ブックマーク / suumo.jp (28)

  • 漫画家が中古マンション購入をしてフルリノベに至るまで(寄稿:小林銅蟲) - マンションと暮せば by SUUMO

    こんにちは。暮らしてますか? 漫画家の小林銅蟲です。 さて稿ですが、自分が中古マンションを購入してフルリノベーションした話になります。なにが契機になったのか、実際どうしたのか、結局どうなのか。その流れを説明していきたいと思います。 住宅購入に至る経緯 昔の話からになりますが、自分はとなる人の住居(アパート)に転がり込んで主に寝て暮らしており、狭い部屋でお互いまあまあしんどかったので、となる人が何年間か応募をしたのちに、前の住居である県営住宅に当選して10年ほど暮らしていました。 県営住宅は造りは古いですが2人で暮らすぶんには適当な広さもあり、主に寝ていたうちの半分くらいは漫画を描いて生活できるようになったので、自分にとってはいい感じの住居でした。そのまま根を張るかと思われたのですが、空間から突如新しい人間が1名、出現して自分の子と相成りました。 同じタイミングでメインの漫画連載が終了

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    saka_nako 2023/07/10
  • ハリセンボン・近藤春菜 憧れのタワマンに2度も住んだけど、やっぱり大事なのは友達の近くで暮らすこと【家愛遍歴】 - 住まいのお役立ち記事

    どのような選択をするかでその後の生活を左右する「引越し」。著名人の方々は、どんな基準やこだわりを持って部屋探しをしているのでしょうか。連載「家愛遍歴」ではさまざまな方に、これまでの部屋選びや、そこでの暮らしについて伺います。 今回のゲストは人気お笑いコンビ・ハリセンボンの近藤春菜さん。「更新のたびに引越しをするタイプ」だと語る、春菜さんの部屋選びの軸とは? ーー春菜さんは、実家での暮らしが長かったそうですね。 狛江市にある二世帯住宅の実家に、28歳まで住んでいました。家族と過ごす時間が私にとってオフになれる大切な時間だったので、家を出るのは遅いほうだったと思います。一人暮らしを始めるときも、実家と行き来するつもりでした。次の日の朝が早いときなど、寝るためだけに帰る前提で渋谷に部屋を借りたんです。 ーーご家族のことを大切にされているんですね。幼少期に「早く一人暮らしをして自分だけの空間が欲し

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    saka_nako 2022/11/16
  • “生きる“ことが見える限界集落、広島県・北広島町に移住してわかったこと - SUUMOタウン

    著: shuo(束元理恵) 広島県と島根県の県境をまたいでいる雲月山からの眺望 「過疎」「限界集落」そう言われる地域に5年間住んでいた。山の猟師に、憧れていたからだ。 21歳のとき、同じ広島県内の熊野町から北広島町に移住した。北広島町は広い。平成の大合併の時にもともと四つに分かれていた町を集めて、一つの町になった。私はその中でも広島県と島根県の県境、1番の豪雪地帯の「旧芸北町」に住んでいた。 最寄りのコンビニエンスストアまでは、片道車で30分。近くにあるのはホームセンター、個人商店、農協のスーパーばかり。車がないと生活ができない、他人の言葉を借りるといわゆる「不便」な場所らしい。私の家は携帯がよく圏外になったが、どれをとっても不便だと思ったことがなかった。 そんな私が北広島町に越してきてすぐに不思議に思ったのは、今でも住んでいる人たちは合併前の旧町の呼び名で呼ぶことだ。私の周りの人たちは、

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    saka_nako 2022/09/13
  • 家探しは婚活に似ている。適齢期は今? と迷いつつ行動した、私のマンション購入物語。 - マンションと暮せば by SUUMO

