す構造と、教員のそれは似ている。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/09/03
  • 朝井リョウ 著『正欲』より。地球に留学しているみたいな感覚なんだよね、私。 - 田舎教師ときどき都会教師

    こっちはそんな、一緒に乗り越えよう、みたいな殊勝な態度でどうにかなる世界にいない。マイノリティを利用するだけ利用したドラマでこれが多様性だとか令和だとか盛り上がれるようなおめでたい人生じゃない。お前が安易に寄り添おうとしているのは、お前が想像もしていない輪郭だ。自分の想像力の及ばなさを自覚していない狭い狭い視野による公式で、誰かの苦しみを解き明かそうとするな。 (朝井リョウ『正欲』新潮文庫、2023) こんばんは。想像もできない輪郭の家庭環境で育っているんだろうな、この子は。何度かそういった子の担任をしたことがあるので、冒頭の引用はそのまま教員の「正欲」に対する牽制として読めます。自分の想像力の及ばなさを自覚していない狭い狭い視野による公式で、 児童の苦しみを解き明かそうとするな、と。 まぁ、でも、仕事です。苦しんでいる「かもしれない」児童を放っておくわけにはいきません。放置せず、安易にで

    朝井リョウ 著『正欲』より。地球に留学しているみたいな感覚なんだよね、私。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/08/30
  • 山内健生 著『新装版 私の中の山岡荘八 思い出の伯父・荘八』より。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。 - 田舎教師ときどき都会教師

    それはともかく、伯父の作品の根底には、すべてとは言わないまでも、ことに長編の場合、「天下国家のより良いあり方」を志向する傾きがあった。現代風に言うと「公」への意識があって、つねに「公」と「私」のかね合いが頭にあったようだ。その意味で「私」のみを善しとしがちな戦後的価値観には距離をおいたように思われるのである。武士の生き方を描くにしても、現代の二者択一的な「私」最優先の生き方を念頭に、武士の自己抑制的な道徳の意味するものを噛み砕いて説くといった感じであった。 (山内健生『新装版  私の中の山岡荘八  思い出の伯父・荘八』展転社、2023) おはようございます。平野啓一郎さんの『三島由紀夫論』といい、秋山大輔さんの『萩原健一と沢田研二、その世紀』といい、これから紹介する『新装版  私の中の山岡荘八  思い出の伯父・荘八』といい、最近読んだ「著者が推しについて愛をもって語る」系のは、どれも勉強

    山内健生 著『新装版 私の中の山岡荘八 思い出の伯父・荘八』より。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/08/26
  • 朱野帰子 著『会社を綴る人』より。山崎豊子さんの『白い巨塔』に勝るとも劣らない社会派小説。 - 田舎教師ときどき都会教師

    口頭ではなく文書で残す。それが会社の原則だ。会社は夥しい数の社内文書によって、様々な社員の手によって綴られている。 その社内文書を改竄することを許してしまった会社が、こまめに粉の掃除ができるだろうか。過去の事故の記憶を正確に語り継ぎ、悲劇が繰り返されることを防ぐことができるだろうか。そのうち、外にも嘘をつくようになるのではないか。 (朱野帰子『会社を綴る人』双葉文庫、2022) こんにちは。口頭ではなく文書で残す。それが「国家」の原則だ。官僚制の質が文書主義にあることを指摘したマックス・ヴェーバーだったらそう言いそうです。朱野帰子さんが『会社を綴る人』を綴っているときに、そのことを意識していなかったとは思えません。試しにタイトルの「会社」を「国家」に置き換えてみます。すると、 国家を綴る人。 すなわち官僚です。国家を綴る人、もとい『会社を綴る人』の刊行は2018年の11月。朝日新聞のスク

    朱野帰子 著『会社を綴る人』より。山崎豊子さんの『白い巨塔』に勝るとも劣らない社会派小説。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/08/22
  • 秋山大輔 著『萩原健一と沢田研二、その世紀』より。我と汝、その世紀。 - 田舎教師ときどき都会教師

