12歳までは地震が怖かった 屋根が落ちてきてみんなが死ぬ!と思ってた ずっと怖いのは巨大なもの 高速道路の橋げた、トンネルの換気扇、ダム、ガスタンク あとテトラポット
12歳までは地震が怖かった 屋根が落ちてきてみんなが死ぬ!と思ってた ずっと怖いのは巨大なもの 高速道路の橋げた、トンネルの換気扇、ダム、ガスタンク あとテトラポット
何かあると「前向きに逝きましょうよ!」とか「もっと建設的に進めたいです」とかいう主張をするのはいいとして、人間関われることには限りがあるというのを忘れているような気がしてならない。一日24時間しかねえんだよ。時間が。全部に全力尽くせるわけじゃない。 例えば、三人で何か参画していて、それに熱心な某と呼ばれてそこにいるだけの某とでは物事への取り組み方に違いがあるのは当たり前である。もしそれがうまくいったなら、その成功にもっとも寄与した人が分け前を多く取ればいいんじゃないのと思う。 ところが、上記の「前向き教」みたいな人が居て困るケースというのは、そりゃあ確かにお前にとっては大事なことかもしれないけど他の面々にとっては比較的どうでもいいことであって、「ちゃんとやる」労力をかけるまでの価値を感じてないケースもあるってことなんだろうな。 前向きに仕切ろうとするのはいいんだが、それに巻き込まれた人が、
居間のこたつで寝ている妻の家族が気持ち悪いです。 昔からなのか妻の実家では皆こたつで昼寝やら 時には朝まで寝てたりします。 とても気持ち悪いです。 冬はご飯を食べる時、みんなで居間で食事をするのですが そこで寝ている人がいると思うと気持ち悪くて食欲減です。 おまけに義妹も遊びに来てこたつで寝てます。 綺麗に着飾っててもその姿見てると気持ち悪いです。 妻にはこたつなんかで寝るなと言っていますがなかなか習慣とは直りません。 仕事から帰ってきてそのぐうたらな姿を見ていると蹴り起こしたくなります。 こたつってなんかぐうたらで汚いイメージがついてしょうがないです。 皆さんはこたつで寝るのでしょうか? ちなみに妻とは関係良好で世間で言うラブラブです。 嫌いなところは嫌い!ってだけですね。 そうなんですコタツってのが苦手で少し入ってるだけで 頭痛くなる感じがあるんですよね、風邪ひきそうだし。 まぁクレー
非モテの奴らって 毎日毎日 飽きもせず 「俺はこんなに非モテだ」 「いいや俺はもっと非モテだ」 なんて競い合って、 それで本人らは議論してるつもりで、 でも最終的にはリア充憎し、で共通してるでしょ。 ここでリア充をどの段階で定義するかは難しいけど、 自ら「非」モテと自慢する以上は「モテ」を敵として 毎日呪詛の言葉を繰り返しているんだと思う。 お前がモテるかモテないかは、はっきり言ってどうでもいい。 知ったこっちゃないし。 一番気に入らないのは、モテない奴がモテる奴に対してひがむこと。 では「モテる」とはどういうことか定義していかないといけないんだけど、 「非」モテである人間は、毎夜繰り返される「非モテ自慢」の中で 「いかに俺は異性から大切にされたことがないか」を競い合っており、 それでは呪詛の言葉を吐く対象は 「異性に大切にされたことのある人、または大切にされている人」 をとりあえず「モテ
【症例9:執着の薄さが特徴的な脱オタ症例】2006.09/23 (Iさん、男性、脱オタ開始時十代後半、26歳大学院生、2006年8月寄稿) 今回紹介するIさんは、概ね脱オタ者にありがちな思春期人生を歩んでいますが、他の脱オタ症例と違って、人間関係に関する慾や執着が妙に少ないことが特徴になっています。この慾の少なさが、脱オタの実行を容易にしたり、劣等感の苦しみを軽くしたり、色々と脱オタ行路に影響を与えていると推定されます。脱オタを実行しようとする人は、対人関係のコンプレックスなり劣等感なりを強く抱えていることが多いものですが、そういうものが少ないとどうなるのか(または心理的障壁が厚くなければいかに遂行可能か)を知るうえで、Iさんのケースは好適と言えそうです。では、早速ご覧下さい。 (今回も、色づけ以外はIさんの原文ママとなっています。) ・Iさんのプロフィール 26歳男性、都内の大学院に在籍
2007年12月21日17:00 カテゴリPsychoengineering 思いつき - 嫉妬の生物学的な意味 昨晩のTech Meetingの帰り道にふと思い立ったので。 以前立てた仮説よりも、合理的だと思う。 アマデウス 嫉妬。七つの大罪の一つ。 七つの大罪 - Wikipedia 傲慢 … ラテン語:superbia 嫉妬 … ラテン語:invidia 憤怒 … ラテン語:ira 怠惰 … ラテン語:acedia 強欲 … ラテン語:avaritia 暴食 … ラテン語:gula 色欲 … ラテン語:luxuria このうち、嫉妬を除くと私は人一倍これらの「罪」が大きかったと思う。それは一方で私の強さの源泉でもあり、ゆえにその生物学的効用も、前頭葉で「理解」するどころか脊髄で「体感」できた。体感できる故にどんな時にこの罪にポジティブ・フィードバックをかけ、またどんな時にネガティブ・
