ブックマーク / www.countryteacher.tokyo (157)

  • 谷崎潤一郎 著『陰翳礼讃』より。西洋の明るみに、日本の暗がりの深さがわかるものか。 - 田舎教師ときどき都会教師

    拠んどころなくこういう風に致しましたが、やはり昔のままの方がよいと仰るお方には、燭台を持って参りますという。で、折角それを楽しみにして来たのであるから、燭台に替えて貰ったが、その時私が感じたのは、日の漆器の美しさは、そういうぼんやりした薄明かりの中に置いてこそ、始めてほんとうに発揮されるということであった。 (谷崎潤一郎『陰翳礼讃』角川ソフィア文庫、2014) こんばんは。昨日、東京に帰省し、姉が予約してくれたギリシャ料理のお店でランチをしてきました。数日遅れの母の誕生日会です。チョコザップで鍛えているという母は、1944年生まれの80歳。 傘寿礼讃。 青と白のコントラストが映える(2024.12.8) ウーゾを飲んですぐに酔う 家庭料理ムサカ(茄子とミートソースのグラタン) 青と白のコントラストが美しいなぁ。たしか村上春樹さんが住んでたんだよなぁ。陰翳という概念の暗示すらなさそうだなぁ

    谷崎潤一郎 著『陰翳礼讃』より。西洋の明るみに、日本の暗がりの深さがわかるものか。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2024/09/09
  • 千葉雅也 著『現代思想入門』より。別に飲みに行きたきゃ行けばいいじゃん。 - 田舎教師ときどき都会教師

    ここでデリダに戻ってみます。 一方で、二項対立を組み立てることでひとつの意味を固定しようとするのが常識的思考です。たとえば「大人は優柔不断であってはいけない」といったもの。そこでは暗に子供的なあり方や、決断が揺らぐことが排除されています。そこに揺さぶりをかけると、「いや、別に優柔不断でもいい」、「必ずしも強い決断をすることがプラスとは限らない」といったことが出てくる。そういう揺さぶりをかけるのが脱構築的思考なのでした。 (千葉雅也『現代思想入門』講談社現代新書、2022) こんばんは。授業でコラボしている大学の先生が、学期早々に「知り合いにパリ五輪で金メダルをとった選手が何人かいるんですが、今度連れて行ってもいいですか。ただ単に子どもと保護者と先生に金メダルをかけて写真を撮りたいだけです」って、そういう揺さぶりをかけてきて、 脱構築的に楽しい。 意味のわからないことをしようというのが、前々

    千葉雅也 著『現代思想入門』より。別に飲みに行きたきゃ行けばいいじゃん。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2024/09/07
  • 磯田道史 著『日本史を暴く』より。教科書にはない史実を学び、授業に役立てよう。 - 田舎教師ときどき都会教師

    では修学旅行は明治十年代から師範学校などで始まった。最初は「長途遠足」などと言っていたが、明治二十年に『大日教育会雑誌』に「修学旅行」の文言が登場。翌年、「尋常師範学校設備準則」で、修学旅行は「定期の休業中に於て一ヶ年六十日以内」で行うことが定められ、師範学校で修学旅行が公式化したとされる。ちなみに、この準則は100頁もあり、職員数の他に、備えるべき動物標の種類まで全国一律で規定された。ヘビ部門はマムシとアオダイショウ、昆虫ではタマムシなどの標を確保せよ、と具体的に規定していて細かい。 (磯田道史 著『日史を暴く』中公新書、2022) こんばんは。先日、ハブ酒を飲む機会がありました。ヘビ部門のお酒にチャレンジしたのは、 人生初。 店員さんに促されるまま、ソーダ割りにして恐る恐る口にしたところ、なんと、ハブではなくハーブの香りがするではありませんか。驚きです。これなら飲める。気に

    磯田道史 著『日本史を暴く』より。教科書にはない史実を学び、授業に役立てよう。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2024/09/03
  • 汐見稔幸 編著『学校とは何か』より。公立の学校のおもしろさは、世界に一番近い状態にあるというところ。 - 田舎教師ときどき都会教師

