2012年9月20日のブックマーク (4件)

  • 【04-05中世後期の演劇】ソティ(阿呆劇)の社会風刺: フランス中世演劇史のまとめ

    ファルスでは暴力が支配するドタバタの笑いが優位にあり、その登場人物は現実社会と結びついた具体的な身体を持っている。これに対して、ソティ(阿呆劇)の登場人物は、もっとあいまいで抽象的な存在である。 阿呆sot(ソ)は伝統のなかで形成された類型的役柄である。ソティの阿呆は、狂人と道化の二つの意味を持つfou(フ)とつながりを持つ。狂人および道化は一般社会からは追放された、時に煩わしく、時に滑稽な存在であるが、神の刻印を授けられた聖なる神秘的存在であるとも見なされていた。「狂人、道化」を意味するfouは、ソティのなかで阿呆sot(ソ)という演劇的類型となった(ソティの阿呆sotは作品によってはfouと呼ばれることもある)。演劇的道化である阿呆は、それゆえあらゆる社会的所属から切り離されており、あらゆるタブーから解放されている。 ソティには複数の阿呆が登場することがあるが、個々の阿呆には個別的性格

  • 【04-06中世後期の演劇】ソティとファルス─権力との関係: フランス中世演劇史のまとめ

    ソティは質的に、この世の現状を批判し、その担い手と見なされる人々への異議申し立てを行う劇ジャンルである。このためソティと権力層との関係はきわめてデリケートなものとなる。既に指摘したように、ソティで阿呆(ソ)たちの演じ手の中心は、何よりもまず〈バゾシュ〉と呼ばれる司法職見習いの学生たちであり、彼らは中流ブルジョワ階級に属していた。この階級に属する若者たちは、自分たちが政治において何らかの役割を担うことを熱望していた。そして自ら進んで君主の相談役でありたいと考えていたようなのである。国王権力は、ソティの世相批判の対象外だった。世の腐敗の原因は、国王ではなく、常に国王のとりまきの大臣たちや評定官のせいとされた。 しかしながらソティの世相批判のせいで、作者や役者が権力から弾圧を被ることも時にはあった。〈大押韻派*〉の詩人としても知られているアンリ・ボド(Henri Baude, 1415頃-15

  • 【04-07中世後期の演劇】ソティとファルス:上演舞台と衣裳: フランス中世演劇史のまとめ

    ファルスとソティといった《短い劇形式》の上演には、大がかりな舞台装置も豪華な衣裳も必要ない。簡素な仮設舞台さえあれば、これらの演劇は上演可能だ。中世の演劇用語では、この仮設舞台は「エシャフォ」échafaudと呼ばれた。16世紀のオランダの画家、ピーテル・バルテン Pieter Balten(1527-1584)の絵画のなかには、当時の村芝居の上演の状況が描かれている作品がいくつかあり、そこには仮設舞台も描かれている。バルテンが描いたのはフランドル地方の村の情景だが、フランスでもファルス、ソティといった《短い劇形式》の作品の多くは、バルテンが描いたような状況のなかで上演されていただろう。現代フランス語では「エシャフォ」は「死刑台」を意味することが多いが(この意味でのこの語の使用は14世紀半ばから確認することができる)、もともと建築などのために組まれる足場を意味していた。12世紀後半に「説教

  • 【04-08中世後期の演劇】〈短い劇形式〉ジャンルの役柄と役者について: フランス中世演劇史のまとめ

    ファルスに登場するいくつかの役柄は、演劇的類型へと発展していった。その一例が空威張り兵士〈マタモール〉matamoreである。作者不詳の『バニョレの自由射手*』(15世紀後半)は形式こそ独白劇ではあるが、そこで提示されているのはファルス的演劇世界の〈マタモール〉像に他ならない。「自由射手」は臆病なほら吹き兵士であり、滑稽なまでの大げさな重装備に身を固めている。彼は目の前に現れた敵兵に怯え、跪いて慈悲を請うのだが、それは実は案山子だった。しかしファルスに最も頻繁に登場する類型的人物は〈バダン〉badinである。〈バダン〉とはお人よしで愚か者の類型的役柄であり、ファルスでピエロの役割を担う。この役柄の演者は、特定のスタイルの衣裳を身につけ、独特の台詞回しと動きで演じた。〈バダン〉は顔にはおしろいを塗り、ビギン帽**をかぶっている。 〈阿呆(ソ)〉や〈バダン〉といった類型的役柄の形成と発達は、こ