    こんにちは。山と温泉を愛する一人旅ブロガー、月山ももと申します。 会社勤めの傍ら、暇さえあれば1人で日各地の温泉や登山に出かけ「山と温泉のきろく」なるブログを更新しています。 引越しが嫌いで、社会人になって初めて住んだ1Kのアパートに15年以上住んでいましたが2020年に一念発起して中古マンションを購入。入居して1年半ほど経ちました。 賃貸での引越しすら避け続けていたのにいきなり購入なんて! そんな大それたことがよくできたものだなと思いますが、何とかなるものですね……。 「衣住」の中で「住」への関心がもともと薄く、知識があるわけでもない私の体験談が、役に立つのかはわかりません。意識の低さに失笑を買うだけではないかと震えながら、購入を決断したきっかけから今日までを振り返ってみました。 実用性は薄いと思いますが、単身女性のマンション購入物語として楽しんでいただけますと幸いです。 15年以上

    家探しは婚活に似ている。適齢期は今? と迷いつつ行動した、私のマンション購入物語。 - マンションと暮せば by SUUMO
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    saka_nako 2022/08/12
  • ヒロシ50歳 目標は「死んでから片付けにくい部屋づくり」。終活を意識しながらも挑戦する家【家愛遍歴】 - 住まいのお役立ち記事

    人生の節目にもなる「引越し」。住み慣れた街を離れ、新天地でのスタートを気持ちよく切るためにも、部屋探しは重要です。著名人の方々は、どのような観点で家を選び、今の暮らしに落ち着いたのでしょうか?連載「家愛遍歴」ではさまざまな方に、これまで住んだ思い入れのある家、そこでの暮らしについて伺います。 今回登場いただくのは、お笑い芸人のヒロシさん。芸人としてのデビュー前、住む家がない、過酷な経験をされたこともあるそう。中古住宅を購入し、リノベーションを楽しみながら暮らす現在に至るまでの「引越し遍歴」と、暮らしの価値観の変化を伺いました。 ーーヒロシさんが26歳で福岡から上京し、最初に暮らしたのはどんな部屋だったのでしょうか? ヒロシさん(以下、ヒロシ):まずは芸人仲間が住んでいた新井薬師前のアパートに、そのまま転がり込みました。しばらくして「ひとり暮らしの部屋を借りよう」と思って、駅前の不動産屋に

    ヒロシ50歳 目標は「死んでから片付けにくい部屋づくり」。終活を意識しながらも挑戦する家【家愛遍歴】 - 住まいのお役立ち記事
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    saka_nako 2022/07/20
  • 「ひとりで楽しむこと」を学べる街、西荻窪。小説家・角田光代が語る“小さな文化”の魅力 - SUUMOタウン

    編集: 小沢あや(ピース株式会社) 取材: かなめゆき 写真:曽我美芽 多くのクリエイターに愛される街、西荻窪。小説家・角田光代さんも、この街に魅了されたひとりです。 1990年にデビュー後、直木賞を受賞した『対岸の彼女』、映画化でも話題になった『八日目の蝉』『紙の月』など数々の代表作を持つ角田さんは、西荻窪で暮らし始めて約27年。 「引越した瞬間、ここだと思ったんです」。そう語るほど惹かれた西荻窪の魅力と、ものづくりをする人たちにとっての“吸引力”とはなにか? また、小説の舞台となる街の選び方も伺いました。街と人々の息遣いが鮮やかに浮かび上がる巧みな描写は、どのように生まれるのでしょうか。 狭さがほどよく、のんびりできる─「小さな文化」が魅力の西荻窪 ―― 角田さんは中野、高円寺、南阿佐ヶ谷、荻窪などを経て、西荻窪に落ち着かれたそうですね。 角田光代さん(以下、角田):引越してすぐ「ああ

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    saka_nako 2022/06/29
  • 熊本生まれの妻に「熊本の良さ」を全力で伝えてみた|ヨッピー - SUUMOタウン