    教育歴史的に古くからあったのですが、書でも先に述べたように(73ページ参照)、全てはすぐれた師を見つけ、弟子入りを願い、許されて教えを請う関係に入る形で行われてきました。 ところが現代の学校は異なります。教員は、教える方法のプロですが、教える内容のプロではないのです。教える内容に迫力がどうしても足りなくなる。そこで、宮下先生は、その道の専門性を持った人たちにたくさんきてもらって、あるいはこちらから出かけていって、さまざまな知識スキルを教示してもらいながら、学びの内容に専門性を担保しようとしているのです。 (汐見稔幸 編著『学校とは何か』河出新書、2024) こんにちは。師って、大事ですよね。担任としての力量を高めたければ、時間のかかる研修よりも、師。時間のかかる研究よりも、師。つまり、長時間労働よりも、師です。 私の場合は最初に赴任した県の1校目の小学校でも、次に赴任した県の1校目の小

    汐見稔幸 編著『学校とは何か』より。公立の学校のおもしろさは、世界に一番近い状態にあるというところ。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2024/09/01
  • 今井むつみ、秋田喜美 著『言語の本質』より。はじめに身体接地ありき。はじめにオノマトペありき。はじめに初等教育ありき。 - 田舎教師ときどき都会教師

    語の音象徴における清濁の重要性は、それがオノマトペ以外でも見られることからもわかる。「子どもが遊ぶさま」の「さま」に対して、「ひどいざま」の「ざま」は軽蔑的な意味合いを持つ。「疲れ果てる」の「はてる」に対する「ばてる」んもぞんざいなニュアンスが伴う。 以前、あるテレビ番組で、癌を経験した女優の大空眞弓さんが、「「がん」じゃなくて「かん」と呼べばショックが少ないのに」というような話をしていた。これもまさに清濁の音象徴から来る感覚である。 (今井むつみ、秋田喜美『言語の質』中公新書、2023) こんにちは。例えば、小学校の学級担任がこういった話を子どもたちにし続けることができれば、子どもたちの国語の成績は上がると思うんですよね。授業そのものよりも言語環境(日々、どんな言葉、語彙、引用、言い回し、エピソードを浴びているか)が大事だという仮説です。 まぁ、かんですが。 教師の直感はけっこう正

    今井むつみ、秋田喜美 著『言語の本質』より。はじめに身体接地ありき。はじめにオノマトペありき。はじめに初等教育ありき。 - 田舎教師ときどき都会教師
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    s-johnny 2024/08/30
  • 鶴見済 著『0円で生きる』より。無料のやり取りの輪を作る。 - 田舎教師ときどき都会教師

    それほど遠くない昔、我々は効果的にシェアを行っていた。小津安二郎監督の1953年の映画『東京物語』のなかにこんなシーンがある。 田舎から出てきた老夫婦が、一人暮らしの娘のアパートの部屋にやってきた。そこで娘は隣の部屋の主婦から酒を借りに行く。一升瓶を借りて戻った後、さらに徳利とおちょこも借りに行くと、ついでにピーマンの煮物も貰って戻ってくるのだ。 (鶴見済『0円で生きる』新潮社、2017) おはようございます。前回のブログで紹介した小川糸さんの『針と糸』はベルリンでの生活を舞台にしたエッセイ集で、そのなかにこんなシーンがあります。 大きな荷物を抱えた配達人が、小川さんの部屋にやってきた。その荷物は小川さん宛に届いたものではなく、隣の住人に送られてきたものだった。つまり、隣人はいま不在だから、 帰ってきたら渡しておいてくれ、と。 小川さんはこの「隣人の荷物を預かる」という経験について、同タイ

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    s-johnny
    s-johnny 2024/08/29
  • 小川糸 著『針と糸』より。大きな決断をしなければ、見えない景色がある。 - 田舎教師ときどき都会教師

    私にその意思さえあれば、ここで遊牧民として生きることだって、決して不可能ではないということ。自分はそれくらい自由で、どこにでも住めるのだ、とはっきり自覚したのである。そうしたら、ものすごく楽になった。自分をがんじがらめに縛っていたのは、他でもない、自分自身だったのだ。 (小川糸『針と糸』朝日文庫、2022) こんにちは。先日、作家(画家)の都守太朗さんらが開いているグループ展に足を運びました。10年くらい前に都守さんと授業でコラボして以来、個展だったりグループ展だったりの案内が来たときには可能な限り行くようにしています。 縁は育むもの。 石展(2024.8.1) 石と作品展(2024.8.26) www.countryteacher.tokyo 都守さん曰く「授業が終わってからもこうやって来てくれるのは〇〇さんだけです」云々。縁を育むことのおもしろさや都守さんのおもしろさに気付いている担任

