ブックマーク / globalizer-ja.hatenablog.com (19)

  • 日本シリーズの感想 - グローバル引きこもり的ブログ

    終わってみれば力の差が出た日シリーズだったと言える。 桑原よりも柳田のほうがちょっとだけ力があった。 筒香よりも内川の方がちょっとだけ力があった。 山崎よりもサファテの方がちょっとだけ力があった。 そういうことだと思う。 投手全体、野手全体を考えても、やはりSBのほうが戦力がある。 どんな熱狂的なDeNAファンでも、これと逆の主張をする人はいないだろう。 ただ戦力があるだけではなく、戦力に分厚さがあるのを感じた。 しかしながら、DeNAからすると第6戦は十分に勝てた、勿体ない試合だったようにも思う。 第6戦のラミレス監督の采配はよくわからなかった。 今永はあの回も抑えるつもりだったと報じられたが、今永を下ろすタイミングはちょっと中途半端だったのではないか。 それから第6戦で濱口の登板もありうる、というアナウンスがあったのに、なんで濱口を投入しなかったのだろう。 今永を下ろした後は濱口を投

  • ブログはたまに読んでもらえるくらいでもいい - グローバル引きこもり的ブログ

    ブログ運営的に、はてなブックマークから距離を置いて結構になる。以前はエントリーを書くたびにホットエントリーに入るかを気にして、入ったら入ったでどれくらいのアクセスが来るのかを始終気にしていたのだが、そのような事はなくなった。今ははてなブックマークをほとんど気にせずにブログを書いている。 そのような感じでブログをやっているわけだから、当然エントリーがタイムラインに乗る事も少なくなった。以前はエントリーに乗らないとなんだか大損したような気がしていたが、今はエントリーに乗らない事のほうが普通になっている。 しかし、どのような理由なのかは知らないが月に一回か二回くらい書いたエントリーがホットエントリーに乗る事がある。ホットエントリーに乗ったら当然、それなりのアクセスが来る。そういうときはやっぱり、アクセスが来るというのはよいものだなあ、と思う。 もちろん検索エンジン経由でのアクセスは日常的にあるが

  • リベラル思想と「免罪符」 - グローバル引きこもり的ブログ

    次のような匿名ダイアリーのエントリーを読んだ。 リベラルがよく言うこの理屈は、もう胡散臭くて信用されないものになってしまったと思う。 この理屈からは、右翼のトリクルダウン理論と近いものを感じる。 右翼の言い分が「強者に尽くせば最終的には貴方も得をする」であるのに対して 左翼の言い分が「弱者に尽くせば最終的には貴方も得をする」だと言う事だ この両者の言い分が両方とも嘘であるならば、真ん中にいる人間の現状は、上と下の両方から搾り取られているようなものだろう。 福祉の削減や、弱者の切り捨てに賛成する人間の事を、「正しい損得勘定勘定のできない人間」というニュアンスを込めて、「肉屋を支持する豚」と呼ぶ事があるが、当にそうだろうか? 「弱者に尽くせば最終的には貴方も得をする」という言い分がトリクルダウン論者の言うそれと大差ないとしたら、弱者に尽くす者こそむしろ正しい損得勘定のできない人間ではないだろ

  • 産経新聞の日本語が何でおかしいのか分かって衝撃を受けている - グローバル引きこもり的ブログ

    産経新聞というと、あの産経的としか言えないような論調が有名な新聞だが、僕のなかでは何よりもまず日語がおかしい新聞という事になっている。 先日も産経の日語がいかにおかしいか良く分かる記事を見た。 今の政府の改憲運動を支持する「正論」のタイトルは産経の日語のおかしさを示す典型的な例である。 www.sankei.com ポータルサイトとはいえ、タイトルに【を使う所からして異様さを感じるし「改憲を躊躇すれば、反対派の『思う壺』」という下りも全国紙の表現としては異様だが、何よりも印象的なのは「支持率低下は『改憲つぶし』を画策した共産、民進、左翼メディアが最大の原因だ」という部分である。 僕は政府の支持率が低下したのは森友・加計・日報問題の三点セットと、長期政権なのでそろそろ政権の寿命が来ている事が理由だと思うが(まあ、改憲のような下らない事に熱中しても支持率向上にはつながらないけれども)それ

