宮城県南三陸町の佐藤仁町長は、東日本大震災の津波で多数の職員が死亡・行方不明となった町防災対策庁舎について、保存する方針を撤回し、取り壊す意向を示した。 防災対策庁舎は鉄筋3階建て、高さ約12メートル。震災当時、少なくとも職員ら約50人がいたが、生存が確認されたのは10人だった。佐藤町長は、津波被害の象徴として保存する方針を示していたが、職員の遺族から「悲しみを呼び起こす」と取り壊しを求める声が上がっていた。佐藤町長は読売新聞の取材に対し、「一人でも取り壊しを求める声がある以上、尊重したい」と答えた。 佐藤町長は「多くの同僚がなくなったことへの責任を感じている」として、17日から職員の遺族宅を訪問しており、同日は6遺族を訪れ、謝罪した。