エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント2件
- 注目コメント
- 新着コメント
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「誰でも助ける」主人公の生まれ方 - ピアノ・ファイア
「誰でも助ける」ハーレムメーカーと、人生を救われることで惚れる者たち - ピアノ・ファイア 先日の日... 「誰でも助ける」ハーレムメーカーと、人生を救われることで惚れる者たち - ピアノ・ファイア 先日の日記からの発展ですが。 なぜこういうタイプの主人公が作り出されるのか? というと、ある種の快楽原則に基づいた制作上の需要からだという理由も考えられますね。 観客は、誰からも感謝される「いい人」でありたいと思っている(自分がそうであるかは別として) 翻せば観客は、できれば誰も傷つけたくないと思っている 観客は、誰でも助けるような人物の味方(=視点)に立ちたいと思っている 翻せば観客は、誰かを見捨てるような人物を見たくないと思っている 前半は主人公に自分を重ねて共感するような場合の快楽原則、後半は主人公を「眺める側」についた場合の快楽原則で、どちらも同じ行動原理を主人公に求めることになります。 こういう快楽原則の要望に応える人物がセーフティでオーソドックスな「主人公」と呼ばれる人物造型なのかもしれ
2010/01/27 リンク