  • スナック菓子を食いながらコーラを飲むとうまい - グローバル引きこもり的ブログ

    コーラとほかの清涼飲料水で何が違うか、と言ったら、何かをいながら飲む飲み物かどうかが違う、と思う。 他の清涼飲料水はそうではない。 それらの清涼飲料水は、基的には単体で飲むように作られていると思う。 例えば、ファンタのグレープ味というのは、あれはやはりうまく出来た清涼飲料水だと思うが、たぶんファンタのグレープ味を一番うまく味わうにはファンタのグレープ味だけを味わって飲むのが一番よいと思う。 カルピスもそうだ。 一番うまくカルピスを飲む方法というのは、カルピスのみを飲む事だろう。 コーラ以外の清涼飲料水というのは、それ単体で成り立つようにできており、それ以外に何も必要としないのである。 ところが、飲み物の中には、一応飲み物だけでも成り立つけれども、それに合うい物があったほうがよりおいしく味わえるようなものもある。 たとえば、ビールとかワインなどのアルコール類がそれである。 たしかに、ビ

  • 人生における助走期間と本番について - グローバル引きこもり的ブログ

    以下のエントリーを読んだ。 先日会社のイベントがあり、東京タワーの離れにある5階のラウンジでジンギスカンを焼いてべた。わたしの席の周りには常務をはじめ、ずらりと偉いおじさんが並んでいた。19時をまわり辺りが暗くなると東京タワーに灯りがついた。 「おや、灯りがついた」 「日が暮れるのがすっかり遅くなったなぁ」 「東京タワーもこうして見ると、きれいなもんですなぁ」 「わたしらが働いているこんな近くの、東京タワーで、こんな宴が夜な夜な繰り広げられていたなんて。夢にも思わなんだ」 横一列に並んだ偉いおじさんたちが、いかにも感慨深げに抑揚たっぷりに言うのがおもしろかった。みな一様に、間近の東京タワーを首が痛くなりそうなくらいに見上げていた。ト書きを読んでいるような台詞回しや視線が交じらないことが、どこか小津安二郎の映画を思わせた。 のりの効いたシャツを恰幅よく着こなす一番偉いおじさんが訥々と話し始

  • またブログのアイコンの設定をし忘れた! - グローバル引きこもり的ブログ

    もう結構はてなでブログをやっているような気がするが、時々ブログのアイコンの設定を忘れる。 「編集オプション」(右のほうの歯車のアイコンのところね。なんで歯車なのか知らないが)の「アイキャッチ画像」で設定するやつだが、それを設定し忘れるのである。 そうなると、はてなブックマークのタイムラインにエントリーが乗った時に、「新」の文字が傾いているいつものアイコンではなくて、記事の下のほうで紹介しているCommon Lispの電子の書籍の表紙のほうが乗ってしまう。 エントリーの内容とはぜんぜん関係ない電子の表紙が乗るというのは、とても間抜けである。 それを後から修正できれば修正すればそれで済むが、一度ブックマークにのってしまったアイコンは修正ができない。 だから気を付けてアイキャッチ画像を設定し忘れないようにしないといけないのだが、しょっちゅう忘れる。 10回に一度くらいは忘れている気がする。