    秋山 今の世相ですと皆無ですね。 蜷川 学生に教えてあげたいわ。もっと過激に創作する方法や思考を。 猪瀬 やっぱりそうだよね。当時はそういう野放図な感じがありましたね。 (秋山大輔『萩原健一と沢田研二、その世紀』デザインエッグ、2023) こんにちは。秋山というのは著者の秋山大輔さん(1976-)のことで、蜷川というのは女優の蜷川有紀さん(1960-)のことで、猪瀬というのは作家の猪瀬直樹さん(1946-)のことです。もしかしたら秋山さんのことも蜷川さんのことも猪瀬さんのことも知らない人がいるかもしれないので、念のため。ちなみに私はショーケンこと萩原健一(1950-2019)のことも、ジュリーこと沢田研二(1948-)のこともほとんど知りませんでした。テレビをあまり見ていなかったからでしょうか。歌手だったことも、俳優だったことも、二人の関係がマルティン・ブーバーいうところの『我と汝』のよう

    秋山大輔 著『萩原健一と沢田研二、その世紀』より。我と汝、その世紀。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/08/20
  • 朝井リョウ 著『時をかけるゆとり』より。著者の6年生のときの担任、素晴らしいってよ。 - 田舎教師ときどき都会教師

    ひたすら日記を書き続けていた小学六年生の私にとって、世界でたったひとりの読者は当時の担任の先生だった。毎日提出する日記に返ってくる一言コメントが、唯一の感想だったのだ。まるでどこかで連載をしているプロになったかのような勘違いを、私は精一杯楽しんでいた。 (朝井リョウ『時をかけるゆとり』文春文庫、2014) こんにちは。先日、研修を兼ねて(?)国会見学に行ってきました。子どもたちを連れての国会見学は、都会教師だったときに何度も経験しましたが、プライベートでの見学は今回が初めてです。衛視さん(昔の呼び方で言うところの守衛さん)の話に耳を傾けつつ、ときに質問をしたりしながら、ゆとりをもって見学できるのは、嬉しい。衆議院の議員堂に入れたことも、そしてそこでゆとりをもってカツカレーにありつけたことも、 嬉しい。 政治家さんに大人気というカツカレー2023.8.17) 案内をしてくれた衛視さんが言

    朝井リョウ 著『時をかけるゆとり』より。著者の6年生のときの担任、素晴らしいってよ。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/08/18
  • 平野啓一郎 著『三島由紀夫論』より。執筆開始から23年。670頁の大作。読まねばならない! - 田舎教師ときどき都会教師

    書は、三島が最後の行動に至る軌跡を、その作品に表現された思想に忠実に辿るものだが、では、その死が必然的なものであり、不可避であったかと言えば、必ずしもそうとは思わない。三島自身が政治思想の偶然性を強調している通り、『鏡子の家』に対する文壇の無理解など、人は深く傷ついているが、今にしてみれば、くだらないと言えなくもない出来事の影響が大きく、彼の最も微妙なその第三期次第では、違った四期を迎えていたであろう。 (平野啓一郎『三島由紀夫論』新潮社、2023) こんばんは。国家が、とか、天皇が、とか、三島が、とか、おそらくそんなことは1ミリも考えずに、旅先の写真とともに「めっちゃ楽しんでいます!」なんてメッセージをくれる職場の若者たちって、 三島由紀夫よりも賢い。 そう思うのですが、どうでしょうか。平野啓一郎さんも《三島には一貫して、知性に対する軽蔑があり、行動家の無知・無学を純粋さの証明のよう

    平野啓一郎 著『三島由紀夫論』より。執筆開始から23年。670頁の大作。読まねばならない! - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/08/15
  • 佐藤厚志 著『荒地の家族』より。祭りを通して学ぶ、ここが他のどこでもない地元だという根拠の大切さ。 - 田舎教師ときどき都会教師

    滑らかな白いコンクリートがどこまでも続く。道路ができ、防潮堤が聳え、土地は整備された。日がな一日風が吹きすさび、ひとつとして特徴を見出せない浜を見渡すと、ここがどこだかわからなくなる。実際、どこでもなかった。荒浜でも吉田でも鳥の海でもない。 ここがここであるという証拠を剥ぎ取られた、ただの海辺だった。 (佐藤厚志『荒地の家族』新潮社、2023) こんにちは。先日、弘前のねぷた祭りと仙台の七夕祭りをはしごしてきました。はしごといっても距離があるので同じ日ではありませんが、どちらも地元出身のプアン(友だち)による案内付きという贅沢な2日間で、数日経った今も、その余韻というか残響のようなものが残っています。 ヤーヤードー。 ねぷた祭りの掛け声です。七夕祭りとは違って、ねぷた祭りは初めてだったので、ほんと、大興奮でした。次は弘前の小学校で働くのもいいなと思ったくらいです。気で。社会学者の宮台真司

