初登板初勝利も状態は「天と地の差」 5月の北海道の天気は気まぐれである。 雨が降って気温が下がり分厚い上着が必要になることも、あるいはからりと晴れて半袖で過ごせることもある。 2008年5月2日は後者だった。日中の最高気温は25度、鮮やかな青い空が広がっていた。ゴールデンウィーク中ということもあり、札幌ドームの近くには屋台が出て、夏祭りのような華やかな空気となっていた。 この日、ぼくは北海道日本ハムファイターズの社長、藤井純一と一緒に球場へ歩いていた。前年度、ファイターズは13億円の黒字を出していた。数十億円の赤字を毎年計上することが当たり前だった、パシフィックリーグでは極めて異例のことだった。月刊誌から彼のルポルタージュを頼まれていたのだ。 対戦相手、東北楽天ゴールデンイーグルスの先発はダルビッシュ有と防御率争いをしていた岩隈久志。そしてファイターズは多田野数人と発表されていた。前年ドラ
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