  • 国語の授業で「山月記」をどう取り上げるべきか - グローバル引きこもり的ブログ

    先ほど「山月記」関連に関するエントリーを2つ書いたが、山月記というのは国語の授業でどのように取り上げられているのか気になったので調べてみた。 ものを書くことを好む人が多いのか、どうも国語教師というのはネットをやる人が多いようで、検索をすると「山月記」の授業に関しても膨大な量のエントリーが見つかる。 それを見ていて改めて思うのは、「山月記」を授業で取り上げるというのは結構難しいなあ、ということだ。 まず、「山月記」が李徴のような人間を煽りまくる目的で書かれたという側面があるのは間違いないだろう。 文学の世界では、今も昔も李徴のような人間には事欠かないわけで、中島敦に李徴のような生き方を批判する意図があったのは間違いない。 中島敦には書くことがなくなったのに作家という肩書にしがみつく職業作家を批判した一文があるが、職業作家に対する認識がこれなのだから、李徴のような生き方をしている者に対する認識

  • みんな選択肢を増やそうとして生きているけれども、選択肢というのは増えるものなんだろうか - グローバル引きこもり的ブログ

    人間の行動の基準として選択肢を増やすような行動をする、というものがある。 たとえば、教育などは特にそうで、親からみたらば子供の学歴が高いほうが人生の選択肢が広がるような気がする。 高学歴人生の選択肢がたくさんあると、そのなかで一番有利な選択肢を選ぶことができるから成功するに違いない、という発想だ。 その上、子供が高学歴だと周りに見栄をはれるから、世の中で子供の教育にキチガイみたいになる人が多いのは理解ができる。 しかし、教育によって当に人生の選択肢は増えているんだろうか? 例えば、医学部を卒業しないともちろん医者にはなれないが、医学部を卒業したあと土木作業員になり、そのまま土木作業員として一生を送る、ということは理屈の上では可能である。 でも、現実的に医学部を卒業した後で医者になるという以外の選択肢をとることは難しい。 医学部に進学した時点で、普通は医者以外になるという選択肢は消えてい

  • 経産省が教育の自由化を言わないのはおかしい - グローバル引きこもり的ブログ

    最近話題になった経産省のペーパーには、「意欲と能力のある人が公を担う」など、これからの社会は国民が自発的に公的な役割を果たすべきだという主張がある。 http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf それによって国は緊縮ができて、国民は社会参加することによっていきいきとした人生を生きることができるからみんなハッピーではないか、ということらしい。 誠に結構な主張だと思う。 結構な主張だと思うが、「意欲と能力のある人が公を担う」といいながら、このペーパーで教育の自由化が一切取り上げられていないように見えるのは何故だろうか。 僕は日教育のかなりの部分がありがた迷惑の公共事業なのではないかと思う。 教育というとなんだか無条件によいものだという人がおおいのだが、教育のもつマイナスの影響はもっと注目されてよい。 教育

  • フランス大統領選挙とアンシャンレジームの行方 - グローバル引きこもり的ブログ

    少し前の話になるが、フランスの大統領選挙は結局マクロンの勝利に終わった。 世間で言われていた通りの結果であったと言える。 僕は正直、今回の大統領選挙にはあまり興味がなかった。 どうもマクロンが勝つという退屈な結果に終わりそうな感じがしたからだ。 第一次投票の結果もマクロン有利を示唆するものだったし、選挙に関する報道からも国民戦線はいまいち時流に乗れてないという印象を受けた。 あるいは、時流というのは確かにあるにはあったのだが、それは決戦投票で勝てるほど強いものではなかった、というべきだろうか。 そのためもあって、国民戦線の選挙運動も典型的なプロテストパーティーのものにとどまり、効果的なメッセージを打ち出す事ができなかった。 こういうのは背景にはっきりした時流がないと、メッセージがまとまりきらないのである。 だから僕は今回の選挙戦は退屈な結果になるだろうと思ったし、実際に結果はマクロンの当選

    フランス大統領選挙とアンシャンレジームの行方 - グローバル引きこもり的ブログ
  • 不言実行するならば意識高い系でも構わないと思う - グローバル引きこもり的ブログ