    著: ヨッピー 「でも熊、なんにもないからなぁ」 普段から温厚篤実(おんこうとくじつ)で知られる僕ですが、さすがにこのときは完全にブチ切れました。今思えば、わが家で唯一の離婚危機はあのときだったのかもしれません。 熊をめぐってすれ違う2人2021年2月、東京。 奥さんに頼まれたモノを届けるため、寝起きそのままのボサボサ頭と朝ごはんにべたイカリングでテッカテカに光った唇を装備しながら「うーす、持って来たでぇ~」ぐらいの勢いで奥さんの会社を訪問したところ、奥さんが「妊娠してた!」とギャン泣きしながらオフィスから飛び出してきたのであります。 このときばかりは「お前みたいな屁こき豚の子どもなんて絶対に産みたくない」とかそういう意味で泣いてるのではないかと困惑し、どうリアクションしてよいのかわからなかった記憶があります。後から聞くと「うれしくて泣いちゃった」とのことでしたが。 ともあれ子どもが

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    saka_nako 2022/01/21
  • 16年住んで不満ナシ。マーティ・フリードマンが新宿をトコトン愛する理由 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 古澤誠一郎 写真:小高雅也 日に暮らす外国人は、どのような「角度」から街を見ているのでしょうか。彼ら・彼女らの街に対する愛着や意外な暮らしぶりにフォーカスし、街の魅力を掘り下げるインタビュー企画「日に住んでみた」をお届けします。 ◆◆◆ 今回ご登場いただくのは、新宿で暮らすギタリスト、マーティ・フリードマンさんです。 アメリカで生まれ育ったマーティさんは、世界的なヘヴィメタルバンド「メガデス」で活躍。バンド脱退後は有り余るJ-POP愛から日移住し、音楽というフィールドから日の魅力を発信し続けています。 そんなマーティさんは「日一の繁華街」とも言える新宿に、どのような魅力を見出しているのでしょうか。 日人にとっては当たり前すぎて気づかない「便利さ」や「安全さ」。J-POPにもどこか通ずる雑多さ。そして、「雀荘」や「質屋」の看板を読めるようになり、街の様子が

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    saka_nako 2021/08/20
  • 横浜のハズレから想う、なんだかんだで「ヨコハマシカ」|街と音楽 - SUUMOタウン

    著者: サイプレス上野 自室、スタジオ、ライブハウス、時にはそこらの公園や道端など、街のあらゆる場所で生まれ続ける音楽たち。この連載では、各地で活動するミュージシャンの「街」をテーマにしたエッセイとプレイリストをお届けします。 ◆◆◆ 俺が住んでいる街は横浜です。2021年の8月には41歳になります。 一時期、東京の永福町や藤沢に住んでいたこともありましたが、41年間ほとんどの間、横浜に住んでいます。 ちなみに現在は横浜駅から3駅隣の戸塚駅に自宅と、生まれ故郷であるドリームハイツにヤサ(スタジオ兼作業場)を構え、その2つを行き来する毎日です。 まさか自分が戸塚駅のそばに住居を構えるとは思ってもいませんでした。が、大人の責任として後輩たちに「ラップだけでも頑張りゃ駅チカに住めんぞ」と伝えたく虚勢を張って購入しました。大ヒットが出ない限り、死ぬまでローンですが(笑)。 さて、この記事を読んでい

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    saka_nako 2021/07/14
  • 東京の魔物に飲み込まれかけたわたしを救ってくれた、変わらない街「上板橋」 - SUUMOタウン

    著者: むらやまあき 「東京には魔物が潜んでおります。」 高校時代、初めて付き合った恋人が貸してくれた漫画『ソラニン』に、そんな言葉があった。 第一志望の国立大学に落ち、センター利用で合格していた私立大学に入学するために長野から上京したわたしは、恐怖におびえていた。なにしろ上京以前にも東京へ遊びに行くことはあったが、そのたび人の多さに酔い、都会の空気に圧倒され、竹下通りの入口で気持ち悪くなってうずくまる始末だったからだ。 もともと長野を出るつもりではいた。 でもいざ上京が決まると、不安で胃と心臓が締め付けられた。 行きたくない。しかし行くしかない。 そんな巨大な魔物に立ち向かうような気持ちで、わたしは東京にやってきたのだった。 地元を離れて上京したのは2014年のこと。 上京一年目は、心配性な両親の後押しもあり、東武東上線のときわ台にある女子専用寮にいた。しかし、過保護なくらいに守られたそ

