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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (405)

  • コンセプトがあいまいなら出来るものもあいまい:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ちょっと前に書いた「そのサイトに魂はあるのか?」と絡む話なんですが、Webサイトの構築やリニューアルの際に見られるコンセプトってどうもピリッとしないものが多くありませんか。 言葉としては、なんとなくきれいに(無難に)まとまっていて、決して内容的にも間違っているとはいえないのだけど、コンセプトとして表現しているものがあいまいなものが多いと思います。 コンセプトは、そのWebサイトが何なのかを要点をまとめて示したものです。当然、コンセプトがあいまいなら出来るものもあいまいになります。 コンセプトは標語じゃないそれがどういうわけかどこにでもありそうな標語みたいになっちゃってるものが多くて、それでいて要望は差別化だったりするので意味がわかりません。 コンセプトと聞くと、コンパクトに

  • ユーザーの生活や思考を知ることからデザインをはじめる: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近、Webデザインを考える際にも、マーケティングを考える際にも、ユーザーや顧客の視点というものをあらためて強く意識しなくては、と思っています。 ユーザー中心設計、顧客志向とはいうけれどユーザビリティにおいてはユーザー中心デザインということが言われ、マーケティングにおいてはもっと古くから顧客志向、マーケットインなどが重要だと言われ続けていますが、実際にそれを実践できている企業やデザイナーはごく少数に限られるのではないでしょうか? ありがちな間違いは、ユーザー中心設計、顧客志向といいつつ、既にあるWebサイトや商品ラインナップからユーザーあるいは顧客を見てしまうことです。 ユーザーはこのWebサイトをどう使うのか? なんて説明すれば顧客はこの商品がほしくなるのか? 一見、ユー

  • 脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか/茂木健一郎: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 先日、「言葉の意味とは?:オルタナティブを考える力」というエントリーでもこの『脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか』というについては取り上げましたが、すべて読み終わりましたのであらためて書評を。 脳に対する物理学的アプローチまず、このを読んでの一番の感想は、茂木健一郎さんというのは物理学者なんだなという印象をもったことです。 もちろん、脳を対象に研究をされているので、多くの方が認識しているとおり、脳科学者という位置付けで間違いありません。ただ、その脳に対するアプローチの仕方はあきらかに物理学者の態度のように感じました。 脳に対するアプローチは、生物学的、生化学的な方面から行うのがより一般的なアプローチといえるのかもしれませんが、このに見られる茂木さんのアプローチはそ

  • 言葉の意味とは?:オルタナティブを考える力: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 茂木健一郎さんの『脳とクオリア―なぜ脳に心が生まれるのか』がおもしろい。 まとまった書評は後日書くとして、今日は「第7章 「理解」するということはどういうことか?」に出てくる言葉の意味などの理解に関して、書いてみようと思います。 「」という言葉の意味はどこにある?このブログでは記号論といえば、主にパースのそれを参照していますが、それとは異なる記号学の体系としてソシュールによるものがあります。 パースの三項関係を基とした記号には確固とした意味が存在しないとみる記号論に対して、ソシュールの記号学はそれが構造主義とみなされるように、記号を他の記号との差異によって捉えます。 例えば、「」という言葉は、他の様々な言葉との関係において表すことができるでしょう。 「」は「犬」では

  • 悔しさ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 悔しいと感じる気持ちって大切だなと、今日いっしょに仕事をしているある人を見ていて、あらためて感じました。 よく「悔しさをバネに」とか言いますけど、悔しさはバネになる以上に、まず悔しいと思う気持ちは、自分で自分に足りないところがあることを素直に認められる強さの表れだと感じます。むしろ、バネになるのは、そういう自己認識ができるからなのでしょう。 何事もそうなんですけど、あるべき姿と現状のギャップを認識することが大事です。 その意味で、自分の現状の足りなさを認識して「悔しい」と感じることができる精神的な強さはとても大切なんだと思います。 その逆がうまくいかないのを、他人のせいにしてしまうことなのでしょう。 自分の側にも何か原因があることを認められず、ただ他人の責任ばかりを問う姿勢