人をうまく騙し切るには、騙す側の騙しスキルだけでなく、騙される側の騙されスキルが重要な要素になる。 とことん疑い深い人と、信用しやすい人と、どちらにプラセボがよく効くか。 信用できる医師からもらったプラセボと、藪医者でこの人からもらう薬は効いた試しがないと思う医師からもらったプラセボと、どちらがよく効くか。 だから、うまいこと騙し切れた、と感じたときは、相手がうまく騙されるように協力してくれたのではないか、相手は自分に騙されることを望んではいなかったか、相手は騙されることで事態をより良く乗り切ることができると判断したのではないか。 騙し切ったと思った自分が、実は相手の手のひらの上にいるんじゃないのか。 そういう見方をすることも、場合によって大事かもしれない。
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "アレキシサイミア" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2012年7月) アレキシサイミア(alexithymia)は、1970年代、精神科医のピーター・E・シフネオスらによって提唱された概念で、ギリシャ語をラテン語風に表記した「a(非)、lexis(語彙)、thymos(感情)」を英語風に発音した言葉を更にカタカナで表記して作られた造語である。自らの感情を自覚、認知したり表現することが不得意で、想像力、空想力に欠ける傾向のことを指す。 日本語では「失感情症」などと訳されることがあるが[1]、感情鈍麻や無感動のように「感情の
マルチ商法ネタが、いくつか読んで、以前にマルチ(某最大手マルチ会社)で億万長者になっているディストリビュータを取材したことを思い出しました。 NC-15 マルチ商法に嵌ると、金や友達だけじゃなく自分の人生まで喪うぞ。 Business Media 誠:山口揚平の時事日想: 人はなぜマルチ商法にはまるのか? 約10年くらい前の話。きっかけは、私の友人。その彼の親(仕事としての)が、その億万長者ディストリビュータのAさん。その友人は、私を自分のグループに引き入れたくて、Aさんが彼の代わりに説明にきました。 私は、マルチの仕組みも商売柄、詳しく知っていたし、やる気もさらさらなかったのですが、実際にそれで億万長者になっている人が、具体的にどんな仕事の仕方をしているのかを興味がありました。 そこで、一応入会金を払い、彼のグループに潜入。彼の仕事の仕方を潜入取材しました。 彼の仕事ぶりで、感心したのが
最近よくニュースにはて☆すたをつけられることが出てきたんですけど、 それを見て思ったこと。 はて☆すた導入当初はすっげぇ非難してたのに、いつの間にか何ともなくなっていた。 何でだろうか。 何かこの感じ小中学生の時に転入生が来た時の感覚と凄く似てる気がするんだよね。 結局最初は慣れない空気のせいで戸惑うから、非難中傷という形で強がるけど、 時間が経てば結局気にしなくなるというものだからだろうか。 よく理解してないけど僕としてはそんな感じに思う。 ていうかはて☆すたに限らず、別のサービスにも言えることだろうけどね。 以前mixiのTOP概観が変わった時すっげぇ非難してましたし、僕w ただやっぱり以前の方がよかったな、あれは(;´Д`)
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20071213/1197521756 何やら、立派にみえることを勧めている人を発見しました。曰く、「世界にただ在るものとして在る強さを持て」とのことです。他人からの評価に右往左往することなく、『エヴァンゲリオン』のシンジやアスカのように他者からの評価に汲々とすることなく、独り屹立する自分自身、なるものを推奨しておられるようです。「本心からしたいことをしなさい。誰にとって価値がなくとも、誰に承認されずとも、あなたは別に好き勝手に存在していいのである。人は本質的に、無限に自由なのだから。」。そのうえで自己承認欲求を後ろ向きなもの、とid:y_arimさんは述べてます。もし個人が、ロードス島の巨神像や足摺岬の灯台のように揺るがなく立つことが出来るとしたら、それはそれで美しいことだとは思います。 しかし、そんなことって娑婆世界を生きる私達
自分にとって大切なはずの人ほど攻撃、反発してしまう理由をざっくりでいいので心理学的に教えていただけますでしょうか。 知人の研究のためと、そういえばそういうことってよく聞くなーという私の好奇心からの質問です。 例えば、自分の親、彼氏、彼女に対して反発したり、怒った時すごい口調でまくしたてたり、皮肉をいうようになったりなどなど。また、一方では身近でない人にほど気を使ってしまう、といったことがよくあるかと思います。 このことに関する事が書いてある本もあれば(読みやすいもので・・)教えてください!