    佐藤厚志 著『荒地の家族』より。祭りを通して学ぶ、ここが他のどこでもない地元だという根拠の大切さ。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/08/12
  • 織守きょうや、坂井希久子、額賀澪、原田ひ香、柚木麻子 著『ほろよい読書』より。君たちはどう生きるか。 - 田舎教師ときどき都会教師

    「でもま、しょうがないよね。もうナオのいない世界には戻れないし、考えたくもない。体はキツいし悩みごとも増えたけど、全部帳消しになっちゃう瞬間があるから。妊活頑張った甲斐があったよ」 「そっかぁ」 「いいよ、子供。予測不可能で」 カランと、手にしたグラスの中で氷が鳴る。とろりとした甘い梅酒。心の表面のささくれも、優しく覆ってくれればいいのに。 (織守きょうや、坂井希久子、額賀澪、原田ひ香、柚木麻子『ほろよい読書』双葉文庫、2021) こんばんは。昨日、久しぶりに映画館に行って、人生初となる「はしご」をしてきました。宮﨑駿監督の『君たちはどう生きるか』と、クリストファー・マッカリー監督の『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』です。 いいよ、映画。予測不可能で。 ナオの母に倣ってそう言いたいところですが、どちらも過去の作品へのセルフオマージュ的なシーンが多く、予測可能

    織守きょうや、坂井希久子、額賀澪、原田ひ香、柚木麻子 著『ほろよい読書』より。君たちはどう生きるか。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/08/05
  • 青山美智子、朱野帰子、一穗ミチ、奥田亜希子、西條奈加 著『ほろよい読書 おかわり』より。読書は日常。 - 田舎教師ときどき都会教師

    「月並みだけど、生牡蠣べるならこれだよね」と行人が選んだのはシャブリだった。レモンのように酸味が強く、生牡蠣のミネラル感と同調してくれる。一杯目はいつもこれだ。 「ワインもいいけど……」と莉愛は迷っていたが、「やっぱ日酒かな」と純米吟醸を選んでいた。アルコール度数高め、うすにごりの生原酒だ。 生牡蠣よりも先に酒が運ばれてきた。まずは、お疲れ様でした、と軽く乾杯だけすする。 「さあ、牡蠣をたくさんべるぞ」 莉愛が純米酒を口に含んだ。 「負ける気がしない」 行人もシャブリを飲んだ。 (青山美智子、朱野帰子、一穗ミチ、奥田亜希子、西條奈加『ほろよい読書  おかわり』双葉文庫、2023) こんにちは。どうでしょうか。月並みだけど、牡蠣、べたくなりますよね。シャブリ、飲みたくなりますよね。べたくなったし、飲みたくなったので、定時に学校を出て、オイスター・バーへ。 5名の作家(青山美智子、朱

    青山美智子、朱野帰子、一穗ミチ、奥田亜希子、西條奈加 著『ほろよい読書 おかわり』より。読書は日常。 - 田舎教師ときどき都会教師
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    s-johnny 2023/08/03
  • 小川糸 著『私の夢は』より。生きている限り、夢は増えていくもの。 - 田舎教師ときどき都会教師

    に戻ってきて、人工物の多さにぎょっとした。ウランバートルは大都会だけど、そこから車で30分も走れば、もう電気もない大草原だったから。日の町並みを見て、よくぞここまでいろんな物を作ったなぁ、と感心してしまう。 そして、人の多さにもびっくりした。渋谷で電車を乗り換えるだけで、3週間、モンゴルで出会った人の数を、はるかにしのぐ数の人達とすれ違った。 今までの私だったら、ここで、あーあ、と思っていた。でももう、どんなに人工物を目の当たりにしても、その向こうに、草原が見える。はっきりと、緩やかな丘のような山並みが、見えるのだ。そこには、羊の群れもいるし、人の営みを守る小さなゲルもある。そしてもう一人の私が、その草原で、自由に馬に乗り、大地に手足を広げて、ゴロンしている。 (小川糸『私の夢は』幻冬舎文庫、2012) こんばんは。昨日は熱中症警戒アラートが出ていたにもかかわらず、近隣の学校がやって

    小川糸 著『私の夢は』より。生きている限り、夢は増えていくもの。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/07/29
  • 小川糸 著『食堂かたつむり』より。新鮮な心で、厨房に立っていたい。新鮮な心で、教壇に立っていたい。 - 田舎教師ときどき都会教師