  • そのサイトに魂はあるのか?:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いま、新規立ち上げのサイトの企画に関わっていますが、お客さんの「サイトに魂がこもっていない」という言葉を聞いて、ドキッとしました。 魂がこもっていない=コンセプトがあいまいようするに、「魂がこもっていない」というのは、サイトにエッジが立っていない、コンセプトがあいまいという意味だったんですが、おっしゃるとおりで企画自体、詰めがあまく、何のサイトかということがいまいちヴィヴィッドに見えていない状態でした。 そう言われて黙っているわけには行かず、急遽、お客さん交えて企画の練り直し。 ようは企画がピリッとしないのは、ユーザーの利用シーンが見えていないからで、ユーザーのどんなシーンで役立つのかがあいまいだからです。 全員で集まって、企画の練り直しをはじめる前に、ようするに、そこのと

  • WebマーケティングとSMAPマーケティング: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 よくWebマーケティングと普通のマーケティングとの違いいう話があります。でも、実はそんなの違いはないのでは?と思っています。 そもそも普通のマーケティングなんてものがあるのかどうかもよくわかりませんが、確かに一般論的に語られるものはなんとなくあるので、それはそれとしておきましょう。 SMAPのいないマーケティング環境で、Webマーケティングとその普通のマーケティングの違いですが、僕はそれ、SMAPのいるマーケティング環境とそうじゃないマーケティング環境の違いとおんなじようなものだと思っています。 ※もちろん「SMAP」でなくて他の有名タレントでもかまいません。 SMAPがいるから普通にCMとかにSMAP使うけど、そうじゃなかったら使えません。さらにいうとSMAPが存在しない

  • 今ある世界と別の世界を想像してみるスキル: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 マーケティングを行う上で重要なスキルだと僕が考えるものの1つに「今ある世界とちょっとだけ違う別の世界を想像してみる」スキルがあります。 ちょっとしたボタンの掛け違え売れないものの中には、何か1つボタンを掛け違えてしまっているために、人々がもっているニーズとつながらず、欲求を喚起できずにいるものが意外と多いのだと思います。 人々があらかじめ持っているスキーマ(知識の束)と商品の置かれた文脈(コンテクスト)にちょっとしたズレがあるために、「欲しい」あるいは「必要」という気持ちを起こさせない。つまり、それは何かしらの話を聞いたり、読んだりしたときの「わからなさ」に近いものがあります。 (「わかったつもり 読解力がつかない当の原因/西林克彦」参照) 商品が描く世界と人々が住む世界

  • ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか/入不二基義:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今日、仕事をしていてこんなことを考えました。 日常の仕事や家事のあいまにある休息時間、気分転換のひとときというのは、ある意味では、公的な役割を演じている自分から<私>自身へと戻る時間なのだろうな、と。 公的な<私>、私的な<私>考えたことを図にしてみると、こんな感じでしょうか? 「<私>への旅」と書いているのは、それが普段暮らしている環境からの一時的な逸脱、旅路のような気がしたからです。 僕がイメージしているのは「<私>に戻る」というよりは、普段、公的な場、公共の空間で、肩書きや役割、ユニフォームとしてのスーツ、公的なものとして求められる発言として規定されている公的な<私>からの逸脱として、そこから逃れるものとして私的な<私>が作られるというイメージ。 スタイルに包まれた<

  • 意識の中心と周縁: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 前に書いた「意識の中心と周辺」というエントリーの補足として。 「中心と周辺」という言葉は下條氏が独自に用いている言葉なのかもしれませんが、同じことは脳神経科学者のジェラルド・M・エーデルマンが次のような形で示しています。 ところで、意識シーンにはまんべんなく焦点が当たっているわけではなく、意識の中心と意識の周縁がある。これは、ダイナミック・コアが複雑な「機能クラスター」として営まれることから必然的にもたらされる特徴といえる。 中心と周辺(あるいは周縁)があるのは、観察から導かれたパターンであり、科学的に検証された事実というよりは、むしろ、「リンゴが木から落ちる」のと同様の研究対象であるといえます。 また、上記引用にあるダイナミック・コア・モデル自体、エーデルマンの仮説であり