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    saka_nako 2021/04/09
  • 今の家を選んだのは、広くて床が固かったから? DPZ・林雄司さんの住まい選び - マンションと暮せば by SUUMO

    2013年から世田谷区経堂のマンションで暮らしているという「デイリーポータルZ」編集長の林雄司さんに、「住まい選び」へのこだわりについて伺いました。インターネットの黎明期から面白いコンテンツを発信し続けてきた林さんにとって、家は仕事のアイデアが生まれる場でもあります。 そんな林さんが今の部屋を選んだ理由は、生活スペースと夫婦の仕事場を兼ねる大きな部屋があること。や雑貨など、増え続けるモノが置けるスペースがあること。そして、「床が固い」こと? 独特の視点での住まい選びについて語っていただくとともに、コロナ禍の自粛期間でも生活を面白がる、林さんの日常についても伺いました。(取材はリモートで実施しました) 前の家を決めた理由は「管理人が江戸っ子だった」から? ――これまでのお住まいの遍歴を、ざっと教えていただけますか? 林雄司さん(以下、林):特に意識したわけではなかったんですけど、山手線の駅

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    saka_nako 2021/03/22
  • 『めぞん一刻』『ドラゴンボール』『美味しんぼ』、マンガの中の「住みたい物件」(文・かあいがもん/上田啓太/pha) - マンションと暮せば by SUUMO

    (C)高橋留美子/小学館・ビッグコミックス  (C)バード・スタジオ/集英社 (C)雁屋哲・花咲アキラ/小学館・ビッグコミックスマンガの世界には「こんなところに住んでみたい」という魅力的な物件がたびたび登場します。 「もしこんな物件があったら、どんな暮らしができるだろう?」「自分がここに住めたら、こんなやりとりをしてみたい」といった想像をしながら、登場人物たちが暮らす「物件」に注目して好きなマンガを眺めてみませんか? 今回はマンガ好きとして知られる3人のブロガーが、3つの名作マンガから、それぞれの視点で「住んでみたい物件」をピックアップ。ゆかいな住人たちとのやりとりが楽しめる家、ユニークな外観や内装の家など、その魅力を語ります。 目次 住人たちとの暮らしに憧れる、『めぞん一刻』の一刻館:かあいがもん 『ドラゴンボール』のヤムチャの隠れ家がデザイナーズマンションだったら:上田啓太 変な物件に

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    saka_nako 2021/03/19
  • 日本一有名なニートだったphaさんが、シェアハウスという青春から卒業して一人暮らしを選んだ理由(文・玉置標本) - SUUMOタウン

    著: 玉置 標 「日一有名なニート」という謎の肩書を過去に持ち、長年にわたってギークハウスというシェアハウスを運営していたphaさんが、2年前にとうとう一人暮らしを始めたそうだ。phaさんを知る人にとっては、ちょっとしたニュースである。 そもそもなぜシェアハウスを始めたのか、どうしてニートの道を歩み続けたのか、そして今はどんな暮らしをしているのか。学生時代から遡って、人からじっくりと話を伺った。 ちなみにphaさんと私の関係は、共通の友人に呼ばれて年に何度か顔を合わせるくらいの薄い関係で、二人きりで会うのは今回が初めてである。 家賃4100円の寮で過ごした京都大学時代phaさんは1978年生まれの42歳(2021年3月現在)。出身地は大阪で、大阪城の側にある高校を卒業後、現役で京都大学の総合人間学部に進学。 最初の一年間は実家のある大阪から京都まで通っていたが、二年目からは伝統的に寮