    意識高い系という言葉がある。 どうも若いうちになにか、世間から注目を集めるような大きな事を成し遂げたい、という野心を持つ人を表す言葉のようである。 社会を変えたいとか、企業して金持ちになりたいとか、方向はいろいろだろうが、とにかく若いうちからの成功を目指すというのは大体の意識高い系に共通しているところだと思う。 この若いうちにというところにどうも意識高い系の特徴があるような気がするけど、ともかく意識高い系であるからには若いうちに成功しなければならないという前提がある。 少なくとも、成功するかどうかは別として、若いうちに人一倍の経験は積んでいなければならない、ということになっている。 若いうちから成功するとなると、手っ取り早い事から始めよう、となるのは当然だろう。 そのなかでも一番楽なのは、将来の夢を語るとかそういう事だ。 だから夢を語るというのを出発点にする人は多くて、これが意識高い系の特

  • もし受験生のときに「地元で進学したら月に十万円あげる」と言われたら、どうする? - グローバル引きこもり的ブログ

    ネットをやっていると時々、奨学金を使って東京の大学に進学したのはいいけども経済的になりたたず、苦労のあまり健康を損ねて退学に追い込まれそう、みたいな話を聞く。 誠に気の毒な話だ。 人間には同じ人間でも金銭に関するセンスがある人とない人がいるわけで、金銭のセンスがある人ならば色々な方法で効率的にカネを節約する&カネを稼ぐことで東京の大学に進学しても無事に卒業できるだろう。 しかし、もし家が貧乏で支援が一切期待できない状態なのに、普通の家庭の出身者のような気分で学生生活を送るとしたら、これはとんでもないことになるのは間違いない。 こういう金銭に関する嗅覚みたいなものは受験勉強みたいに努力すれば手に入るというものでもないので、奨学金を使って進学した学生のいくらかは破滅することになっている。 僕は普通に親のカネで大学に進学したので(というか進学する以外の選択肢が全くないような人生だったので)こうい

  • 今の幕府に忠誠を誓うのは馬鹿馬鹿しい - グローバル引きこもり的ブログ

    最近たまに思うのは、いまの日というのは幕府みたいなものなんだろうな、ということだ。 官界、政界、財界から労働組合に至るまで、どこを見ても腐敗がひどくて、はっきりいって手のつけようがない。 完全に末期状態だ。 東芝と日郵政がわざわざ1兆円以上ものカネを外国人に差し上げたことが話題だが、もちろんこんなのは氷山の一角にすぎない。 同じようなことは至る所にあるわけで、全体のスケールの大きさというのは想像がつかない。 とにかく、いまの日は西室のような私欲と保身が全ての日帝国陸軍的老害に完全に牛耳られてしまっている。 headlines.yahoo.co.jp これを立て直すなんて末期状態の幕府をリニューアルして列強に対抗出来るようにするようなもので、そんなことをしようとしても状況が改善するどころか、ますます西室みたいな老害に儲けさす結果に終わるだろう。 もはや、世間が信じる「道徳」と日国の

  • 常盤貴子のフランス語の語学番組 - グローバル引きこもり的ブログ

    こないだテレビをみていたら、たまたま常盤貴子のフランス語の語学番組をやっていた。 レストランなどのおしゃれスポットをあちこち散策しながら時々フランス語の会話を紹介する、みたいな番組である。 さすがに高名な大物女優なだけあって、フランス語も綺麗に発音するし存在感があった。 常盤貴子の語学力がどれくらいなのかはわからないが、個人的にある程度フランスに関心があるのは確かなようで何度かフランスに旅行したことがあるらしい。 常盤貴子が特にフランスに興味があるのかはわからない。 もしかしてフランスに旅行したというよりはヨーロッパに何度か行ったことがあるだけかもしれない。 フランスに行ったのが二、三度なのか、あるいは九回くらい行ったことがあるのかで印象は随分変わってくる。 しかし、常盤貴子がフランスの街並みに溶け込む人であるというのは確かだと番組を見ていておもった(まあ、パリという街は誰を歩かせてもそれ

