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ブックマーク / gordias.hatenadiary.org (3)

  • 「モテる男」について再度考えてみた - G★RDIAS

    4月14日に「モテとはひとりの女を大切にすることである」というエントリーを書いた。みなさんからいろんな反響があったので、その続きを書く。 それに関連して、sugitashunsukeさんのところで、非モテ1.0 2.0 3.0という議論があった。 http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20070427 これを参照しながら考えていきたい。 まず「モテる」とはいったいどういうことか、について、いくつかのとらえ方が現存する。私はそれをだいたい3つにわけて考えてみてはどうかと思うのである(上記エントリーもその考え方に立っているようだ)。 まずは、もっとも一般的な「モテ」の概念がある。これは、とにかく女に好かれまくって、つねにいろんな女と恋愛状態になれる・恋愛状態であるということを意味する。 モテ・1 モテる男とは、つねにいろんな女と恋愛・性愛状態である、あるいは

    「モテる男」について再度考えてみた - G★RDIAS
  • モテとはひとりの女を大切にすることである - G★RDIAS

    モテ/非モテということが、男子のあいだで話題になっているようだ。これについては、人生の先輩として言いたいことがいろいろあるので、少しだけ書く。 モテは、「ちょいモテおやじ」みたいに、いろんな女にちやほやされて、性的な視線を送られることというふうに理解されることが多いと思うが、そこをコペルニクス的転回しないといけないように思うのである。 そもそも、「いろんな女からちやほやされたい、あわよくば、いろんな女とエッチしたい」という願望は、「権力欲」にほかならない。このような権力欲に裏付けられたモテにこだわっているかぎり、光明はさしてこないだろう。(沼崎一郎はこれを「男力」として批判している)。 そのような観念に絡め取られたうえで発せられる「モテ/非モテ」のパラダイムを、脱出しないといけないのではないのか。 では、コペルニクス的転回後のモテとは、いったい何なのか? 私が思うに、モテる男とは(とりあえ

    モテとはひとりの女を大切にすることである - G★RDIAS
  • 女性が哲学に惹かれない(らしい)のはなぜ? - G★RDIAS

    これは古典的な問いである。大学進学率が男女半々くらいになってきて、文系諸学科では女性の比率がむしろ高くなってきているが、心理学、社会福祉学、言語学などに比べて、哲学は女性から人気がない。その理由としては、以下が考えられる。 (1)概して女性は哲学的思考というものに興味がない。 (2)現存の「哲学」は伝統的に現実の女性を蔑視し、排除しながら構築されてきた。「女性は抽象的思考が苦手であたまが悪い」など。そういう学問に女性が興味をもたないのは当然。(また、女性蔑視してる哲学教師も多いから学生はそれを内面化する) (3)現存の「哲学」は、学問内容として、「女性の経験」を取り込んでこなかった。女性は哲学に、みずからの経験に響く要素を感じず、興味を持てない。裏返して言えば、現存の「哲学」は過度に男性ジェンダー化されている。 ほかにもあるかもしれない。私は個人的には(1)は無意味、(2)と(3)が大きい

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