ブックマーク / piano-fire.hatenablog.jp (2)

  • 今週のバクマンと読者の代弁? - ピアノ・ファイア

    先生のアシスタント君、面白い。 いるいる! みたいな。良くも悪くも、なタイプの典型なので、この新キャラが「良く」と「悪く」のどちらかはまだわかりませんが。 いかにも等身大のキャラという感じで、それにつられて新エイジも「モンスターのような天才」から「等身大の親しみやすい天才」*1に格下げされてますね。 で、今回のバクマンは、この新キャラを通して「読者と編集部の間にある距離感」が上手く描かれていた気がして、これは作中では新しい視点が入ったな、と。 あのアシスタントくらい、「人気の出るジャンプ漫画の描き方」を読者視点で考えることに人生費やしているなら、新連載の三週目くらいから「打ち切られるかどうか」は原因も含めてほぼ見抜けてしまうし(あの連載もあの連載もあの連載もだ!)、人が言うように「このくらいの分析はできて当たり前」と思いたいレベルなのですが、 編集部はそんなネームを平気で通すし、原

    今週のバクマンと読者の代弁? - ピアノ・ファイア
  • 「誰でも助ける」主人公の生まれ方 - ピアノ・ファイア

    「誰でも助ける」ハーレムメーカーと、人生を救われることで惚れる者たち - ピアノ・ファイア 先日の日記からの発展ですが。 なぜこういうタイプの主人公が作り出されるのか? というと、ある種の快楽原則に基づいた制作上の需要からだという理由も考えられますね。 観客は、誰からも感謝される「いい人」でありたいと思っている(自分がそうであるかは別として) 翻せば観客は、できれば誰も傷つけたくないと思っている 観客は、誰でも助けるような人物の味方(=視点)に立ちたいと思っている 翻せば観客は、誰かを見捨てるような人物を見たくないと思っている 前半は主人公に自分を重ねて共感するような場合の快楽原則、後半は主人公を「眺める側」についた場合の快楽原則で、どちらも同じ行動原理を主人公に求めることになります。 こういう快楽原則の要望に応える人物がセーフティでオーソドックスな「主人公」と呼ばれる人物造型なのかもしれ

    「誰でも助ける」主人公の生まれ方 - ピアノ・ファイア
    saionman
    saionman 2009/01/18
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