    小川糸 著『針と糸』より。大きな決断をしなければ、見えない景色がある。 - 田舎教師ときどき都会教師
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    s-johnny 2024/08/28
  • 猪瀬直樹 著『持続可能なニッポンへ』より。持続可能な公教育へ。 - 田舎教師ときどき都会教師

    東京都足立区では児童・生徒数の42.5%が就学援助を受けている、と朝日新聞は格差の拡大の証明のように報じた(06年1月3日付)。だが足立区では4人家族で年収329万円~412万円(幅は家族の年齢構成による)、また6人家族は年収410万円~528万円で、就学援助が受けられる。 この年収は、裕福とはいえないが必ずしも従来の「困窮家庭」の観念とは違う。地価が上昇に転じた東京都は、他の道府県に比べると潤沢な固定資産税収をはじめとした地方税収がある。景気が回復基調にあるから社機能が集中する東京都の税収は増えた。そうした余裕資金を、来なら地価が下げ止まらず、高齢化が深刻な過疎の地方へ分配したほうが公平なのだ。そういう地方共同税的な制度がないので、23区では税収に比較的余裕が生じる。だから就学援助というバラマキが可能で、「大きな政府」になっている。 (猪瀬直樹『持続可能なニッポンへ』ダイヤモンド社、

    猪瀬直樹 著『持続可能なニッポンへ』より。持続可能な公教育へ。 - 田舎教師ときどき都会教師
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    s-johnny 2024/08/27
  • さくらももこ 著『ひとりずもう』より。私の人生は私のものでしかない。 - 田舎教師ときどき都会教師

    夏休み前に、短大の国文科への推薦希望者は、作文の模擬テストを受ける事になった。私は作文は得意だったので、気軽な気持ちで作文を書いた。 その作文が、ものすごくほめられた。評価のところに、「エッセイ風のこの文体は、とても高校生の書いたものとは思えない。清少納言が現代に来て書いたようだ」とまで書かれていた。 (さくらももこ『ひとりずもう』集英社文庫、2019) こんにちは。もしもその模擬テストを採点した先生がさくらももこさんをほめなかったら、もしも三島由紀夫の初等科2年生のときの担任の先生が三島の綴り方をほめなかったら、もしも朝井リョウさんの小学6年生のときの担任の先生が朝井さんの作文に何の興味も示していなかったら、私たちは『ひとりずもう』も『金閣寺』も『何者』も読めなかった(かもしれない)わけですから、その先生たちに足を向けては寝られません。 学校の先生って、大事。 www.countryte

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    s-johnny 2024/08/25
  • 小川てつオ 著『このようなやり方で300年の人生を生きていく』より。やりたい事をやる。 - 田舎教師ときどき都会教師

    さらにいえば、このような旅行をしていると必ず「若いうちだけだよ」とか「思い出作りにね」とかいう言葉をはげましとして言われのだが、これもあたいは、イヤだ。旅行をいつまで続けるかということではなく、このようなやり方・精神で、三百年の人生を生きていく、そのためのむしろ準備体操の、そのまたアキレス腱のばしにすぎない小旅行において、このような言葉は実に退行的に聞こえる。 (小川てつオ『このようなやり方で300年の人生を生きていく[新版]あたいの沖縄旅日記』) こんばんは。昨日、豆腐ようという沖縄の珍味をべました。ちょうど小川てつオさんの沖縄旅日記を読んでいたので、うん、timely。後学のために書いておくと、豆腐ようというのは島豆腐を米麹、紅麹、泡盛により発酵熟成させたもので、東洋のチーズと呼ばれることもある(らしい)。当然、泡盛との相性がよく、ワインやビール、焼酎にも合う(らしい)。 そんなわけ

    小川てつオ 著『このようなやり方で300年の人生を生きていく』より。やりたい事をやる。 - 田舎教師ときどき都会教師
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    s-johnny 2024/08/23
  • 上田岳弘 著『旅のない』より。芥川賞作家が紡ぐ4つのストーリー。 - 田舎教師ときどき都会教師