    薪割り作業を終えた熊さんと一緒にお昼の釜揚げうどんをべた後、私はさっき摘んできた山ブドウを丁寧に洗って煮つめ、バルサミコ酢の仕込みにかかった。 完成するのは、十二年後。どんな味に生まれ変わるのか、目を閉じて想像してみる。 もしかしたら途中で失敗してしまうかもしれない。けれど、十二年後も、こうして私は同じように新鮮な心で、厨房に立っていたい。そんな強い願いを込めて、私は慎重にバルサミコ酢の原液を煮沸消毒した瓶の中に詰め込んだ。 (小川糸『堂かたつむり』ポプラ文庫、2010) こんばんは。一昨日の午後に卒業生が遊びに来てくれて、教室で約3時間、中学入学から中学2年生の1学期までの生活を微に入り細に入り「かたつむり」のごとく説明してくれました。そして昨夜は13年前の教え子たちがミニ同窓会に招待してくれて、堂で約4時間、どんな味に生まれ変わったのかを10歳だった頃の懐かしさを残した声で教えて

    小川糸 著『食堂かたつむり』より。新鮮な心で、厨房に立っていたい。新鮮な心で、教壇に立っていたい。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/07/23
  • 町田そのこ 著『52ヘルツのクジラたち』より。メルヴィルの『白鯨』にも、村上龍さんの『歌うクジラ』にも負けない傑作。 - 田舎教師ときどき都会教師

    52ヘルツのクジラ。世界で一番孤独だと言われているクジラ。その声は広大な海で確かに響いているのに、受け止める仲間はどこにもいない。誰にも届かない歌声をあげ続けているクジラは存在こそ発見されているけれど、実際の姿はいまも確認されていないという。 (町田そのこ『52ヘルツのクジラたち』中央文庫、2023) おはようございます。昨日、1学期が無事に終わりました。ホッとしています。どれくらいホッとしているのかといえば、365日の中でいちばんといっていいくらいホッとしています。とはいえ、油断大敵。あまりにもホッとし過ぎたために、終業式の夜に発熱してそのまま10日間の隔離生活を余儀なくされたんですよね、1年前は。だから今年はホッとしつつも、村上春樹さんいうところの《歌はもう終わった。しかしメロディーは鳴り響いている》を意識して、戦闘モードを完全には崩していません。誰にも届かない歌声をあげ続ける「52ヘ

    町田そのこ 著『52ヘルツのクジラたち』より。メルヴィルの『白鯨』にも、村上龍さんの『歌うクジラ』にも負けない傑作。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/07/22
  • リヒテルズ直子、苫野一徳 著『公教育で社会をつくる』より。保護者は、学校にとってかけがえのないリソースだ。 - 田舎教師ときどき都会教師

    また、教員と保護者の協働は、教員の仕事を軽減するためではなく、子どもたちが直接触れる大人の社会が市民社会として機能していることを学校を舞台として見せるため、言い換えるならば、学校を、子どもを取り巻く「共同体」にするためという積極的な目的のもとに行われています。 (リヒテルズ直子、苫野一徳『公教育で社会をつくる』日評論社、2023) こんばんは。先日、6月末に授業でコラボした保護者とたまたま居酒屋で会って、3時間ほど「ほんとうの対話」を楽しみました。コミュニケーションの質はシチュエーションに左右されるとはよく言ったもので、1対多の保護者会や15分程度の個人面談ではできない質の話ができるんですよね、いわゆるサード・プレイスでは。途中、たまたまその居酒屋に足を踏み入れた同僚と、同じくたまたまフラッと顔を出した別の保護者も加わって、総勢6名。偶然も重なれば、 縁です。 教員が卒業生の自宅に呼ばれ

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    s-johnny
    s-johnny 2023/07/16
  • 小林祐児 著『リスキリングは経営課題』より。日本人のキャリアの特徴は「中動態的」。だから世界一学ばない。 - 田舎教師ときどき都会教師

