東日本大震災のあった2011年、京都の夏の風物詩、五山送り火は全国から冷たい視線を浴びた。原因は「被災マツ」。京都市が、津波被害を受けた岩手県陸前高田市の景勝地から取り寄せた薪(まき)を燃やそうとしたところ、表皮から福島第1原発事故による放射性物質が検出されて断念し、「風評被害を助長した」との非難が殺到した。あれから12年。慰霊と復興祈願の火をともせなかったマツの今を追った。 発端は五山送り火の一つ、大文字保存会(左京区)が犠牲者の供養や復興を願うため、津波で倒れた陸前高田市のマツを送り火で燃やそうとしたことに始まる。事前検査で放射性物質は検出されなかったが、保存会は放射能汚染を懸念する声に配慮し、中止を決めた。 一連の経緯が報じられると「被災地の思いを無駄にした」「もう京都旅行に行かない」との批判が全国から相次ぎ、福島県伊達市長から「風評被害を助長する」との抗議文も届いた。慌てた京都市は