    ナビを見ると、新幹線の駅まで残り10分ほどだった。僕は、彼が撮ろうとした映画の話を切り出すタイミングを見計らっていた。なぜか気になっていた。それは言葉に置き換えるべき何かが発見できる予感があったからかもしれない。時々、そんなことがある。言葉に置き換えることで、ごく少数かもしれないが、いくばくかの人に働きかける事象がそこに転がっていると感じることが。文章にしたところで、多くの人を感動させるほどのものではないかもしれないし、そもそも感動と表現してしまうと、崩れてしまう何かかもしれない。それを読んだ人の胸中に起こるのは、USBに差して使うタイプの扇風機が作る程度の微風かもしれない。けれど、それはうまく掘り当てられることを待っているのだ。 (上田岳弘『旅のない』講談社文庫、2024) こんばんは。今日、同僚から結婚式の招待状が届きました。開封したところ、思いがけず「当日乾杯のご発声を」とあります。

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    s-johnny 2024/08/22
  • さくらももこ 著『ももこの世界あっちこっちめぐり』より。ももこは天才だし、子供心を失っていない。 - 田舎教師ときどき都会教師

    そこはもう、ガウディの世界一色だった。ガウディの世界に触れた人は皆「ガウディは、子供心を失っていない天才だ!!」と一様に言うが、まさしくその言葉に尽きる。ガウディは天才だし、子供心を失っていない。 (さくらももこ『ももこの世界あっちこっちめぐり』集英社文庫、2021) こんばんは。昨夜、子供心を失っていないかつての同僚2人と久闊を叙しました。一人は4年ぶり、もう一人は7年ぶりです。 楽しい。 まさしくその言葉に尽きる一夜でした。小見出しをつけるとしたら「3人の世界あっちこっちめぐり」となるでしょうか。18時から23時まで、ざっくりいうと「私たちはどこから来たのか、私は何者か、私はどこへ行くのか」ということについて、話に花が咲きっぱなしでした。それぞれの物語に、 酔った。 かつての同僚と(2024.8.19) 教育委員会には「いそぎ」っていう言葉があってね、命に関わること、訴訟になりそうなこ

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    s-johnny 2024/08/20
  • 伊坂幸太郎、東野圭吾、他『時ひらく』より。じつに素晴らしい。 - 田舎教師ときどき都会教師

    仙台駅の西口方面には、東西に走る大通りが三つあり、北から、「常禅寺通り」「広瀬通り」「青葉通り」と名前がついている。その常禅寺通りを駅側の端から十分ほど歩いたあたり、大きな交差点の角に百貨店「三越」があった。建物は二つあり、常禅寺通りにくっつく角に建つほうが「常禅寺通り館」で、そこと連絡通路でつながった南側が「館」だった。館側のアーケード通りに面した入口に、ライオン像があったはずだ。 「あれに跨がると夢が叶うんだって」 ライオンに跨がる? (伊坂幸太朗、東野圭吾、他『時ひらく』文春文庫、2024) こんにちは。土日に少し遠出をしてきました。遠出のお供は、伊坂幸太郎さんが執筆者の一人として名を連ねている、アンソロジー『時ひらく』です。伊坂さんは、 大学の先輩。 学部は異なるものの、在学期間も異なるものの、だから面識すらないものの、仙台の描写を読むと、いつも「過去ひらく」感じがして、ノスタ

    伊坂幸太郎、東野圭吾、他『時ひらく』より。じつに素晴らしい。 - 田舎教師ときどき都会教師
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    s-johnny 2024/08/19
  • 小池陽慈 編『つながる読書』より。本に対する愛を紐帯として、つながろう。 - 田舎教師ときどき都会教師