    s1090018
    s1090018 2007/02/05
  • 中央大学公開研究会「視知覚における一過性信号の役割」: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 一過性信号とは、高コントラストで突然発信される刺激性のある信号を指しています。小さな光の点滅だったり、音による刺激などがそれに相当します。 今日の講演では、一般に増幅効果と情報の重み付け効果があるとされる一過性信号が、アウェアネス(気づき)や事象知覚にどのような影響を与えるかについての研究結果が発表されていました。 Motion Induced Blindnessその中でMotion Induced Blindnessを扱ったものがありました。 人間の視野には実は重要な箇所に神経伝達域があって、死角があります(ちなみにイカの眼は人間とよく似ているものの、神経伝達域が眼球の外側にあるので死角がありません)。死角は普段は脳内で補完されているために気づきません。 このサイト(Mo

  • シュリンキングシティ×ファイバーシティ@アキハバラ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 高齢化や人口の減少を要因として縮小する都市の未来を考えるイベント「シュリンキングシティ×ファイバーシティ@アキハバラ 縮小する都市に未来はあるか?」に行ってきました。 公式ホームページ(:::S×F@A::::):http://www.sfa-exhibition.com/index.html スタッフブログ:http://www.sfa-exhibition.com/cgi-bin/blog/ 展覧会「シュリンキングシティ×ファイバーシティ」今日から2月18日まで開催されているこのイベントは、展覧会「シュリンキングシティ×ファイバーシティ」、国際シンポジウム「縮小する都市に未来はあるか?」、トークイン「縮小する都市の未来を語る」の3つから構成されています。 僕は展覧会のみ

  • [いま読む]自分のために書くブログ:DESIGN IT! w/LOVE

    最近書き物系の仕事がつまっていたこともあり、反応が遅くなりました。 danさんのこの考え方、僕も実践しています。 blogはあくまでも今のあなたが今しかかけないことを書き留める場でいいのである。 「今のあなたが今しかかけないこと」というと逆に身構えてしまう方もいるかもしれません。でも、逆に僕はそう感じないんですよね。 引用や翻訳じゃない限り、自分が思いついたことなんて、結局、「今のあなたが今しかかけないこと」に自然となっちゃうのではないでしょうか。そこでヘンに身構えて読者の目を気にしだすと逆に「今のあなたが今しかかけないこと」でなくなってしまうのではないかと。 自分が読者とはいえ、僕だってブログを書くときに読者の目を気にしていないわけではありません。読まれることだって期待しています。 でも、何人かいると思っている読者のうち、僕が一番気にしているのは僕自身だと思います。ブログを書くときは、自

  • 2つのデザインプロセス:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ビジネスとWebをつなぐインターフェイスが必要だろうという話を前からちょっとずつしています。 どちらかといえば今は「Webがビジネスを変える」みたいな論調のほうが元気がよく、さらにはWebマーケティングなどの話もツールやサービスありきで成り立っていたりします。 それはそれでいいと思いつつも、やはり大部分を占める一般の事業会社の視点から見るとやっぱりその考え方ではつらいですねと感じています。 「Webがビジネスを変える」ではなく、ビジネスの課題をプロセス視点で捉えることでWebにプロセス自体を置き換えるような手法が必要とされているのではないかと思います。 主導権が逆なのでは前に「ツールだけでは人もビジネスも動かない、そして、Webそのものでさえも」でも ITシステムを改善した

  • 反復練習が脳力を高める: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 何かしらの知識を身につけ、自在に扱えるようにするには、反復的な練習が有効なことは今更いうことでもないでしょうか? でも、そうした反復練習そのものを自分の生活に意識的に取り込んでいる人はすくないような気がします。 反復を生活のなかに取り込む反復をするには、毎朝毎晩歯を磨くとか、1日何キロ走るとか、週に1冊はを読むとか、生活の中である程度は習慣化していかないと反復そのものが成り立ちにくいでしょう。 スポーツ選手の練習というのは、まさにこうした意味での反復ですよね。営業マンが1日の外出件数を決めて行動するのも同じような意味があるのかもしれません。そして、何より日々、ブログを書くことも反復練習を可能にする習慣化の1つの方法です。 前に「ブログを書くことはスポーツをすることと同じだ