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  • 住まい探しの条件はただ一つ「練習場に近いこと」。うまくなるために故郷を離れ、目標とともに住む街が変わった/プロ体操選手・内村航平さん - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 榎並紀行(やじろべえ) 写真:松倉広治 プロ体操選手の内村航平さん。世界体操競技選手権において個人総合での世界最多の6連覇を含む21個のメダルを獲得してきた。鉄棒一に絞った2020年の全日選手権では世界最高得点をマークし優勝するなど、30歳を過ぎてなおトップに君臨し続けている。 体操を始めたのは3歳のころ。長崎県諫早(いさはや)市の自宅兼体操クラブで、夢中になって技を覚えた。中学卒業後には「もっとうまくなりたい」と、単身で東京の名門体操クラブへ。 以来、大学、社会人、プロとステージが変わるたびさまざまな街へ移り住んだが、街を選ぶ条件はいつも変わらず「練習場が近く、いつでも体操ができること」。 住みたい街を探すのではなく、目的や夢のために街を選ぶ。 内村さんが暮らした街の記憶をたどりつつ、その歩みを振り返る。 山の頂上にあった小学校。毎日の通学が探検だった ―― 内

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    saka_nako 2021/02/04
  • リノベーションマンションで、住み心地のいい家づくりを楽しむ|メレ山メレ子 - マンションと暮せば by SUUMO

    好きなものに囲まれた住み心地のいい家を求めて、都内の中古マンションを購入してフルリノベーションをしたという、ブロガーのメレ山メレ子さん。これまでの住まいの遍歴を振り返りながら、家づくりに興味を持つきっかけとなったある物件との出会い、そして「メレヤマンション」と名付けた今の家のこだわりについて語っていただきました。 好きなものに囲まれたい…… 自分がひとつひとつ選んだ、珍妙でかわいいものを愛でていたい…… 好きなものに囲まれていれば、つらいことがあってもがんばれる……! と念じ続けた結果、こういう部屋になりました。 (撮影:宇壽山貴久子)こんにちは、メレ山メレ子です。東京都内で会社員として働きながら、趣味で生きものに関するイベントや文筆活動をしています。 上の写真は、いま住んでいるマンションに入居した2016年に撮影したもの。わたしが乗っているのは、ガーナまで行って自分のためにつくった装飾棺

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    saka_nako 2021/02/03
  • 同居人・隣人たちとの奇妙な出会いに満ちた、私のマンション遍歴|かあいがもん - マンションと暮せば by SUUMO

    20歳当時の著者私が初めて自分で賃貸物件を借りたのは18歳の時。それから45歳の現在に至るまで、仕事場として借りたマンションも含めると8部屋ぐらい借りてきたと思う。 マンションを借りるたびに、私は面白い出来事や大変な出来事に遭遇してきた。騒音問題に悩まされたり、玄関を開けたら全裸の女性がいたり、隣の部屋で殺人事件があったり、発砲事件があったり。 その中で特に思い出に残る賃貸マンションの話と、そこでの暮らしを経た現在の私の住まいに対する価値観について話したいと思う。 都心のプール付きマンションと、スターになった同居人 20歳の時にプール付きのマンションに住んだ。新宿から徒歩10分ぐらいにある14階建てのオートロック付きマンションで、13階の私の部屋からは都心の夜景が一望できた。 家賃は8万円ほど。80万円ではない、プール付きで8万円ぐらいだった。 立地とプール付きということだけを聞けば「いや

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    saka_nako 2021/01/27
  • 静かに元気な西荻窪【銀座に住むのはまだ早い 第3回 杉並区】 - SUUMOタウン

    著: 小野寺史宜 家賃5万円弱のワンルームに住みつづけてうん十年。誰よりも「まち」を愛し、そこで生きるふつうの「ひと」たちを描く千葉在住の小説家、小野寺史宜さんがいちばん住みたいのは銀座。でも、今の家賃ではどうも住めそうにない。自分が現実的に住める街はどこなのか? 条件は家賃5万円、フロトイレ付きワンルーム。東京23区ごとに探し、歩き、レポートしてもらう連載です。 ◆◆◆ かつて親戚が住んでいたので、荻窪という地名は知っていた。 ガキのころの僕にとって、東京は、正月に日劇でドリフを観た有楽町と、電気街がある秋葉原と、荻窪の伯母ちゃんが住む荻窪だった。 そんなわけで、第3回の杉並区。 訪ねる町の候補として、荻窪はすんなり出てきた。そこよりは少し家賃が下がることを期待して、西荻窪に決めた。 西荻窪は、JRでは23区西端にある駅だ。 西荻窪、という地名は今はない。西荻を冠する町名は、西荻北と西荻