    私、今回の企画にあたってお声がけした方々の全員と、つい数年前まではまったくの他人だったんです。それが、SNSや各種のイベントを通じ、こうしてつながった。もちろん、に対する愛を紐帯として。すごいですね。は、人と人とをつなげてくれるんですね。 (小池陽慈 編『つながる読書』ちくまプリマー新書、2024) こんばんは。つい数年前まではまったくの他人だった人たちとともに、日、雨にも負けず風にも負けず(台風7号にも負けず)国立国会図書館に行ってきました。なぜ国立国会図書館に行ったのかといえば、それはもちろん、に対する愛を紐帯としてつながった人たちだからです。 国立国会図書館(2024.8.16) 1948年設立 地下8階 その1 地下8階 その2 国立国会図書館は、議員法制局と同じように、国会議員が行政官僚に対抗するための武器としてつくられた(という側面もある)そうです。GHQが国立国会図書

    小池陽慈 編『つながる読書』より。本に対する愛を紐帯として、つながろう。 - 田舎教師ときどき都会教師
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    s-johnny 2024/08/16
  • 吉藤健太朗 著『「孤独」は消せる。』より。念願の「分身ロボットカフェ DAWN」に行ってきました! - 田舎教師ときどき都会教師

    テクノロジーが進歩し、インターネットで世界中の誰とでもリアルタイムにやりとりができて、ネットで注文したものが即日届くこの時代。それでも我々は毎日顔を洗い、着替え、時間をかけてバスや電車に乗って教室やオフィスに集まる。なぜだろうか。朝起きて仕事に行く準備に1時間、片道1時間の通勤を1か月間も続ければ、その時間だけで約3日分を費やしたことになる。1年続ければ、およそ1か月分だ。それでも我々は移動をやめない。それは一体なぜか。 (吉藤健太朗『「孤独」は消せる。』サンマーク出版、2017) こんばんは。それは一体なぜかといえば、人に出会うためでしょう。村上龍さんの『歌うクジラ(下)』でいうところの《生きる上で意味を持つのは、他人との出会いだけだ。そして、移動しなければ出会いはない。移動が、すべてを生み出すのだ》というのが理由です。ロボット・コミュニケーターの吉藤オリィこと吉藤健太朗さん(以下、オリ

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    s-johnny 2024/08/15
  • 授業づくりネットワーク編集委員会 編『揃わない前提の授業を見る・感じる・考える』より。定時に準備が終わる前提の授業も考えたい。 - 田舎教師ときどき都会教師

    ネットワーク運動というのは、「異質な者どうしの学び合い」を方針に掲げているので、私は当時、大学の先生や企業の方など色んな人と関わっていく中で、自分の実践にもすごく役立つし、面白かったので、続けてきました。今、石川さんが向山さんとは別の方向でみたいな話をされましたが、つまり、再現可能性ではなく、我々は伝達可能性にこだわりたいと考えてきたんですね。 (授業づくりネットワーク編集委員会 編『揃わない前提の授業を見る・感じる・考える』学事出版、2024) こんばんは。2学期に向けて、少しずつ準備を進めています。今日は学年の研究の件で午前中に大学の先生と打合せ(オンライン)をしました。先週は総合のゲストティーチャーの件で企業の方と打合せ(オフライン)をしました。そんなこんなで、上記の引用にある「異質な者どうしの学び合い」という言葉が「今の私」にはとてもしっくりきます。ちなみに引用の発言者は授業づくり

    授業づくりネットワーク編集委員会 編『揃わない前提の授業を見る・感じる・考える』より。定時に準備が終わる前提の授業も考えたい。 - 田舎教師ときどき都会教師
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    s-johnny 2024/08/14
  • 池波正太郎 著『ル・パスタン』より。あなた様はまだ生活をご存じないのでは……。 - 田舎教師ときどき都会教師

    ジュリオは、子供たちにあたえる果実ひとつにも季節が消えてしまった現代をなげいて、 「いまは、いつでも何でもある。けれど、子供に思い出がなくなってしまった」 と、哀しげに、つぶやく。 思い出をもたぬ人間の不幸を、現代人は不幸とおもわぬ。国の歴史があるように、一個の人間にも〔歴史〕があることを思わぬ時代となった。歴史は人の世界の変遷だ。 (池波正太郎『ル・パスタン』文春文庫、2022) こんばんは。先日、上田にある池波正太郎真田太平記館にフラッと立ち寄りました。池波正太郎(1923-1990)のは『編笠十兵衛』しか読んだことがありませんでしたが、「入ってみようかな」と、懐かしげに、そうつぶやきたくなったんですよね。四半世紀以上も前にインドのバラナシで読んだ『編笠十兵衛』が、私にとっては〔歴史〕ともいえる思い出になっているからです。 まぁ、黒歴史ですが。 池波正太郎 真田太平記館(2024.8