  • 変化するWebのデザインとその設計スキル: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日のエントリー「<デザイン>とは何だろうか?」では、「<デザイン>が目的達成を可能にするなら、デザイン手法と目的には、何がしかの相関関係やさらに強い因果関係のようなものがあると考えることができるでしょう」といった旨のことを書きました。 現在のWebのデザインを考えると、表現技術、目的達成のために用いることが可能なデザイン手法は非常に増えてきています。当然、選択肢が増えれば、組み合わせの数は膨大になり、どの目的を達成するためにどの表現手法を選択するのか、その選択のための技術が問題になってくるのではないかと思いました。 そのことを考えるにあたって、まずは思いつく限り、どんなデザイン手法があるのかを書き連ねてみることにします。 そうすることで選択の際にどんなことを考えなくてはい

  • Webデザインの自由度、膨大な選択肢から選ぶことのむずかしさ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日の「変化するWebのデザインとその設計スキル」の続きとして。 ここで考えているのは、いま、思いつく中でどれくらいWebには<デザイン>するのに使える表現手段や動きを規定する方法があるのかを列挙してみることで、確実な自由度の高まりとそれゆえに生じる膨大な選択肢からどうやって最適な選択を行なうのかについてのヒントを得られないかということでした。 前回は、その中で「リッチ化、シームレス化する画面」と「画面の内と外」について考えました。今回はさらに「Webサイトの内と外」「多様化する入出力端末」「コンテンツの管理とコントロール」について考察してみようと思います。 Webサイトの内と外以前にも「Webサイトの内と外」というエントリーで、Webサイトへのアクセスは何もサイト内でのペ

  • デ・マーケティング:商品を大事にするための戦略: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 一般的にマーケティングとは、需要を創造し、刺激し、喚起する活動として認識されていると思います。一方でその逆に、需要を抑制する活動としてのデ・マーケティングが必要な場合があることは案外知られていません。 デ・マーケティングとはコトラー(P.Kotler)とレビイ(S.T.Levy)が提唱した概念であるデ・マーケティングとは、ある特定階層の顧客需要を一時的ないし永続的に需要を減退させるマーケティングの一局面として定義されます。 この考え方の背景にあるのは、マーケティングは来、現在の企業の供給能力、価値提供能力とその中・長期的な目標に合うように需要を統制しなくてはならないという考え方です。 つまり、カンタンに言ってしまえば、企業が自分たちのいまの力を超えた販売を、短期的な数字に

  • 僕がWebやブログを見ていて悲しくなる7つの場面:DESIGN IT! w-LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 こんなときは涙が出そう。 1.「所詮、○○だからねw」とかという記述をみつけたときごめん。それで何かを言った気になっているのでしょうか? いまどきニヒルを気取ってでもいるのでしょうか? というか、そういう他人を見下した態度するあなたはどなた?と感じます。 2.他人のブログへの批判的なコメントが完全に手のひらにのっちゃってるとき誰かが他の人のブログに批判的なコメントをしているんだけど、それが批判対象となっている人が書いている内容にすでに織り込まれていて、完全に相手の手のひらの中で遊ばれちゃってる状態なのを見つけたとき。それ、懸念事項に含まれてるよ、なんで批判するならもっと脳みそ使ってからにしなかったのかなって感じちゃいます。 3.エントリー内の文章の比率として言い訳がかなりの

  • 渋滞をどう抜けるか: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 これ、当の道路の渋滞の話じゃなくて、梅田さんが『ウェブ進化論』で紹介していた羽生さんの話。ある程度のレベルまでは行きやすいが、そこで渋滞にまきこまれると。 とうぜん、渋滞に巻き込まれて抜けられなければ、期待していたメリットも生まれてこない。それでいいってこともあるけど、それ以上を期待するなら、何かしら手をうつ必要はあるんでしょうね。 と、朝からなぜかそんなことを考えています。自分自身を含めて、周囲が置かれた現状が渋滞のなかであるような気がしたので。 ひとつには、僕自身に関してですが、やっぱり孤立系路線を追及したほうがよさそうだなと思い始めてます。「僕がWebやブログを見ていて悲しくなる7つの場面」でつまらないことを書いてみて気づきました。あっ、これ、僕の路線じゃないって。