  • 紫芋のスムージーを飲んでみたら予想以上にうまかった - グローバル引きこもり的ブログ

    globalizer-ja.hatenablog.com 日ルナ(日ハム系列)のグリーンスムージーが割とうまくできたスムージーだったので、今回は同じメーカーが出している「パープルスムージー」を飲んでみた。 item.rakuten.co.jp 紫芋とかマキベリー、ブルーベリー、ビート(ボルシチの赤紫の元になっている野菜)、紫にんじんなど、紫系の素材をフィーチャーしたスムージーである。 パッケージもまさに紫!という感じでなかなかインパクトがある。 前回のグリーンスムージーを買う時もそうだったが、正直このパープルスムージーも買う時には少し躊躇があった。 なにせ芋が入った飲み物なんてこれまで飲んだことがない。 飲んだことがないからどんな飲み物なのか全然予測がつかない。 やはり人間、予想がつかないものにはどうしても警戒してしまうものである。 しかしながらその一方で、こういう風に色が思いっきり紫色

  • Google翻訳を使って三ヶ月フランス語を勉強した - グローバル引きこもり的ブログ

    Google翻訳というと普通は英語を日語に翻訳とするか日語を英語に翻訳するという使い方をされる場合が多いと思うが、Google翻訳が扱える言語はもちろん日語と英語だけではない。 フランス語とかドイツ語のようにメジャーな外国語からどこの誰が話しているのかさっぱりわからないような言語まで、Google翻訳が扱える言語は何十種類もあって、これらの言語の間で相互に翻訳ができる。 もちろん、翻訳の正確さにはどのような言語の間で翻訳をするかによって違いがあり、言語的な距離が近ければ翻訳精度は高くなるし、そうでなければ低くなる(と思う)。 例えば、日語と英語とで翻訳をさせてみると、たしかに以前の機械翻訳よりも比べ物にならないほど進歩しているとはいえ、言われているほどではないな、というのが正直な所だ。 英語を翻訳をしたことがある人はわかると思うが、日語と英語では言葉の仕組みがあまりにも違いすぎて

  • 人文学は社会にとって迷惑か? - グローバル引きこもり的ブログ

    ここ最近、文部科学省が国立大学の人文系の学部を大幅に削減するのではないかと話題になっている。 国の財政が逼迫する中で予算が厳しいのは大学行政も同じで、日の将来にとって理系の予算は減らせないのでその分を文系の学部をリストラすることで捻出しようということだろう。 ようするに、日にはもはや「役に立たない」学問をやる連中を養う余裕はないよ、という文科省からのありがたいメッセージである。 実際に近年の国立大学の入学者の定員を見ると、理系学部が増えている一方で文系学部は減っている。 大学業界的にいえば、入学者の定員が減るということは予算が減るということを意味するのでこれは結構大変である。 くわしくは知らないけれども、人文系の学部に流れる補助金だって以前と比べたら相当減っているだろう。 人文系軽視の風潮が今後加速する一方であることは疑いようがなく、この傾向が逆転することはまず考えられない。 そして、

  • 150記事書いた - グローバル引きこもり的ブログ

    前回の記事でちょうど150記事だった。 僕の記事は短文が多いけど、さすがに150記事あるとコンテンツとして形になってきたかな、という手応えがある。 100記事くらい書いた時点ではブログとしてはまだ心もとない感じがしたが、ここまで来ればだいたいこのブログがどういうブログなのか分かってきた。 僕のブログを書いているのは他ならぬ自分自身なわけだけれども、ブログがどういうブログになるのかは自分でも分からないのだ。 「グローバル引きこもりブログ」は去年の8月に始まった。 まだ一年も経っていないのだが、ずいぶん昔からやっているように思えてならない。 それで150記事という区切りということで過去の記事を読み返してみたのだが、自分でいうのもなんだが結構おもしろかった。 自分がおもしろいと思うように記事を書いているのだから当たり前の話ではある。 もっとも、僕のブログは自分がおもしろいと思うかどうか、という基

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