ブックマーク / www.press.tokai.ac.jp (1)

  • 東海大学出版部|特集

    《私達が芸術品に接して、凡(あら)ゆる思考を廻(めぐ)らせても十分鮮明に理解することが出来ない何者かを感ずる時にのみ、私達は芸術品が齎(もたら)す十分満足な印象を味はふものである》   ――ショーペンハウエル 日記をめくれば一九三六年とあるから、思えばそれは今を去る四十三年前のことになる。 東大英文科に籍を置いたまま、当時の満洲国ハルビンに渡った二十三歳のうら若き青年である私は、ロシヤ人の家に下宿してロシヤ人の家に通い、トルストイを読むためのロシヤ語の学習に没頭していた。下宿はマースレニコフ家、そこから通った家庭はクラフチェンコ家。クラフチェンコ家の主婦エンマ・ミハイロウナ・クラフチェンコこそ、私の唯一の小説『仮初(かりそめ)ならば』のヒロインであった。私は毎日馬河溝(マジャグウ)のマースレニコフ家から、時には歩いて、時には電車に乗って、吉林街(ギリンスカヤ)のクラフチェンコ家を訪れ、前記

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    s3731127306973 2020/04/09
    北御門二郎先生の『アンナ・カレーニナ』あとがき。夏目漱石のコメントが興味深い。
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