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  • 第3回 映画『金子文子と朴烈』が描かなかったこと | ele-king

    1 『何が私をこうさせたか』は、わずか23歳で獄中自殺した大正時代の活動家・金子文子が遺した膨大な自伝であるが、このタイトルは官憲が文子について最も知りたがり、文子に投げかけ続けた問いそのものである。文子はこの世に存在するものすべてをぶち壊したいと気で思っていた。文子は大逆罪の疑いで引きずり出された法廷を舞台として、同志でありパートナーである朝鮮出身の活動家・朴烈とともに、攻撃的かつ切実な言葉で自身の思想を開陳し続けた。文子を尋問した者、裁こうとした者、取り締まらんとする者は、文子を見て思った──どうして金子文子は、「こう」なのか? 「此の呪いを何処に持って行くか、自然を呪い社会を呪い生物を呪って私は総ての物を破壊して自分は死なうと思ひます。」(『裁判記録』15ページ、カタカナをひらがなに訂正している) 文子の思想はまぎれもなく文子のものであったが、官憲どもは文子から何度も思想を奪おうと

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    s__c111 2019/03/25
  • Jay Glass Dubs | ele-king

    忘れがちなことだけれど、2012年あたりのオリジナル・ヴェイパーウェイヴの特徴のひとつにスクリューすることがあった。スクリューというのはですね、2000年に夭折したヒューストンのヒップホップDJ、DJスクリューが編み出したテクニックで、再生の回転数を下げることで得られる効果を駆使すること(一説によれば咳止めシロップの影響下による)。ゴーストリーな音声などはその代表例だが、スクリューは面白いことにヒップホップ・シーンの外部であるLAのアンダーグラウンドなインディ・ロック・シーン(昨年、品まつりを出したサン・アロウなんかも関わっていたシーン)へとしたたかに伝播し、そしてヴェイパーウェイヴにも受け継がれた。そうすることによって「蒸気=ヴェイパー」な感触が生まれたのだった。 スクリューは、楽曲をメタ・レヴェルで操作することによって別もの(ヴァージョン)を創造するという点においては、ダブと言えるだ

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    s__c111 2019/02/04
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