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宗教と仏教に関するs_shisuiのブックマーク (3)

  • チベット的癒しの話: 極東ブログ

    虐待されているチベットの人のことを思いながら書棚のを手にとって少し考えた。まとまった話ではない。雑談がてらに。 以前も少し触れたけど、ダニエル・ゴールマンが編集した「心ひとつで人生は変えられる」(参照)は、ダライ・ラマを交えた、「こころはからだを癒すのか」というテーマの討論会のまとめだ。この中で、心の傷を負ったチベット人の話が出てくる。ちょっと読むと、ダライ・ラマの意見はあっけらかんとした印象がある。 ダライ・ラマ 強制収容所に長くいたチベット難民は、収容所の体験が貴重だったとよくいいます。そこは最高の精神修行の場だったと。チベット人の場合、トラウマがこころに深い傷を残すいうことは珍しいんじゃないかな。その道の専門家にインタビューしてもらえばおわかりになると思うが、チベット難民はほかの難民とは違うと思いますね。 ダニエル・ゴールマン 彼らは悪夢に苦しまないんですか? ほかの拷問体験者みた

  • Passion For The Future: 誤解された仏教

    誤解された仏教 スポンサード リンク ・誤解された仏教 来の仏教は霊魂の存在をはっきり否定している。 「肉体はなくなっても、霊魂は残る。祭りを怠ると、その先祖が祟る。ーーーーーーーなどというのは、まったく仏教とは何の関わりもない話である。事実、長いあいだインドの仏教では、死者儀礼とは何の関わりももたなかった。」 「死者の祟りなどというのは、原始民族の宗教(?)心理である。わけても、日人は死者の怨霊を恐怖した民族である。そうした鎮魂(御霊鎮め)には神主さんより坊さんの法力のほうが秀れている、ということで仏教が取り入れられた。これを「御霊信仰」という。」 霊魂がないのだから祟るわけがない。あの世もない。来の仏教では死んだら終りなのである。生まれ変わりということもない。そもそも輪廻というのは解脱すべきものであって、転生は永劫の生き死にを繰り返す苦しいイメージなのだ。 これは仏教=無神論・無

    s_shisui
    s_shisui 2007/05/31
    こんな本待ってた
  • Passion For The Future: 悪霊論―異界からのメッセージ

    悪霊論―異界からのメッセージ スポンサード リンク ・悪霊論―異界からのメッセージ 「異人論」の続編。 日にはカミは共同体の外部から訪れるとするマレビト思想がある。マレビトは異人であり、六部、山伏、高野聖、巫女、遍路のような宗教者であることが多い。 著者は異人が宿泊した家の村人によって、金品を奪われて殺されるという伝承の多さに注目した。その家は豊かになり繁栄する一方で、異人の祟りによって障害のあるこどもが生まれたり、没落したりする。妖怪や悪霊が棲み付いた家という評判が立つ。 当に各地でそんな殺人事件が過去にあったのだろうか。伝承を分析していくと、多くの異人殺しは、後世に、飢饉や不運続きの理由を占うシャーマンによって、捏造された物語であることがわかる。 「 貨幣経済の影響で変動が生じている村落共同体に生きる人々は、特定の家が急速に長者に成長したとき、その急速な繁栄の原因を考える。どうして

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