    池波正太郎 著『ル・パスタン』より。あなた様はまだ生活をご存じないのでは……。 - 田舎教師ときどき都会教師
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    s-johnny 2024/08/13
  • 大岡昇平 著『野火』より。戦争を知らない人間は、半分は子供である。 - 田舎教師ときどき都会教師

    或る時、川は岸からかしいだ大木の蔭で、巨大な転石の間を早瀬となって越し、渦巻いていた。私はを脱し、足を水に浸した。足の甲はいつか肉が落ち、鶏の足のように干からびて、水に濡れにくかった。手の皮膚も骨に張りつき、指の股が退いて、指が延びたように見えた。 死は既に観念ではなく、映像となって近づいていた。 (大岡昇平『野火』新潮文庫、1954) こんばんは。巧いなぁと思います。引用の後半部分は特に。丸谷才一(1925-2012)が『文章読』で修辞技法を説明する際、例文の全てを『野火』とシェイクスピアの諸作品から採用したというだけのことはあります。恐るべし、大岡昇平(1909-1988)。ちなみに前回のブログで紹介した宮崎智之さんの文章も、いつか「文章読」を書いてほしいって、思わずそうつぶやいてしまうくらい「巧いなぁ」と感じます。 いつか当に書きたいです! https://t.co/oM5w

    大岡昇平 著『野火』より。戦争を知らない人間は、半分は子供である。 - 田舎教師ときどき都会教師
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    s-johnny 2024/08/12
  • 宮崎智之 著『モヤモヤの日々』より。普通のまま発狂したい。 - 田舎教師ときどき都会教師

    父は中也の代表的な詩「サーカス」の「ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん」という擬音に戯けた抑揚をつけて、僕に聴かせてくれた。それが耳に残り、何度も何度も朗誦をせがんだものだ。父自身は「含羞」という詩が好きで、「なにゆゑに こゝろかくは羞ぢらふ」と噛み締めるように諳んじていた。そのような幼少期を過ごしたおかげで、僕にとって文学とは、「父との楽しい時間」である。いまだに眉間にしわをよせてやるようなイメージがないのである。 (宮崎智之『モヤモヤの日々』晶文社、2022) こんばんは。昨夜、1学期の授業でコラボしたゲストティーチャー&関係者さんたちとの「振り返りの座談会」に参加してきました。授業の様子を編集した動画を観て話し合ったり、ゲストティーチャーのトークに耳を傾けたり。眉間にしわをよせてやるような事後検討会ではなく、 楽しい時間。 続・楽しい時間(2024.8.9) コミュ障の私にしては珍しく、

    宮崎智之 著『モヤモヤの日々』より。普通のまま発狂したい。 - 田舎教師ときどき都会教師
    s-johnny
    s-johnny 2024/08/11
  • 新藤宗幸 著『教育委員会』より。今も昔も、なぜ、教育委員会が問われるのか? - 田舎教師ときどき都会教師

    ほんとうにこの国は、「過剰同調社会」ではないだろうか。経営組織における業績評価と成績主義は行政組織にも導入されるべきだとの言説が展開されるのは、1990年代以降である。いわゆるNPM(新しい行政管理)として、イギリスやニュージーランドにはじまり多くの国を席捲していった。日も例外ではなく、中央・地方を通じた行政組織の改革が、独立行政法人の設立や市場化テストというかたちで進むとともに、高齢者介護の市場化、さらには学区の自由化による擬似的な教育市場の形成がおこなわれてきた。書はこうしたNPMによる行政の改革を格的に論じることを目的にしていないが、行政活動の市場化・疑似市場化への疑問や問題提起は、きわめて低調なことを強調しておきたい。 学校における教員の自己評価システムも、こうした文脈のもとにある。 (新藤宗幸『教育委員会』岩波新書、2013) こんにちは。前々回のブログに取り上げた、ジェリ

    新藤宗幸 著『教育委員会』より。今も昔も、なぜ、教育委員会が問われるのか? - 田舎教師ときどき都会教師
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    s-johnny 2024/08/10