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ブックマーク / kenmogi.cocolog-nifty.com (7)

  • 茂木健一郎 クオリア日記: Facebookの謎

    このところ、Facebookに対する注目が集まっている。米国内ではアクセス時間でGoogleを超えたのだという。「検索」から、人と人の結びつきを通して情報が流通する時代、という変化は概念としては理解できる。どうしても理解できないのが、なぜ人々がそんなに長い時間をFacebook上で過ごすのか、ということである。 日SNSとしては、mixiが先行した。私もかなり初期に登録したが、「マイミク」が500人を超えたところで、わけがわからなくなってやめてしまった。「あしあと」とか、そういうことに対応している時間が、もったいなくなってしまったのである。 mixiに比べて、Facebookは実名が基であるなど、いろいろ違う点があるという。日でFacebookが伸びない理由を、日のウェブの匿名文化と結びつけて論じる人もいる。しかし、私には、それが質だとは思えない。 Facebookのインターフ

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 脱・就活―朝日新聞社説について

    2010年9月19日付の朝日新聞社説で、新卒一括採用の問題が取り上げられました。(ツイッター上で、私に教えて下さった方、ありがとう)。 日の新聞社のwebは、いつ記事が消えるかわからないので、ここにまずは全文引用します。 引用元:http://bit.ly/aKT7XO ___________ 脱・就活―「新卒一括」を変えよう 若者の悲鳴が、毎週のように投書欄に載る。「就職が決まらない。この言葉が明けても暮れても心の中に住みついて離れない」「内定が取れないと、学内でも負け組扱い。就職するために大学に入ったんじゃない」 大学生の就職活動は、3年生の秋が来る前から格化している。既にいくつかのインターンシップを終え、これから企業のセミナーや説明会シーズンだ。冬はエントリーシートをせっせと埋め、春をまたいで面接を繰り返す。 就活という長距離レースに、大学教育は大きく侵されている。 企業は採用

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    s1090018 2010/09/20
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 表現者はいいわけをしてはいけない

    しばらく前に、京都大学の 学園祭での私の講演を聞かれた方から、 「表現者はいいわけをしてはいけない」 という言葉の意味について ご質問をいただいた。 これには二重の意味がある。 一つは表現者の側から見た場合、 もう一つは、鑑賞者の側から見た場合である。 表現者にとってみれば、 作品というものは一度自分の手を 離れれば勝手に流通していって しまう。 自分のコントロール不可能な 領域に入っていってしまう。 その拡散の全ての局面に、 付き添っていっていちいち説明 することはできない。 「当は、こういう意味だったんです」 「あなたのその意見は誤解です」 などと、補ったり、修正したり することは、表現者としての分に反する。 どんなにひどい曲解をされても、 真意をつかんでくれなくても、 我慢しなければならない。 自分の表現がまだ拙いから わかってもらえなかったのだと、 修練による向上を志向しなけれ

    s1090018
    s1090018 2007/12/04
  • 茂木健一郎 クオリア日記: 「10ドルになります」

    梅田望夫さんにお目にかかる。 山の上ホテルに向かって歩いていると、 「あっ、茂木さんが見えますよ。トラックの横」 と筑摩書房の増田健史が耳元でささやく。 ふりかえると、手を挙げる 男がいた。 たけちゃんマンの登場である。 梅田さんがちょうど部屋から出てきた。 「どうも、お久しぶりです。」 福田恭子さんはタケシのことを 「増田クン」と言う。 それがちょっと新鮮である。 しゃべり初めて2時間経った時、 福田さんが「そろそろいったん休みますか?」 と言った。 ボクと梅田さんは、ほとんど同時に 「いや、いいです。まだダイジョウブです」 と言って、 そのまましゃべり続けた。 終了後、たけちゃんマンが 「いやあ、茂木さん、今日は燃えてましたね」 と言った。 それで気付いた。ボクは、きっと、 ウェブの問題については かなり熱い思いを持っている。 インターネットが切り開いた、 誰でも知を得られるという状況

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 歴史を忘れる者は

    羽生善治さんと対談する。 途中、柳川透が来た。 アメリカ行きの飛行機のチケットを 研究所に取りに立ち寄る時間がなくなって しまったので、 柳川に持ってきてもらったのである。 羽生さんの話が聞けるという「ボーナス」 付きである。 記憶の話が中心になった。 「羽生さんは、やはり谷川さんが最大のライバル という感じですか?」 「そうですね、何となく感性が合うというか、 他の人との間では起こらないようなことが 起こる、という感覚はあります」 「今までに、どれくらい指しているんですか?」 「そうですねえ、160局くらいでしょうか?」 「どんな感じで対局されているんですか?」 「今までにあったパターンは、二度と起こらないように 気をつけて打っているんだと思います」 「谷川さんと指した対局は、全て覚えて いるんですか?」 「それは、当然です。それで、前と同じパターン でやっているのでは、谷川さんと指して

  • 茂木健一郎 クオリア日記: テーマにしていること自体が「とげ」

    中学校の時、全校で遠足に行き、河川敷を 歩いたことがあった。 あの頃、なぜかみんなエンジ色のジャージを 着ていて、 河川敷をゆったりと拡散しながらそぞろ 歩きすると、 すすきが揺れ、トンボが飛び、 誰かがひっつき虫を見つけて投げつけた。 気になる女の子がどこを歩いているか、 なんとなく意識していたり。 仲間たちと腹をかかえて笑ったり・ 黙って青空を見上げたり。 とにかく胸がざわざわと揺すられる時間だった。 あの頃、ああいうことはこれからの人生でも 何回でもあるんだ、と思っていたが、 実際にはそんなことは二度となかった。 ひっつき虫を思い出したのは、 『プロフェッショナル 仕事の流儀』の収録にゲストでいらした 「たまごっち」の開発者、横井昭裕さんの お話がきっかけである。 横井さんが、社長をされている企画会社 「ウィズ」の社員たちと居酒屋で会話をしていて、 「ひっつき虫楽しかったね」という話

  • 茂木健一郎 クオリア日記: 一人一人が惑星だ!

    仕事上の必要があり、遅ればせながら 「ダ・ヴィンチ・コード」を読む。 あっ、と思った。 途中で、どんどん視点(語りの一人称) が変わっている。 『プロセス・アイ』 は視点の変化が沢山出てくるが、これを、 「小説ではあまりないこと」とか、「特定の 一人称でずっと行くのが普通」と複数の人に 言われた。 真実はどこにあるんだろう。 私小説の伝統が根強い日では、 ということか。 しかし、源氏物語まで遡ると、 特に断ることなくどんどん人称が入れ替わって、 動詞で区別しなければならなくなったりする。 世界という鏡はもともと沢山の主観性の 断片に分裂している。 だから、人称が入れ替わったって、 いいじゃないか。 男が、コーヒーにクリームや砂糖を たっぷり入れても、いいじゃないか。 「ダ・ヴィンチ・コード」は一神教の 世界観に基づいているが、 人格神が世界を見下ろしているという メタファーがあった方が、

    s1090018
    s1090018 2006/05/04
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