自分についての話をする。 私は子供の頃から「論理的な会話の仕方」をとても大切に思っていた。ただしそれはあくまで自分の流儀としてのものであり、いわゆるディベートとかとは違う。 彼我の感情やメンツに頓着せず言いたいことを言う。ただ正直に。 自分の事実認識や論理の整合性に瑕疵があったりしたらあっさり認めて降参する。相手の論立てが自分のそれに対して包摂的であった場合、想定外の多角的な視点を含んでいた場合などでも。あとは良い生徒になって知らない情報を吸い取る。 「勝つこと」に全く執着しない。ここまでは合意、残りは好みとでも整理がつけばそこで満足。重要なのはルールを共有すること。相手に求めることが厳密に自分にも課されるということ。 そのプロトコルに則る限り、大人と子供でも、どんなことについてでも、つまり力関係や損得を離れて、真正直に〈話せばわかる!〉ということがものすごく嬉しかったのだ。 実際にそうい