    実際に日の現場で目にするのは、キャリアの主導権を企業に握られつつも、「なんだかんだ、そこそこ楽しく」働いている多くの会社員の姿です。すごく仕事を楽しんでいるわけではないけれど、とはいえ居酒屋で愚痴っていれば解消するくらいの不満しか抱えない。業務命令異動やジョブ・ローテーションも、「飽きが来ない」「新しい人との出会いがある」「成長できる」ものとして捉えている人も多いものです。そうした人々にとっては、先ほどのような「受動的な仕事/能動的な仕事」という対比は、ピンときません。「学ばなさ」を考えるにあたって目を向けるべきは、強調されがちな日人のキャリアの「受け身な態度」ではなく、この「中途半端さ」そのものです。 (小林祐児『リスキリングは経営課題』光文社新書、2023) こんばんは。6月の前半に運動会と宿泊行事が立て続けにあり、ここしばらく「リスケジュールは経営課題」状態でしたが、「なんだかん

    小林祐児 著『リスキリングは経営課題』より。日本人のキャリアの特徴は「中動態的」。だから世界一学ばない。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/06/21
  • 映画『怪物』(是枝裕和 監督作品)より。こどもはおそろしい? それともおもしろい? - 田舎教師ときどき都会教師

    この映画は、こどもたちの現実を母親と教師の視点からそれぞれに描き、親と子、教師と生徒の関係の困難さを浮き彫りにするが、映画が最終的に辿り着くのは、育てる側ではなくこどもたち自身の世界だ。 (劇場用パンフレット『怪物』東宝ライツ、2023) こんにちは。先週、移動教室に行ってきました。通算16回目の宿泊行事です。当日までの準備も、1泊2日の引率も、労働の視点から描くとイリーガルそのものですが、今回もまた、最終的には「行ってよかったな」という思いに辿り着くのだから、映画みたいにミラクルです。長時間労働という怪物はいても、映画『怪物』で描かれているようなモンスターはいません。4年生からの持ち上がりの学年(5年生)ということもあって、一人残らず、 おもしろい映画『怪物』のパンフレットには角田光代さんと内田樹さんのコラムが載っていて、好きには嬉しい。角田さん《子どもは大人が思うより複雑で、ゆた

    映画『怪物』(是枝裕和 監督作品)より。こどもはおそろしい? それともおもしろい? - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/06/18
  • 藤原章生 著『差別の教室』より。一方的な見方はやめろよ、違うんだよ。 - 田舎教師ときどき都会教師

    計15年ほど世界各地に暮らし、現地の人と親しんできました。そうした友人たちを振り返ったとき、その人を語る上で、例えば「コロンビア人」「中国人」といった国籍はさほど大きくないと気づきました。国籍は、その人のいくつかある属性の一つにすぎず、その人を形づくるのは、生来の気質や家庭環境、その人固有の経験や感受性であって、国籍で人を知ろうとしても限界がある。その結果、次第次第に私自身も、国籍は一つのラベルにすぎないという姿勢をとるようになりました。 (藤原章生『差別の教室』集英社新書、2023) おはようございます。雨です。晴耕雨読です。藤原章生さんの『差別の教室』を読み返しつつ、以前、藤原さんの講演会に行ったときに、有名人も無名人も大して変わらない、無名でもおもしろい人はおもしろいというような話を聞いたことを思い出しました。国籍と同様に、 知名度もまた一つのラベルにすぎない。 藤原章生さんの『酔い

    藤原章生 著『差別の教室』より。一方的な見方はやめろよ、違うんだよ。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/06/11
  • マルティン・ブーバー 著『我と汝』(野口啓祐 訳)より。ごん、youだったのか。 - 田舎教師ときどき都会教師

    〈われ〉ー〈なんじ〉の根源語は、自分の全身全霊を傾けて語るよりほか方法がない。わたしが精神を集中して全体的存在にとけこんでゆくのは、自分の力によるのではない。しかし、そうかといって、自分なしでできることでもない。まことに、〈われ〉は、〈なんじ〉と出会うことによってはじめて、真の〈われ〉になるのである。わたしが〈われ〉となるにしたがって、わたしは相手を〈なんじ〉と呼びかけることができるようになるのである。 すべての真実なる生とは、まさに出会いである。 (マルティン・ブーバー『我と汝』野口啓祐 訳、講談社学術文庫、2021) こんばんは。5月29日の月曜日に年休を大胆に駆使して代官山へ行き、社会学者の宮台真司さんの特別講演を聞いてきました。特別講演のタイトルは、マルティン・ブーバー『我と汝』から読みとく「なぜ、あなたは生きづらいのか」です。目当ては昔からのファンである宮台さんであり、生きづらさ

    マルティン・ブーバー 著『我と汝』(野口啓祐 訳)より。ごん、youだったのか。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2023/06/03