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2021年6月24日のブックマーク (4件)

  • 元力士でちゃんこが得意な現役プロレスラー浜亮太さんがコロナ禍に地方でうどん屋を始めた理由 - メシ通 | ホットペッパーグルメ

    (写真提供/浜亮太) 体重225kgの巨漢プロレスラーで、力士時代は幕下優勝の経験もある浜亮太選手が“ちゃんこ+うどん”の強力タッグを緊急提言! 2021年1月、群馬県前橋市に「どすこいうどん浜ちゃん」をオープンさせると、瞬く間に地元客で賑わう繁盛店となった。 ▲「どすこいうどん浜ちゃん」の外観。同じビルには、プロレスラーのMAZADA選手が経営する「ステーキまさやん」も。2店をハシゴするプロレスファンも多いそうだ(写真提供/浜亮太) 1995年、八角部屋に入門した浜選手(しこ名は北勝嵐)は、相撲の実力とともにちゃんこ料理の腕も磨いていく。その後、プロレスに転向すると寮長を務めながら毎日ちゃんこを作っていたのだという。その味はマット界でも絶賛され、曙選手も「浜の作るちゃんこは別格」と太鼓判を押すほどだった。また一時はキッチンカーでちゃんこを販売しており、ファンからも絶大な支持を集めていた。

    元力士でちゃんこが得意な現役プロレスラー浜亮太さんがコロナ禍に地方でうどん屋を始めた理由 - メシ通 | ホットペッパーグルメ
    sakahashi
    sakahashi 2021/06/24
    “どすこいうどん浜ちゃん”応援したいなぁ。
  • ~足立大好きインタビュー~淑徳大学教授 北野大さん

    足立区に生まれ育ち、今も足立区に暮らす北野大さん。わかりやすく環境を語る「マー兄ちゃん」、またビートたけしさん(北野武さん)の兄としても知られる。「足立区ありてこそわが人生」と足立区にベタ惚れの北野先生に足立区を聞いた。 「おせっかい」なまち 僕は、足立区の島根で生まれ育ちましたが、近所で有名な話があるんです。 うちのオフクロは、男の子は絶対工学部だっていうんで私も兄も弟もみんな工学部に入ったのですが、うちだけじゃなくて近所の子もみんな機械科へ入れちゃったんですよ(笑)。大工の息子も畳屋の息子もね。大工さんの息子は後から建築の専門学校へ行き直したのですけれど。 すぐ裏に男の子5人兄弟がいたのですが、貧しかったので大学へはやれないってことになると「工業高校の機械科へ入れなさい」って言ってね。子どもに機械工学を学ばせるってことが、その子の将来にとって幸せなことだと信じていて、自分の子にいいと思

    ~足立大好きインタビュー~淑徳大学教授 北野大さん
    sakahashi
    sakahashi 2021/06/24
    “特に小中学校では重要です。小中学生の前で、先生の悪口は絶対に言ってはならない。” いまは親がTwitterでつぶやくみたいに文句いう家庭もあるんだろうなと推測します。
  • 真面目な働き者でも“ホームレス”になる社会について考える/神戸学院大学でビッグイシューが出張講義 : BIG ISSUE ONLINE

    講義室に集まった36名の学生の皆さんには、グループワークを通してホームレス問題やビッグイシューの活動への取り組みに対する理解を深めていただきました。 (緊急事態宣言発令中のため、ビッグイシュー大阪事務所と大学をリモートでつなぎ、講義を行いました。) ビッグイシューの事務所とオンラインで結んでの講義 世界中の“ホームレス”、共通点はあるのか? ビッグイシュー基金スタッフの川上翔が「ビッグイシューという雑誌やビッグイシューの販売者をまったく知らない人いますか?」と聞くと、かなりの数の手があがりました。 そこで、川上が雑誌『ビッグイシュー』について話を進めながら、学生たちは4人1組に分かれてグループワークをおこなっていきます。 最初のグループワークではそれぞれ、雑誌『ビッグイシュー』の人気連載記事「販売者に会いに行く」を読んで感想をシェア。 記事を読んで率直な意見や感想を出し合います 初めて『ビ

    真面目な働き者でも“ホームレス”になる社会について考える/神戸学院大学でビッグイシューが出張講義 : BIG ISSUE ONLINE
    sakahashi
    sakahashi 2021/06/24
    “高校を中退し北海道の牧場に就職。その後脳梗塞で倒れた親の介護のため大阪に戻ったあと、仕事に就くも、阪神大震災に伴う勤務先の倒産、その後ついた派遣の仕事もリーマンショックの影響で解雇 ”運って何だろう
  • 資産凍結という強権 香港・りんご日報廃刊 民主化の象徴圧殺 | 毎日新聞

    23日に発行停止を発表した香港の民主派紙「蘋果(ひんか=りんご)日報」は、中国共産党を厳しく批判し続け、香港の報道の自由を象徴する存在だった。1997年の中国への返還後、中国が報道機関に浸透する中でも「反共」の旗を掲げ続けた。だが資産凍結という当局の弾圧に耐えきれなかった。中国の習近平指導部が掲げる「国家の安全」の名のもと、1国2制度で保障されたはずの報道の自由は失われた。 蘋果日報は、アパレル業で財を成した黎智英氏(72)が95年に創刊した。きっかけは89年の天安門事件だった。黎氏は起訴前の2020年9月、毎日新聞の取材に、メディア事業に乗り出した理由をこう語った。「中国の民主化運動に貢献したいと強く思った。メディアこそが自由を広げられると考えた」 黎氏はまず90年に週刊誌を発刊。94年にコラムで李鵬首相(当時)を「国家の恥」と批判したことが中国当局の逆鱗(げきりん)に触れ、中国側は

    資産凍結という強権 香港・りんご日報廃刊 民主化の象徴圧殺 | 毎日新聞
    sakahashi
    sakahashi 2021/06/24
    世界がきな臭い