見せてやるッ、これが本当の思考停止チェッカーだッ! あなたの「思考停止レベル」はいくつ? 判定スタート ↓ 望みや欲しいものがある → 自分には無理だ → 思考停止レベル0 ↓ http://anond.hatelabo.jp/20071204193149 ↑コレがあまりにもひどいので、自分用に作った思考停止チェッカーを蔵出し。 使い方は簡単。直面した問題を真ん中に書いて、焦点がどのカテゴリに属するのかを、関係事項の書き込みで類推する。で、最良と思われる思考停止点を選ぶ。自分がどこで思考停止して、解決不可能ループに入っちゃってるのか、あるいは、どこで思考停止すると事態が好転するのか、という予測を立てることができる。少なくとも「全部バッドエンド」の回避ぐらいには使える。まあ角から犬かやくざが出てきた場合はこの限りではありませんが。 金……経済的停止点、金がなくて解決できないとか、解決すると金
うちの職場の事務の女の子がストーカーっぽい同僚に困ってるらしいです。 人づてに聞いただけなんでハッキリとはわからないんですが ストーカーは営業課の26歳の社員らしく、 昼食時に勝手に隣に座ったり、帰りに駅の改札で偶然を装って待ち伏せされたりするそうです。 それに教えてもいないのに携帯の番号やメルアドまで知られてしまったようです。 僕も心配なので相談に乗ろうとお昼ご飯を一緒に食べようとしたり、 一緒に帰るために駅の改札で待ってみたりしてるのですが、 彼女も遠慮してるのか、中々本心を語ってくれません。 直接は言いにくいのかと、人づてに電話番号やメルアドも聞いたんですが、 そっけない返事しかこないです。 本当に心配です。 何とか力になりたいんですが、どうすればいいでしょう? (26歳 営業課平社員)
私は、もうほとんど直ってるんですが、うつ症状で、調子が悪いことがあるので、心療内科に月1で通って薬をもらってます。で、基本的には状況説明して、薬もらうだけで、それだと診察代がもったいないので、自分の病気以外のことで話を聞かせてもらって元をとりたいと思っています。 で、以下、今回のお話。 オレ:いま子供が剣道習ってて、有段者の人とか見て思ったんですけど、武道家の人ってうつになるんですか? なんか武道って心を鍛えるから、ならないようなイメージがあるんですけど。 先生:いや、なるよ。柿の木ってあるやん。 オレ:はい? 先生:で、柿の木ってすごく硬いんやん。ゴルフのクラブのヘッドに使われるぐらい。あのパーシモンってやつ。 オレ:はい。 先生:だから、柿の木に登って、枝が折れたら大怪我することが多いねん。 オレ:なんでですか? 先生:硬いから、枝がほとんどしならない。だからパキッと折れて、急に高いと
質問者さんのような人は、NO.1の方もそうですし、 僕もそうですし、よく見れば他にもたーーーーーっくさんいましたよ。 なので >周囲の同年代の人は何でも出来ていて羨ましく思う ということは無いです。ご安心ください。 僕は以前ここで質問をしたときに、 「自意識過剰」という言葉の意味をはき違えていたことに気づきました。 http://www013.upp.so-net.ne.jp/kata-kuriko/m02.html なんとなく「自信過剰」と同じような意味と思ってたんですよ。 質問者さまは分かってらっしゃるかもしれませんが、 間違ってたらアレなので。 僕もその自意識過剰・神経症的なことで病院に行ったことはありませんが、 最近だいぶその症状がなくなってきました。 なぜだろう →人の目を気にしなくなった →なぜだろう →自分はこれでいい、と思えるようになった →なぜだろう →もういいや、と諦め
いつもいつも自分の意見が否定されると悲しいな。その上、意見が否定されるのももっともだと自分でも理解できて、相手が提示した意見の方が優れているもんだから、自分なんて居なくても変わらないように思えてしまう。そうやって憂鬱オーラを放って自己満足している。 それでも満足が足りない時は、自分がダメなのを分かっているのに「あいつは他人の意見を否定する奴だ」「キモイんだよハゲ」「こいつには何言ってもダメだ」などと相手を貶め、あるいは嫉妬し、結局空しくなって終わる。 自分が優れている意見を言ってほめられる事を望んでいたが、そうならないので相手に嫉妬する。自分が特別で皆には理解されないと憂鬱になる。自己愛みたいだ。
特に理由はないんだが、親が怖い。 別に嫌いではない、虐待をされてきたわけでもない。 ただ、親の前だと委縮してしまうし、あった後はひどい疲労感で何もできなくなる。 三年前、数年ぶりに親にあった翌日から1月引き籠った。 ようやく回復して仕事を新しく見つけたころに現状を聞きつけて様子を見に来た親に会った。 そのまま会社を辞めた。 親のことは好きだし、感謝もしている。 ただ、生活のためには忘却して過ごすのが一番だと感じている。なんなんだろう、この漠とした恐怖感は
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