またしても、教育の文脈における大人から子どもへの暴行(いわゆる「体罰」)を肯定的に語る人たちがいる。本人にも原因がある。親が了承している。本人だって納得しているじゃないか。自分の子どもの頃はこんなの当たり前だった…。 「そうであれば許される」のか? だが、そうだろうか。誰であれ完璧な人間など存在しないので、「本人の原因」など無限に作り出せる。親の了承? そんなの、親が暴行に加担しているだけである。本人の納得? 認知的不協和を低減するために、暴行を受けた側が「あれは必要だった」と肯定的に語ることなどよくある話で、だからといって暴行が正当化されるわけではない。過去は当たり前だった? 過去は公的な場での喫煙も当たり前でしたね。こんなの、いずれも暴行を肯定する理由にならない。 必読、「体罰」に反対する声明 「体罰をすべきでない理由」について、あらためて確認しよう。まず、文科省は次のように語っている