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    saka_nako 2021/01/26
  • 札幌に戻ったら「最強」とか考えなくなった――炎の漫画家・島本和彦さん【ここから生み出す私たち】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 前田久 創作しながら暮らす場所として、あえて「東京」以外の場所を選んだクリエイターたち。その土地は彼・彼女らにとってどんな場所で、どのように作品とかかわってきたのでしょうか? クリエイター自身が「場所」と「創作」の関係について語る企画「ここから生み出す私たち」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「ここから生み出す私たち」に登場いただくのは、『炎の転校生』『逆境ナイン』『吼えろペン』『アオイホノオ』など、オタク心をくすぐる数々の燃える作品で知られる炎のマンガ家・島和彦さん。 北海道で生まれ育ち、高校卒業後は大阪芸術大学に進学。在学中に商業マンガ家デビューを果たし、卒業を待たずに拠点を東京へ。90年代半ばに北海道にUターンし、以降は札幌で旺盛な創作活動を続けています。2014年からは家業の経営にも携わるようになり、2019年には社長に就任。 マンガ家と社長業の両輪で、多忙な

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    saka_nako 2020/07/31
  • 気づけばふるさとになっていた。音楽と会社の狭間で揺れた20年の上京生活【神奈川・梶が谷】 - SUUMOタウン

    著者: BUBBLE-B 上京してから20年目。さまざまな理由が重なり、僕は滋賀にUターンした。 会社を辞めた不安、友達とあまり会えなくなる寂しさ、そして新しい人生への期待を胸に、深夜の東名高速を西へと運転した。 20年ぶりに帰ってきた息子を迎えてくれた母親は、すっかり小さくなっていた。そして、実家の一室を仕事部屋にして、ある覚悟を決める。 これからは再びこの街で暮らしていく。自分の運命を自分で切り開いていくのだと。 テクノに焦がれて東京へ遡ること20年前、僕は滋賀が大嫌いだった。 高校生だったころの僕は、深夜ラジオとテクノに傾倒しすぎて成績が下がり、すっかり落ちこぼれていた。話の合う友達もおらず、テクノを聴きながら一人で自転車通学する毎日だった。 田んぼと民家ばかりの通学路を、イヤホンからのデトロイト・テクノやハードコア・テクノのBPMに合わせてペダルを漕いだ。そもそも滋賀のCDショップ

    気づけばふるさとになっていた。音楽と会社の狭間で揺れた20年の上京生活【神奈川・梶が谷】 - SUUMOタウン
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    saka_nako 2020/03/18
  • からっぽの独り身を救った西荻窪の探検 - SUUMOタウン

    著: 人 「西荻には住みたくなかった」 前との離婚をめぐるメールに刻まれた強烈なパンチライン。秋の夜長、暗いマンションの一室でそれを読んだ私は、絶望しつつも声を出さねば折れると思い「……そうだったかー」と発した。2012年のことだ。 おかえりなさい独り身の世界 西荻窪に初めて降りたのは18歳のころ、2000年にさかのぼる。通学や夜遊びの便から新宿まで電車一で、かつ「都心」と胸を張れそうな23区内でと絞り込み、武蔵野市の手前である杉並区の端・西荻窪に来た途端「ここだ」と惚れてしまった。広大な田園が自慢の地元からコンクリートロード東京へ移った身には、文化的な雰囲気と垢抜けなさの同居した西荻窪の街並みから漂う奥深さと親しみやすさが妙に魅力的だったのだ。 西荻窪駅北口。中央のシンボリックな木は年末に雑なイルミネーションが施され、毎年ちょっとウケていた。駅を出た真正面にカラオケ店や飲店が並ぶ

    からっぽの独り身を救った西荻窪の探検 - SUUMOタウン
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    saka_nako 2020/01/10